2013年8月31日土曜日

正義正義で御座ります







あたしゃ、あんたたちに戦争の悪口は言わせないよ。戦争は弱い者を抹殺するって言うけど、弱い奴は平和な時だってくたばっていくのさ。ただ戦争のほうが、それに関わっている奴をもっとよく養ってくれるのさ。(…)戦争は商売そのものさ。
   ベルトルト・ブレヒト『肝っ玉おっ母とその子どもたち』(岩淵達治訳)





平和平和が口癖なのに
この国
なんと簡単に軍事介入を認めてしまうのか
やすやすと旦那国の好戦癖につき合ってしまうのか
それを
また見ている

遠い国で使われた化学兵器
それをだれが使ったのか
ほんとうは
だれがだれへ
どうして
どのようにして
使ったのか
調べる手だても
確信に到れるような情報も
自前では用意さえできず
すべては旦那国からの御下賜というのに
この国の首相ときたら
「化学兵器が使用された可能性が極めて高いと考えている」とか
「情勢悪化の責任は、
暴力に訴え無辜の人命を奪い、
人道状況の悪化を顧みない」当該国の政権にあり
「政権は道を譲るべきだ」とか
長すぎるのか
短すぎるのか
どこか回らぬいつもの舌で
ぺらぺら
ぺらぺら
表明している

いくらでも捻じ曲げられる情報というものを
ことに紛争や戦争の情報というものを
一方の側からごり押しに掴まされて
なんと安易に都合よく信じて
信じたふりをして
進めていけるものなのか
政治とは
外交とは
戦争とは

10万人も殺されているのを
もちろん
ただ傍観していればいいというのではないが
10万人も殺される状況を粛々と作りあげてきたのは
破壊と再建築で儲けようと狙う
あれらの国やこれらの国やあれらの勢力
ようやく混乱も実りに実って
国連などは袖にして
ここぞと国をあげて介入し
不景気も失業率もぶっとばせと
儲け算段に出た旦那国や
海外搾取や植民地化に秀でた昔なつかしい国々

若い衆たちの数えきれないからだをまさに粉砕粉骨され
銃後の家族も原爆の業火を浴びせられ
敗戦民の昔よりの定めのとおり
すっかり従順なお妾に貶められたわが国も
旦那さまがそうおっしゃるのならばと
切り火までして
まぁ、いさましいこと

これもまぁ
安倍川餅の商売のうち
ささ、旦那さま
御心労なことで御座りますがな
たとえ大元の理由はなんであろうと
こと此処に到っては
無辜の民の人命
秩序
一大事で御座りまするな
そうして
正義
正義
正義
なんといっても
正義で御座りまするな
錦の御旗
ハタハタと
はためいているで御座ります
国際平和
暴君討伐
正義
正義で御座ります





2013年8月30日金曜日

いま起こっている






ふいに衰える夏の暑さに
さびしく
やわらかく共鳴する
こころ
からだ

滅びへと着実に歩を進める人類は
いま
すこし息をついて
虫の声など
聴いているのではないか

あした死ぬ人も
数年後に死ぬ人も
ひとしく
虫の音を聴いている夜がある

何年も
何十年も経ってから
思いの中で戻り
なんどもくり返して
聴き直すような
虫の音の夜が
いま
起こっている






                                  
   

2013年8月29日木曜日

またいつもの手か







 人間は、自分の目の前を通り過ぎていく
 事件の真の原因も影響範囲もほとんど
 見抜けないものだ。
                                        メッテルニヒ







またいつもの手か
第二次世界大戦の連合国側の国々
経済が悪くなるとやらかす戦争
一気に経済を立て直そうと
気に食わないところのあった国を吊るし上げ
ここぞと兵器を大量にぶち込んで
軍需産業大盛況
欧米の軍需産業界や関係産業界の株価推移を
しばらく前のものから検討してみれば
なにが問題なのか
狙いなのか
ありありと見えてくる
神経ガスなんぞ
どさくさにまぎれて持ち込んで使ったのは
なんとかタワーを破壊したあの国やこの国のお馴染の秘密機関
無根拠にイクラみたいな名前の国に対し戦争も起こし
真珠ミナトもわざと攻撃させ
芽岸子戦争の時にも自国民を最初に多量に殺させて
そうして徹底的に報復をしかけてくる例の国と
それを歴然と操る例の簒奪者の国

しかし
そろそろ地球が放っておかない
放っておかなくなってきている
自然災害と大地の変異は連合国側を大がかりに襲う
地球霊がわたくしに直にそう言ってきている
そう言ってきていると言っておく
いい加減にしておけと言っておく
陥没水没が激化すると言っておく
流出崩壊が激化すると言っておく









2013年8月28日水曜日

身を以て身体のなさが〈わかった〉こと








…..he was telling them that what they are experiencing here is not life, while showing them the way to life.What you are experiencing here is destruction, but Jesus knew the way out.That’s why he said, “Be of good cheer, for I have overcome the world”.

