なにを見ても
完全な
至上の状態にある
たとえば
なにかに使おうとして
ティッシュペーパーを引き出したものの
使う必要がなくなって
テーブルの上に放り出し
そこから離れる
しばらくしてから
テーブルに戻ってきて
すっかり忘れていたティッシュペーパーに気づく
そうして
驚く
宙から出現したかのような
やわらかい
しかし
かたちを保っている
不思議な薄い布のような紙の
こちらで意図を込めたのではまったくない
ありように
まさにそこに
そうあるべきであるように
在る
そのすがたに
気ままな詩選を自分の愉しみのために。制作年代も意図も問わず、まちまちに。
なにを見ても
完全な
至上の状態にある
たとえば
なにかに使おうとして
ティッシュペーパーを引き出したものの
使う必要がなくなって
テーブルの上に放り出し
そこから離れる
しばらくしてから
テーブルに戻ってきて
すっかり忘れていたティッシュペーパーに気づく
そうして
驚く
宙から出現したかのような
やわらかい
しかし
かたちを保っている
不思議な薄い布のような紙の
こちらで意図を込めたのではまったくない
ありように
まさにそこに
そうあるべきであるように
在る
そのすがたに
そのとき、
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」
と言う声が、天から聞こえた。
マタイによる福音書3-17
見ていると
雨は
かぎりなくすばらしい
この星に来て
からだを着てからは
大人たちから
雨はよくないものと教え込まれ
濡れると拭かなければならないと教え込まれたし
傘もなしに外に出て行けないので
めんどうで憂鬱なものと教え込まれたが
そんなことを教え込む大人たちから距離を取り
そんなことを教え込まない大人にじぶんがなってみると
雨はめんどうでも
憂鬱なものでもなく
ちょっと濡れても
そう神経質に拭く必要も
べつにないもの
とわかった
大人にじぶんがなってみると
雨をめんどうで憂鬱なものだと教えた大人たちは
ものの無限のうつくしさやおもしろさを感じとれない
ごくごくつまらない種類の大人たちだったと
わかった
子どもと呼ばれた頃のわたしは
ほかの誰でもなく
いまのわたしにこそ育ててもらいたかった
見てごらん
雨は
かぎりなくすばらしい
めんどうでも
憂鬱でもないだろう?
からだが冷えすぎなければ
ちょっとぐらい
濡れたって大丈夫
椅子やソファをすこし濡らしたって
大丈夫
何十年も前のわたしに声をかけ
わたしはそう教える
かぎりなくすばらしい
雨のなかへ
濡れるのも気にせず
こんどは
もうすこし自信を持って
何十年も前のわたしは出て行くだろう
雨をめんどうで憂鬱なものだと教える大人たちに
きっと怒られることになるだろうが
ものの無限のうつくしさやおもしろさを感じとり続けようとする
いまのわたしへの道を
彼は歩み出そうとするところだ
生えている一本の木
一本だけの木
近くもないが
遠くもないところに
見える
ひろい
白木のテーブルに
純水
ではないが
薄い色のついた
淡い味の飲み物を置いて
(ちょっと背の高い透明ガラスのコップに入れてある)
その木を
しばらく見ている
生えている一本だけの木
一本だけの木
高層階から見ていると
街中でも
ちょっと強い雨ともなれば
何キロか先の景色は白く霞んで
遠く山あいまで来て
霧にむせぶ湖を望んでいる
のに
似てくる
そこに実在しなくても
不可視でも
雨には湖がよく合う
駅から出て
傘をさして歩み出すような時
ここに
このように
じぶんがある謎を
ほんのすこし
教えてくれる湖のほうへ
向かっていくような気がするのも
ゆえなきことでは
ないのかもしれない
詩形式を使って
なにか
書いてみろ
と勧めてみると
たいていのひとは
思い出とか
思っていることとか
感じたこととか
見えることや
聞こえることなどを
書く
これほどに
詩形式を使うというのは
むずかしい
思い出せないことや
思っていないことや
感じないことや
見えないことや
聞こえないことを
たいていのひとは
書けないし
書こうともしない
書こうという
発想も持てない
これほどに
詩形式を使うというのは
むずかしい
見えることや
聞こえることを書くひとは
写実だ!
などと
偉がったりもして
まったく
情けないこと
この上ない
眠ったり
目覚めたりを
平気でくりかえしている人類
というものが
やはり
信じられない
眠りと覚醒のあいだを
切れ目なしに
確実に繋ぐ超意識が獲得されていなければ
そのひとはそのひとではない
意識の切れ目を乗り越えうる
分断や断絶の概念が
そのひとによって
発明されていないかぎりは
眠りから覚めると
現実
現世
とか呼ばれているこちらの世界を
ほとんど覚えていないことが
けっこうある
だんだんと
思い出す
顔も洗わないうちに
机の前に来たりすると
寝る前に残しておいたままの
本やペンや
スマホの置き方が
見て取れる
それらを見ながら
眠る前の自分というものを
ほかならぬ自分の意識のなかに
回復しようとする
それほどまでに
現実
現世
とか呼ばれているこちらの世界を
眠っているあいだは
深く
忘れてしまっているのだ
こういう経験ばかりしていると
夢のなかに残してきた
べつの世界のあれこれも
また
“こちらの世界”
と呼ぶべき
ほんとうの生ではないか?
と思える
どの夢も
あまりにリアルで
あざやかで
なまなましいので
じつは
ほんとうに
そう思っている