2018年9月25日火曜日

食べ終えてしまおうとしている



暑かったような
涼しかったような一日

鼻かぜをひいたか
秋の花粉にやられたかで
すこし鼻水が出るようになって

古代ギリシアと
古代エジプトのことを思う
まるで
いまの時代のいまの日本に生きてなどいないほど
強く 激しく 狂おしく

そして
たくさん買ってしまったピーマンと
一袋しか買っていないナスを
炒めものにする

小松菜や
豚の肩肉の切り落としもいっしょに
炒めようと思ったが
べつべつに炒めたほうがよさそうだったので

けっきょく
三度もフライパンを使うことになった

どれもうまく炒められて
食事としては申し分なかったが
特に豚の肩肉の切り落としは
薄い肉ながら箸でていねいに開いて焼いていくと
いっぱしのステーキのようにじゅくじゅくと焼けて
じぶんで作る料理としては
なかなかだった

それを食べながら
殺された豚を想像していた
頭に弾を撃ち込まれて殺されるらしいが
食べながらそのさまを詳細に想像しようとしてみた

豚よりは
人間を殺すほうが宇宙的には正しいように思えた
殺しは
身内に留めておいたほうがよい
宇宙人を殺すのなど
たいへんな重罪となるだろう

それより
宇宙豚を殺すほうがもっと罪かもしれないが
宇宙蟻だって
宇宙蝶だって

宇宙人は地球人同様に人間のカテゴリーかもしれず
だとすれば
同族内の殺しあいで
宇宙神は多めに見てくれるかもしれない

暑かったような
涼しかったような一日

こんなことを思いながら
豚の肩肉の
うまく焼けた切り落としを食べている

古代ギリシアと
古代エジプトのことを思ったが
そういえば
いちばん好きな古代メソポタミアのことを
思わないでしまった

これから思う

これから
古代メソポタミアのことを思う

もう
豚の肩肉の
うまく焼けた切り落としは
食べ終えて
しまおうとしている



2018年9月23日日曜日

存在と不在の法則の前に

 
価値の気圏の外にあるわたしは
ことばの背筋もくっきりとさせて
価値のないわたし
存在と不在の法則の前に明言できる

しかし
わたしをここに送り込んだものは
おそるべき
価値の核
価値の王
価値そのもの

その使者であるわたし
やはり
存在と不在の法則の前に明言できる





教えないことこそ


 
教えないことこそ
もっとも
教えうること

自然も
地球も
なにも言わない

じつは
人間さえも
なにも言わない
真に
教えと呼びうる智については

言いうるのは
空間の空無を恐れて埋めようとする
無駄な詰めものとなる
音だけ

教えはたゞ発生する

教えを受けた
と感じる者の内にだけ



われわれのこの世のほうが



いわゆる宗教
たずさわるひとたちの
霊への無知は
いまの世ではまこと計り知れない

霊は霊の世界では
生前の名でも
戒名でも
呼ばれることはけっしてない
名は物質であり
重すぎて
その世界には入り込めない

まだしも
この世での名のほうが
逝った霊とのつながりはつけやすいものの
それは
霊がこの世に残した
アストラル体の残滓が反応するだけのこと
霊そのものは
物質界には反応できない

墓に金をかけ
戒名に金をかけるのは
逝ってすぐの霊を
じつはすこし苦しめてしまう
それらが重さを増すということを
あわれにも
あまりに知らないひとびとがいる
霊と現世をつなぐ使者たちが
かれらの耳もとであんなに
しかるべき為しかたについて
つぶやいているのに

わかる者
見え
聞こえる者は
しかし
黙って見ているほかない
霊たちのいっときの負担になるとはいえ
それほど
大げさに考えるほどのことでも
ないから

なにより
われわれのこの世のほうが
はるかに
あわれまれるべき
あの世と呼ばれるべきところだから



引き出された神経の一本だけで命とつながっているかのように

 
それにしても
なんと得々として
堂々として
カメラのレンズをみつめて
平然と写されることのできるひとびとの
多いことか!

あの傲慢さの底知れなさに
心を開くことの安易さに
いつも胸がふさがれるような思いに襲われる!

たゞたゞ
恐ろしいとわたしは思う!

あんなひとびとの溢れている世の
どこに隠れて
なお生きていけるだろうと
引き出された神経の一本だけで命とつながっているかのように
心ぼそくなる!



古びた大きな布団のように

 
むかしは
幾人も
理解しあえたひとがいたようにも
思うが
そんなのは
まちがい

懐かしく思えても
理解など
やっぱり
しあえなかった
ひとびと

子ども部屋の
古びた大きな布団のように
まぼろしで
くるみあっていただけの
ひとびと



いますれ違った子のまなざしも

  
いま
すれ違った子のまなざしも
わたしを透過して
うしろの灌木の
葉々の
かがやきを
見つめていたにちがいない

まだ
ときたま
わたしの輪郭の
あるかなきかのほそい線を
見とがめるひとが
いることは
いるが