Gary R.Renard The Disappearance of the universe





ふつうの感覚を外れた経験が続いている

エジプトでの衝突での死者たちの映像や
シリアでの神経ガスで死傷した人たちの映像の中に
たくさんの踊り浮かれる陽気な人々の影が
押しよせる透明の風船のように見えたり
洪水で大きな被災をする地域の名が
何日も前から頭を横切り続けたり

布団を干したまま家事を続け
夕暮れが迫っていた頃
ふっと疲れに煽られるようになって
畳に寝転んで
ひろびろと手足を伸べて
数十分
ひさしぶりの身体のひろがりを味わっていた
ベッドや布団の上に寝るのでなく
こんなふうに畳や板の上に横たわって
ひろびろと手足を伸べて
全身をくまなく意識で透視し
まさに意識だけでクリーニングし
メンテナンスするのこそ誰にも大切だと〈わかった〉

そろそろ起き上がろうかと思った時
ふいに強く〈わかった〉のは
わたしはここにいないどころか
さっきまで伸ばしていた身体など
どこにもないのだということ

奇妙な体感だった
身体などないことを〈体〉感したというのだから
しかし身を以て身体のなさが〈わかった〉
身体を以て身体のなさが〈わかった〉
しかもわたしはここには居らず
身体になど居らず
そうしてわたしは居る!

このように書いても
奇妙な記述と受け取られて終わるか
詩的な形式によるご愛嬌と受け取られて終わるだろう
近代の自我の表白形式として詩形を使わなくなって久しいが
詩形が自我に囚われた人々の場であるかぎり致しかたない
しかし近代的自我の現われる前から詩形はあり
盛られたのはつねに魂の導きや死後への助言
また書き手の自我を超えて下りて来る預言の言葉だった
再びそのように詩形を使い始めている人々が現れてきている

耳を傾けてもらう必要はないが
―というのも知るべき人たちには伝わるよう
配慮されているのが霊的なもののさだめ
聞く人たちは聞き
わかる人たちはわかり
なにか〈わかった〉と思う人たちは思うだろうし
そう思わなくても黙って修正していく人たちもいる

かなり前から来ている重要な示唆だが
助言や教えは今後さらに
偶然とみえるかたちで個々人に示され
ときには思いつきや啓示のように与えられるだろう
それらは世の中の力から発せられることはないし
報道網を流れることはない
人のうわさの網も流れないだろう
すべては毒されているから
ただ小さな糸や流れを伝わることはある
もし個々人の直観がうなずくならば
それらは大きな方向変更を一瞬で起こすだろう
気づきは感知できるかどうかという小ささで来るが
気づいた時にはその大きさにたじろぐ
他の人びとにも伝えなければと思うだろうが
ほのめかし程度でやめておくのがよい
気づく人たちは同じように気づいているから
家族や親友たちであってもつよく伝えるのは無意味だろう
聞く耳を持っている人たちは言う前から知っており
聞く耳を持たない人たちは何度言っても聞くことはない

ただひとり安寧してあれ
ひろびろとした畳や板の上で
手足を伸ばして身体すべての詰まりを定期的に除き
それとともに精神と魂の詰まりが消えるのを確かめ
同時に
身体などないこと
ここになどいなかったことを
把握しなおすように

すべてはそこから
ひとまず
知や情報や思考は

わきに置いておくように








2013年8月26日月曜日

沼に戻らない選択肢



 

 
詩と呼ばれて

いるものを早朝の沼に

置き去りにして

村のほうへ

 
しかし

死に絶えた村

 
閉まって久しい

小屋のような郵便局も過ぎ

高低の背の

草の茂る空地を

いくつも過ぎ

 
このあたりに

A子が住んでいたが

―とよぎる

思いの湧く一角にも

なにか知れない

錆朽ちた大きな金属の塊が

草に埋もれている

 
煙草もなく

茶の小瓶もなく

メモ帳さえなくて

見まわしては

なにをするでもなしに

人生のように

重心をたえず変えながら

立っているばかり

 
せめては

記憶しておいて

Z男に伝えようかと思うが

あゝ彼も

そもそも架空の人物

 
また沼に戻る

戻るしかないが

昼前の沼にか

思いきって

夕暮れの沼にか

そんなことを思いはじめるうちに

沼に戻らない選択肢が

ゆっくりと血肉をとっていく










2013年8月22日木曜日

ひそやかな過程


  



夕食に使った食器類
シンクに運びはしたものの
洗いを終える間もなく
眠気につよく襲われ
座り直した食卓のイスで
引き込まれるように
うとうとし始める
ちょっと眠ってから
洗いものは済まそうと
寝室に行って横になった

目が覚めると
もう二時
食器を洗っていなかった…
と起き上がり
少しふらつきながら
台所へ

自分で置いたとおりに
食器は積み重なり
コップやグラスは並び
なんのへんてつもない光景
スポンジを取り
洗剤をつけて
蛇口から水を出しながら
さっそく洗い始める

しかし
ふいに気づく

打たれたように
手を止め
山をなす食器の光景を見直す
なにに気づいたのか
気づき直そうとしながら

…聖なる配置
…聖なる秩序

大げさは承知で
そんなことを思い
光景をつかみ直そうとする

夕食の後の食器類が
自分が運んで自分で置いたままに
並んでいる
重なっている
それだけのことなのに

つよく
はっきりした意思によるかのように
このように
他のかたちではありえないように
まさにこのように
こうあるべく
絶対にこのように
こうあるべく
並んでいる
重なっている

