2010年8月25日水曜日

しずかに身を崩さないすがた

桜の咲きそろう前の時期は
だれのだったか
つましい人生のひとに似ている
暖かかったと思えば
すぐに冷え込んで
伸びてきた
あれもこれも
ひととき
また縮こまってしまう
そうしながらも
ぱあっと咲くのだ
ぱあっと
思いながら
咲かないでいるひと

つぼみは
たいそう正確にふくらんで
つぼみであることをこそ
いま咲いている
うつくしく
つつましく
希望のかたちしながら

これが失われるのを
開花と呼ぶのか
手ばなしに
よろこんでみたりする
こころばえの
さびしさ

時間よとまれ
うつくしい
おまえ
とどろきながら
滝にすべてをひきこんで
飲み込んでいく景の
豪勢な混濁

さなか
記憶たちはかならず
灯しなおす
つぼみの
ひとつひとつ
あのかたくなな留まりのさま
時の滝にむかって
しずかに身を
崩さないすがた

 
(ぽ385号・2010年3月)

2010年8月22日日曜日

あかるい広場で待ちます

滅びていくもの
逝くまま
手をのべたまま
数学さえ捨てましたので
軽いです
からだ
今をしか生きず
あかるい広場で待ちますね
塔の影の移りゆきにも
こころ沿わせて

来ないもの
そのために生き
いつも新しい歳月
たった一度なら
老いも若さの比喩
来いとはもう言わないのです
たっぷり時を陶酔し
Ah,
肉体は愉し

居続ければ葉のそよぎ
見尽くしたとは言わせませんわよ
類型でしか
ものを見なかった罪
どこまで行っても
罰らしい罰のないくすぐったさ
虹の色して
ひかりのやわらかな子たちが
たくさん
飛ぶ
飛ぶ
飛ぶ

どこにでも
溢れているもの

急ぐな
sunawachi
結論を出すな
desune…

 
 
 
(ぽ391号・2010年6月)

2010年8月20日金曜日

ヴィーナス再誕

若草の茎の肌のように、
もし
眠かったら
おいで、この泉へ

淵に石たちが
ぷちぷち
粘膜のおしゃべりを続け
青や黄色の花々が
澄ました顔を陽に向けている
幻だったよね、きみ
求めてきた空箱や
欠けた陶器
抱いて!
若い日の肌さえ
思い出そうとしないから

濡れた肌の上
水の切れていく速さを
きらきら
楽しく追い直しているの
読みつくさないまま
瞬間の連鎖は放り出し
深海にくらぐら
沈んだり
浮いたり
思いちがいの
かわいい花籠たちよ
すっかり心やすく
解く
幾重もの衣
彩の
数かず


(ぽ387号・2010年3月)

