2018年6月20日水曜日

あまりに小さなわたくしの棲み処



蝶の羽から離れた
鱗粉の
ひとつの裏に
小さな土地を譲られたのは
よかった
そこに家を建ててもらっておいたのも
よかった

ついに地球の地面には落ちず
宇宙のどこへ
逸れていくのか
まるで
しばらく忘れていた無限のように
滞空したままの鱗粉

地球のだれにも
はじめから気づかれず
だれにも永遠に
見わけられることなしに
まるで
今しがた思い出した無限のように
滞空したまま
微細に動き続けていく
あまりに小さなわたくしの棲み処

小さくても大きくても
宇宙ではまったく同じことなのだから…と
まただれかが
姿も影もなしに
大きな宇宙のどこかで
つぶやいている



2018年6月17日日曜日

道の道というべきは真の道にあらず



茶器の展覧会に来て
しずしず
足を運びながら
見てまわる

人がいっぱいだが
しずかである
からにして

しずしず
足を運びながら
見てまわる

茶道には
誇れるぐらい
きれいさっぱり
なんの関心もないので
茶器の説明も
いい加減にしか見ない
せいぜい
いちいちの品の名を
瞥見する程度

茶室は好きであるが
亭主も
他の客人もおらず
茶も
釜も
煮える湯も
ないほうがよい

誰もいない
なにもない
畳だけの茶室に
しばらく座っていたりするのは
いいものである

紅葉の頃
そうしていたことがある
霙の午後
そうしていたことがある
炎暑の午前
そうしていたことがある
若葉の頃も
そうしていたことがある

それでいいではないか
と思う

異国の
埃と排気ガスの大通りを逸れて
空気のねっとりした路地で
コーヒー売りから一杯買って
小さな箱に腰を下して
汗の引くのを待ちながら
(コーヒーをだが)
飲んでいたこともある

展覧会のうすら闇の中で
そんなことを
思い出していた

人間到るところに茶室あり

になってはいけない

道の道というべきは真の道にあらず

徹底的な思想の分裂点があり
わたしは譲らない
無知な者たちはすぐに道にしたがる
わたしは老子と荘子の側に居続ける者なり

愚かな島国文化よ

道を捨てよ

できかける道も
すぐに
破壊し溶解せよ

われ
剣を投ぜんがために
来たれり
と言っていたおじさんも
いたな

ちょっと
言い過ぎだった
おじさん



本当の日本橋

メトロから
コレド日本橋に上って外へ出ると
どっちに行ったらいいのかしら
迷ってしまう

三越本店のほうへ行きたいのだけれど
昭和通りに出たのか
永代通りに出たのか
中央通りに出たのか
一瞬
わからない

一瞬どころか
二瞬も
三瞬も
わからない

なんどか来ているとはいっても
頻繁に来るわけでもないので
わからない

いつも
逆方向に行ってしまう
とんでもない方向へ
行ってしまう

日本橋を渡ればいいのだ
ようやく
方向の目印をつけるようにはなったが
それだって
どっちが日本橋か
はっきりしない時がある

日本橋に着いたって
橋のまわりが
あんなふう
つまらないというか
くすんでいるというか
B級景観というか
あんなふう

だから
渡りながら
これ
本当の日本橋か…?
いまでも
訝る

本当の日本橋は
どうやら
べつのところにあるようだ

わたしの場合



2018年6月14日木曜日

アスファルト愛

 
暑い日が続いて、ふと、
なにか大きなものがヒュッと終わるかのように、
涼しくなったある日のこと、
わたしはアスファルトに恋をした。

けれども、心臓のドキドキを直視したりはしないで、
あゝ、これが、
アスファルト愛、ってやつね、
と、ちゃんと冷静に対処。

S895星雲で流行っている、とかなんとか、
言われていたあれだな、
いつのまにか、銀河系の太陽系にまで、
感染がひろまってきたんだな…

そう思って、
これ、重病になる前に治さないといけないなぁ、
と、ちゃんと冷静に考えをめぐらした。

めぐらしたことは、
めぐらした、
んだ、
けど、
薬があるわけでもないし、
寝ていれば治るのかどうか、わからないし、
なにかの栄養が足りればいいのかどうか、
それもわからないしで、
ちゃんと冷静に対処しようにも、
そこで止まってしまった。

