2024年3月15日金曜日

ティッシュペーパー

 

 

 

なにを見ても

完全な

至上の状態にある

 

たとえば

 

なにかに使おうとして

ティッシュペーパーを引き出したものの

使う必要がなくなって

テーブルの上に放り出し

そこから離れる

 

しばらくしてから

テーブルに戻ってきて

すっかり忘れていたティッシュペーパーに気づく

そうして

驚く

 

宙から出現したかのような

やわらかい

しかし

かたちを保っている

不思議な薄い布のような紙の

こちらで意図を込めたのではまったくない

ありように

 

まさにそこに

そうあるべきであるように

在る

そのすがたに

 






2024年3月12日火曜日

雨はかぎりなくすばらしい

 

  

 

そのとき、

「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」

と言う声が、天から聞こえた。

マタイによる福音書3-17

 

 

 

 

見ていると

雨は

かぎりなくすばらしい

 

この星に来て

からだを着てからは

大人たちから

雨はよくないものと教え込まれ

濡れると拭かなければならないと教え込まれたし

傘もなしに外に出て行けないので

めんどうで憂鬱なものと教え込まれたが

そんなことを教え込む大人たちから距離を取り

そんなことを教え込まない大人にじぶんがなってみると

雨はめんどうでも

憂鬱なものでもなく

ちょっと濡れても

そう神経質に拭く必要も

べつにないもの

とわかった

 

大人にじぶんがなってみると

雨をめんどうで憂鬱なものだと教えた大人たちは

ものの無限のうつくしさやおもしろさを感じとれない

ごくごくつまらない種類の大人たちだったと

わかった

 

子どもと呼ばれた頃のわたしは

ほかの誰でもなく

いまのわたしにこそ育ててもらいたかった

 

見てごらん

雨は

かぎりなくすばらしい

めんどうでも

憂鬱でもないだろう?

からだが冷えすぎなければ

ちょっとぐらい

濡れたって大丈夫

椅子やソファをすこし濡らしたって

大丈夫

 

何十年も前のわたしに声をかけ

わたしはそう教える

 

かぎりなくすばらしい

雨のなかへ

濡れるのも気にせず

こんどは

もうすこし自信を持って

何十年も前のわたしは出て行くだろう

雨をめんどうで憂鬱なものだと教える大人たちに

きっと怒られることになるだろうが

ものの無限のうつくしさやおもしろさを感じとり続けようとする

いまのわたしへの道を

彼は歩み出そうとするところだ

 

 




生えている一本の木

 



生えている一本の木

一本だけの木

 

近くもないが

遠くもないところに

見える

 

ひろい

白木のテーブルに

純水

ではないが

薄い色のついた

淡い味の飲み物を置いて

(ちょっと背の高い透明ガラスのコップに入れてある)

その木を

しばらく見ている

 

生えている一本だけの木

一本だけの木

 






雨には湖がよく合う

 


 

高層階から見ていると

街中でも

ちょっと強い雨ともなれば

何キロか先の景色は白く霞んで

遠く山あいまで来て

霧にむせぶ湖を望んでいる

のに

似てくる

 

そこに実在しなくても

不可視でも

雨には湖がよく合う

 

駅から出て

傘をさして歩み出すような時

ここに

このように

じぶんがある謎を

ほんのすこし

教えてくれる湖のほうへ

向かっていくような気がするのも

ゆえなきことでは

ないのかもしれない

 





2024年3月9日土曜日

詩形式を使うというのは

 

 

詩形式を使って

なにか

書いてみろ

と勧めてみると

たいていのひとは

思い出とか

思っていることとか

感じたこととか

見えることや

聞こえることなどを

書く

 

これほどに

詩形式を使うというのは

むずかしい

 

思い出せないことや

思っていないことや

感じないことや

見えないことや

聞こえないことを

たいていのひとは

書けないし

書こうともしない

書こうという

発想も持てない

 

これほどに

詩形式を使うというのは

むずかしい

 

見えることや

聞こえることを書くひとは

写実だ!

などと

偉がったりもして

まったく

情けないこと

この上ない





眠りと覚醒のあいだを切れ目なしに確実に繋ぐ超意識

 


 

眠ったり

目覚めたりを

平気でくりかえしている人類

というものが

やはり

信じられない

 

眠りと覚醒のあいだを

切れ目なしに

確実に繋ぐ超意識が獲得されていなければ

そのひとはそのひとではない

 

意識の切れ目を乗り越えうる

分断や断絶の概念が

そのひとによって

発明されていないかぎりは

 





“こちらの世界”


 

 

眠りから覚めると

現実

現世

とか呼ばれているこちらの世界を

ほとんど覚えていないことが

けっこうある

 

だんだんと

思い出す

 

顔も洗わないうちに

机の前に来たりすると

寝る前に残しておいたままの

本やペンや

スマホの置き方が

見て取れる

 

それらを見ながら

眠る前の自分というものを

ほかならぬ自分の意識のなかに

回復しようとする

 

それほどまでに

現実

現世

とか呼ばれているこちらの世界を

眠っているあいだは

深く

忘れてしまっているのだ

 

こういう経験ばかりしていると

夢のなかに残してきた

べつの世界のあれこれも

また

“こちらの世界”

と呼ぶべき

ほんとうの生ではないか?

と思える

 

どの夢も

あまりにリアルで

あざやかで

なまなましいので

じつは

ほんとうに

そう思っている