夏の水原優希

足であり同時に踏みしめられる岩
見つめられる草の芽
喉にも上らなくなった言葉
言葉たち
スクランブル交差点でまだ迷っている亡心
地面にまだ着かないのですよ
まだ宙に浮いたままなのですよ
でも寒くもなくてね
もうすっかり荒地の風のようで
風の顔を持って
うなじにはまだ成り切れなさを残して
行かない
行かない
どの方向へも
流れてきて流れていくだけの歌のような無数の思い
思いはあなたですか
感じたこと感じなかったこと
忘れたこと
…うそ
あれは波の音
壊れそうにこんなに敏感になって
落ち切らず上り切らずどこまでも漂う
見えない蜘蛛の糸のひと切れ
ながいこと真実には発しないできた「私」という扉
森、遠くに、ああ、森…
過去なんてもうこだわってないから
血と息のなかに
今を拾い上げて未来を縫い進めていく生き物の健気な癖
動かされて動けるところまで
かなしく行くかなしく
見続けてたでしょ
対象はなんでもよかったのでしょ
まるで大事なものでもあるかのように
見るそぶり
聞くそぶり
死んでいるのは知っている
崩れるまで
まだ間のある珊瑚
美しければいいってものじゃない
時間つぶし
詩人なら詩人屋さんに買いにおいき
筋肉もちょっとは脂肪も
いずれ切り取られるためにつけて
いずれ燃やされるために蓄えて
動き出す森
動き出すはずの
不思議だ新聞が来る来るまだ来る旧聞の
人間劇だけが続いているというのに
新しいものはこの半世紀ビニールの肌触りぐらい
浸透していけないので水は驚いた
なんて粗いまま
宇宙に顔をむけてきたのか
たちまち時は過ぎ
時さえも時でなかったはずのものに過ぎ抜かれ
しかし空間に阻まれて
いつも色たちは色に幽閉されたまま
ここにいればいいなどと
居直ったのは誰
だあれ
流砂をここだなんて
呼んで冬の浜茄子
夏の水原優希
生きてる子
まだ生きてる子
きっと死ぬ
きっと死ぬ
んじゃないといいね水原優希
早朝の朝顔の開花
ひとりで見ていた子たちは
どこへいった
煙の遠い小焼け空
わかってるじゃない
ふりしているのさみんなしてわからないふり
あそこもここも
暗い
ほんとうは暗いところなのですよ
炎天の白い広場にすっかり日焼けして
涼しい飲み物を啜っている
白い夏服の女よ
いまこれからわたしたちの邂逅が起こる
からだとからだが近寄っていく厳しい約束の成就
消えたものが
永遠に戻ってこないなどというのか
真昼
真昼
真昼
わたしたちはやすやすと自我を換えて
目配せしたりしゃべるのに足りる程度の
簡素な「私」を取り戻していく
複雑さはヒイラギにでも引っかけ
出帆していく
深い青の浸透した
澄んだ繊細な水様のものの
湧出の
一瞬



(ぽ381号・2010年3月)

いつか時は伝える

まぢかにも
遠くにも
満開になった桜
デッキチェアなんか持ち出し
ひさしぶりの陽射しのなか
桜に包まれながら
きみは本を読んでいる

花に釣られ
春に釣られ
ぼくたちのように
暖かさへとさまよい出た
花見のひとたち
ちょっとふらふらしながら
あの枝へ
この枝へ
回遊をやめない

こんな明るいひかりのなかでは
去っていったものごとも
すべて
あざやかに見える
思い出すまでもない
ひとつひとつ
どれも位置を得て
あり続けている
ふしぎよ

なんと明るい桜日…

すっかりくつろいで
そよ風も
陽も
花びらも
肌にうけとめて
本など
こんなふうに
開いていたこともあったと
いつかきみは思う

時はきっと伝えていく
おなじ心ばえの
未来の
あたらしい人たちへ
きみの
こんなすがたを
この一瞬のことを
陽も
花びらも
肌も
みずみずしく輝いていたと



(ぽ389号・2010年4月)

天使たちにも呆れられるほどに

たとえば
言葉など書きつけながら
拵えようとしていなかったか
塀や支えや足跡や
墓標などさえも

もっともっと
失われるべきわたくしなのに
守ろうとしてなど
いなかったか

そとにあるものを
さびしくは拒まない
色もない
厚ささえない
うつわ

あんな
むぼうびに
ひらき切ってしまって、と
天使たちにも
呆れられるほどに




(ぽ373号・2010年2月)

ぷうっとふくれて

ぷうっとふくれて 男の子がバスに乗ってきた
つぶやいている

ムカツクンダカラ、マッタク
アイツラ
アシタ、ガッコデ
ブットバシテ
ヤルカラ

バス停には
何人かの男の子たち
友だちだろう
バスにむかって
やんや
やんや
はやし立てている

そっちを見ながら
つぶやき続ける
男の子

マッタク
ムカツクンダカラ
ホントニ
ムカツクンダカラ

ぷうっとふくれて
頬いっぱい
りんごみたいな
つやつやの
怒り




(ぽ369号・2009年12月)