ま、地球での知などというものは、
こんな程度。

アスファルト愛は、さいわい、
ひどく、ぐんぐん昂進するわけでもなく、
けっこう穏やかに、ほわぁ~っと膨らんでいく感じで、
外に出るたび、どこのアスファルトを見ても、
ああああああああああああああああ…
と、見とれてしまう程度に止まってくれていて、
人目を気にしないといけない地上では、
どうにかこうにか、制御できる感じ。

じつは、アスファルトには、
ふたつとして同じ顔貌の部分はないと気づき、
なんと唯一無二なのォ!、おおおお!
などと、いつも心は高鳴り、
人がおらず、車も来ないところでは、
地面に腹ばいになって、
アスファルトに頬ずりを、よく、するようになった。
道路の真ん中に寝転がって、
大の字になっているのも大好きで、
世界中の大都市の、あの夜明け前の静かな時間、
だいたいの幹線道路では、もう、寝転び済み。

この程度の症状で済んでいるんだから、
たいしたこともない、と安心しているけれど、
ほんとうに、
これがいつか昂じてしまって、
あちこちのアスファルトを剥がして収集したくなってしまったら、
どうしようかなぁ、と
ほんのちょっと、
心配。



2018年6月12日火曜日

わたしのものでなどまったくなかった運命



家にあったのは額紫陽花。

外に出ても、
なぜか額紫陽花ばかりが目につく地域に子供の頃は住んでいて、
梅雨の季節になるたびに不満だった。
ふつうの紫陽花の玉のような咲き具合、
紫や濃紺や赤紫や、
あるいは、それらの系統の色が混ざったような色合いにあこがれて
学校の行き帰り、ちょっと多めに道草をして
見知らぬ家の庭先の立派なふつうの紫陽花の咲きようを
黙って見つめていたりした。
もっと大きくなって、ひとりでもう少し遠出ができるようになった頃、
ふつうの紫陽花があちこちに見られるので
梅雨の時期も楽しかった。
一日中を、なにをするでもない、
夕方になるまでぼんやりと過ごしながら、
ふつうの紫陽花の咲き乱れる中を歩いていたりした。
そんな時に額紫陽花に出会うと、
旧知のつまらないものにうっかり遭遇してしまったように、
あゝ、いやだ、辛気臭い、盛り下がってしまう、
とまで思って、
他のふつうの紫陽花のほうに、これ見よがしに目を向ける。
そうして、ふつうの紫陽花の姿だけを記憶に留め、
額紫陽花ばかりの住まいのほうへと帰って行く。

それが、今年になって、
額紫陽花にも、それなりの妙味を覚えるようになった。
いつのまにか、そうなっていたのか…
あの、物足りない、つぶつぶの薄青いひろがりにも、
それなりの“花”を感じている自分が、
感じることを、ようやくにか、許しはじめている自分が、いた。
なにより、ふつうの紫陽花にあこがれていた頃、
自分のまわりに満ちていた花だった。
懐旧のゆえ、とは思いたくない。
ふつうの紫陽花へのあこがれの思い出が、
額紫陽花をも、“花”と見るように、今の私にさせているのか…

堀口大学の訳したシャルル・クロスの詩句を思い出すと、
ほのかに、痛切さが、心に来る。
「かの女は森の花ざかりに死んで行った
「かの女は余所にもっと青い森のあることを知っていた

「もっと青い森」がふつうの紫陽花にあたるなら、
わたしは「もっと青い森」を、後年、たぶん存分に知った。
さほど青くない「森の花ざかり」に死んでいくことは、しなかった。
いま、かつての自分を幽閉していたかのような、
さほど青くはなかったあの「森」を思い出し、
あの森の「花ざかり」を思い出し、
わたしには、まったく満足のいかないものであっても、
あれはあれなりの、あの「森」の「花ざかり」であったか、
と、いくらかさびしく、慰撫してやろうとする。