爆発の閃光のように
光景は深み
ひろがり
過ぎた時間のすみずみにまで及んで
自分のすべてが
どうして
こうあらねばならないか
どうして
あのようであらねばならなかったか
スッと
ではなく
ズドッという感触で
腑に落ちた

…聖なる配置
…聖なる秩序

大げさは承知で…

食器類を洗い終える間もなく
眠気に襲われ
寝室に行って横になり
二時に目覚めて
少しふらつきながら
台所へ…

そのようになるべく
太い
ながい不可知の配慮で
綿密に組まれ
織られていた
なんのへんてつもない光景への
ひそやかな過程

そうして
また
次の光景へ
なんのへんてつもない光景へ
また
その次へと

そのようになるべく
太い
ながい不可知の配慮で
綿密に組まれ
織られていく
ひそやかな過程











2013年8月20日火曜日

ひとよ




  


ひとはあこがれる

ひとより美しい顔と体を持つこと
ひとより割のいい収入を得ること
ひとよりすてきな恋人を持つこと
ひとより知性も感性もたかいこと
ひとより判断力決断力もあること
ひとより閑暇をたくさん持つこと
ひとより上質の食事をとれること
ひとより格上の配偶者を得ること
ひとよりすてきな住居に住むこと
ひとより瀟洒な服を着ていること
ひとより慕われつづけていくこと
ひとよりりっぱな墓所に入ること
ひとより死後も語られ続けること




せめては

美しい顔と体を持つこと
割のいい収入を得ること
すてきな恋人を持つこと
知性も感性もたかいこと
判断力決断力もあること
閑暇をたくさん持つこと
上質の食事をとれること
格上の配偶者を得ること
すてきな住居に住むこと
瀟洒な服を着ていること
慕われつづけていくこと
りっぱな墓所に入ること
死後も語られ続けること

にとどめ



さらには

美しい
いい
すてきな
知性 感性
判断力決断力
閑暇
上質
格上の
すてきな
瀟洒
慕われ
りっぱな

に鋭く寄り道することがあっても



やがては

顔と体
知性 感性
判断力決断力
食事
住居
墓所

程度に満足して戻りゆき



最後は

ひと
ひと
ひと
ひと
ひと
ひと
ひと
ひと
ひと
ひと
ひと
ひと
ひと

でよしとなれ



ひとよ












2013年8月19日月曜日

そういう表現でいいと思っている






生活は続けるほかないものだろうが
だいじなものではないように思う
わたしというものはだいじではないが
あなたというものもだいじではないから
ここだけでなく世界中の
わたしもあなたも同様にだいじではないから

だいじではないからどうでもよいというものでもない
だいじでないからといって在るものはあり
無くなるものは無くなる
無くならないものは無くならない

ここらへんの事情について
おそろしいほど愚鈍な考え方しかできない人たちがいる
どうでもよいわけではないなら
だいじだということだろう?
だいじだと言いなさい
だいじでした、はい、あいすみませんでした
そうあやまりなさい
などと言い募る人たちがいる

ひとりやふたりの人間が
あるいは地上の多数の人間が
なにかをだいじだと言おうが言うまいが
なにかにとってそんな評価はどうでもいいことだが
だいじだと言いなさいと言い募る人は
なんというか
人間的に美味しくない人なので
わたしは近寄りさえしない
あたりさわりないご挨拶やお世辞だけを
言っておくことにしている

そうして
お亡くなりになっても
出向きもしない

そういう表現で
いいと思っている

社会という辺鄙な閉鎖空間にあっては











2013年8月16日金曜日

もう憑いちゃったわよ








だれにも読まれないはずのものを書き続けていると
しずかにおだやかに
どこまでもふつうの人として
ふつうの人ということとして
はっきりと
狂気の域に入っていることに気づく

言葉がコミュニケーションのためのものだとは聞き飽きたし
かといってディスコミュニケーションの最たるものだ
などという言説にもウンザリしている

言葉は情念だから
冷たいメスの先っぽでちゅんちゅん素材に触れるような
学者さんみたいな使い方じゃ
ダメなんだ
つまらないんだ

ふと目に止まったキレイな娘の
ついて行っちゃおうかな

などと思う

いいえ、ヘンタイさんじゃないですから
付いて
ではなくて
憑いて

姿もかたちも見えなければ
なにをしても
いいのさ

憑いて
いく

あの子にも
あなたにも

言葉って
そういうもの

ほんと
除霊の呪文が
必要よ

憑いて
いく

憑いて
やる

あなたにも

祓えるかしら

もう
憑いちゃった
わよ

言葉って
そういうもの