なにを、慰撫するのか。
わたしをではなく、あの「森」にわたしが棄ててきた、
わたしそのものであるかのように信じ込まされそうになっていた、
わたしのものでなどまったくなかった運命を、である。



2018年6月10日日曜日

聴く者たちに強いられる接近とが …いや、“近寄り”とが



ラウテンクラヴィーア*といっても
細かい話になると、私、素人ゆえにわからない
バッハを大作曲家にする転機となった楽器だというし
マタイ受難曲もヨハネ受難曲も
ラウテンクラヴィーアを弾きながらバッハは指揮したともいう
“たったひとつの音の行方をどこまでも追って行く”姿勢は
この楽器との出会いから始まったのだともいう

これを復元して自ら演奏している山田貢のCD**
神保町のササキレコード社で偶然見つけて買ったもので
かけてみれば誰のバッハ観もが大きく揺らぐようなやわらかな美しさの
十数年に一枚現われるかどうかというべき貴重な録音だった
神保町まで歩いて10分や15分のところに住むようになって
ひと月後くらいに見つけたこのCDは
住むことになった新たな地とその周辺からの小さな祝福とも思えた

むかし縁あって要町のチェンバロ奏者鍋島元子さんの家に招かれ
置かれていた様々なチェンバロの音色を聴かせてもらった
1、2メートル以内でないと音のよく聴こえない繊細なものもあって
これほどの音のか弱さと
そのゆえに聴く者たちに強いられる接近とが
…いや、“近寄り”とが
弱さの不可思議なまでの底知れぬ強さと
楽器というものが揺らし起こす此岸一歩手前の
どこまでも無形のまゝの可能性を
かえって深く
まだ固まっていないゼリーの表面のような精神というものの表皮に
やわらかく
どぅる、どぅる、
と抉り記し得るかと思えた

グスタフ・レオンハルトの弟子だった鍋島さんが佐賀鍋島家の血筋で
曾祖父も祖父も男爵、祖母は侯爵ニ条家の出身で
母方の曽祖父は西郷従道、曽祖伯父が西郷隆盛というのは
後になってから人づてに聞いた話だった

あの時いっしょに鍋島さんの家を訪ねた若いamie
(日本語で若い「愛人」と言えばニュアンスはずいぶん異なってしまう…)
ショパンやスクリャービンの練習に打ち込んでいたが
道玄坂にあったヤマハミュージック渋谷店***に楽譜を買いに行った際
私の気まぐれな頼みに応じ店頭にあったピアノで
暗譜していたバッハのゴルトベルク変奏曲の4番までを弾いてくれ

その後音楽の道を完全に棄てて
誰もが想像さえしなかったような四人の子の母に
彼女はなった




*Lautenclavier
**Mitsugu Yamada : J.S. Bach und das Lautenclavier, LiveNotes, 2010.
***道玄坂のヤマハミュージック渋谷店は2010年12月に閉店した。2010年前後は私にとって多くのものが終わり、全く別の生へ強制的に方向転換させられた年だった。





とはいえ湿気も地上の花、あるいは胞子



お菓子をいっぱい貰った週で
アラン・デュカスのチョコレートLe Chocolat*の旨さには
荒野に続く荒野の只中で小さな果樹園に逢着したように驚かされた
とうの昔に飽いていたチョコレートなるものに
まだ幾らも未発見の鉱脈があるのだと知った

マンダリン・オリエンタル・ホンコンの
ドラゴン・ビアド・キャンディは
最初のひと粒だけがほのかに謡曲「高砂」を舌先に響かせたが
時間を置いてから摘んだふたつ目以降からは
もう音楽は滲みてこなかった

龍の境地に至っていない舌は
きっとひそやかに哀しみにくれたことだろう
このところ急に増した湿気もわざわいしたかもしれない
とはいえ湿気も地上の花、あるいは胞子
香港の海から立ち上った水粒子も私の指先に到着する頃だろう
  


*Alain Ducasse Le Chocolat, manufacturé à Tokyo.
**Dragon Beard Candy, Mandarin Oriental, Hong Kong.