2013年9月30日月曜日

こんなことも




  


ああ
あの道を曲がって
ちょっと行ったところの草っぱらね
駐車場のわきの
あそこ

殺されて
あそこに埋められていた男が
夜な夜なやってきて
土をほじくっていたって


それだから
まわりの住人が不審に思って
通報したって

埋められてた男が
自分で
自分をほじくっていたって


真昼間にも
来て
ほじくっていたそうな

あるんだね
やっぱり


こんなことも







2013年9月29日日曜日

えめらるど


 




影と飛行船を浅く沈めて
えめらるど
えめらるど
少し
ふるふる
半かたまりに震える
この湖水

標識が立っているね

ぼくらが
やってきたほうを
あんなに
しっかり指しているんだ

ここまでは雲も来ない
どこかで
せき止められて
雲たちは
かたまって
山になってしまっているんだろう
ほんとうは
橙色になるらしい
雲がいっぱい
かたまってしまうと

とにかく
ここでは空気がさわやかだ
少し寒くて
少し覚醒が増す
冷えすぎるのはよくないが
肌がちょっと
冷たくなっているのは
いい

ほら
触ってごらん
この腕
なにかのはじまりのように

ひんやりしているから
                               
   




もっとすごいものが来るよ





国の中央にすら見捨てられたところが多くなる。
なお、そこに十分の一が残るが、それも焼き尽くされる。
イザヤ書6.12 





震災のあとで
東北がんばれ!と言った人たちをほとんど信じなかったのは
アメリカが勝手にじぶんの利益のために始めたあのイラク戦争に
ほとんどの日本人はうるさく反対を表明しなかったし
ことにガザ空爆がひどかった時でさえ
なにもなかったかのように
テレビもふつうの人びとの生活も
どこ吹く風のありさまだったから

なにひとつ頭で考えずに自動書記して詩のように書くぼくは
下りてきた通信文句そのままに
いつかあなたがたの上にミサイルが来る
いつかあなたがたも大量死する
と詩のかたちでたびたび書いたが
もとよりたくさんの人目に触れるものでもなかったから
だれかに届いたわけでもなかっただろうが

ほぅら、来た…
と震災の時には思ったものだった

まだ来るよ
まだまだ来るよ
もっとすごいものが来るよ
2011年の大震災はまだまだよかったんだねえ
みんながそう思う時が迫っているんだよ
とぼくは言っておく
そういう通信が来ているから

くわえて言っておけるのは
これが生き甲斐とか
これが人生の楽しみとか思えるものを
いまのうちに迷わずにやっておきなさいということ
それらはほんとうにできなくなる
やる場所もお金も時間も
そもそも体もなくなってしまうから

しかし
日本人はまだまだ災害には慣れている
地震と台風に練られて数千年暮らしてきたのも伊達ではない
死んでしまったのならしょうがないとか
死んだら死んだで生き残った者がなんとかしていくほかにはないと
そういう転換ぶりもやはり大したもの
すぐ近くでさえ外国諸国はこうはいかない
これから世界中に起こっていくことは
日本が経験してきた災害やこれからも経験する災害どころではない
人びとは死体の上に眠り
死者の腐肉や血さえ無駄にしないように口にするだろう
美しかった石造りの街はそのまま石の墓場になる
構築的な思考の文化はそのゆえに化石化する
あまりに多くの街が海に沈むので誰も記録さえしなくなるだろう
記録はもはや電磁的にはできず
紙は水に流されあるいは黴に侵され燃え果て
石に刻む技術を持った者たちがふたたび必要とされるだろう
朝から晩まで死が来る
死が来続ける
さっきまで生きていた人が夜には腐っていく臭いに街が満ちる
戦闘兵器を大量生産した国々は
国土がそれらで夥しく汚れていくのを経験し
生き残った者たちはまるで朽ちた金属の山々に生息する動物のよう
金属色の肌だけを持つようになるだろう

よくよくあなたがたに言っておく
もう十年はもたない
十年後にあなたがたの家族はなく街はなく国は破れた旗のようになっている
はやめに死んだ者たちはさいわいである
生きて腐っていく苦しみから逃れられるから
各地で海へ集団で身投げするイベントが企画され
美しいことで有名だった海には多くが詰めかけるだろう
数百人身投げイベントは毎日のようになされ
時には数千人身投げイベントさえ催されるだろう

すべて地球が再生していくためには避けようがない
地表にとって人間は常在菌のようなものに過ぎなかったというのに
それをまず悟るべきだった人間の理知は本当の理知ではなかったの
自分が寄生している身体を甚だしく損なうことになってしまった
遅すぎることはないなどという気休めは
ビジネス書の軽薄な字数埋め用の言葉にはなっても
真実の前では意味を持たない
遅すぎることはあり
高所から身を躍らせた者が
遅すぎることはない
などと思いついてもなにもならない

楽しいと思うことをやっておきなさい
遠くないうちにそれはできなくなる
楽しいことなどなにもない時代がくる
みんなで海に身投げしたり
油をかぶって大人数で火の柱になったり
殺しあいをして最後の興奮を味わったり
意味もなく他人を嬲り殺したり
刺したり切り殺したり
そんなことの他には
下卑た楽しみさえ味わえない時代が来る





2013年9月26日木曜日

どちらも






コーヒーを淹れたけれど
飲むブルガリアヨーグルトも
コップに入れてある
ほんの少し
お腹がすいたので
フルタの生クリームパイと
森永のチョコチップスを
ひと袋ずつ
夜食に

そうして
パソコンを点ける
なにか
文字を書こうとして

なにかに
向かいあおうとしている?
なにかを
はっきりさせようと?

たぶん
たぶん

しかし

とにかく
自分にではなく
ましてや

にでもない

どちらも
向かいあいようも
ない

どちらも
ない
とまでは言わない
が                         
   





コマーシャル



  


世の中はうるさすぎる
ぼくはそれでも虎
茶!
茶!
そぼろご飯の
ピントが
ふにゃけて
くつろいでいる藤沢くん
ネクタイを
しおりにしているいつものチョーサー
ぬるい頃
おしめはアメ横
あめりかんよこはま
ボンボン
古酒いれちゃって高級で
彼岸過ぎ
ても
にゃんにゃん
まぁ!
んまぁ!
亀頭は兼六園
ほんとの
どうぶつ
寿司くいてぇ
寿司くいねぇ
まずいぞ
あそこは
忌!
ぞぞぞぞ
忌!
んぞぞぞぞぞ
忠臣蔵
だもんねぇ
ムカデ
集団行動の人たちなんて
人なんて
うるさすぎる
世の中に
無粋な
一時過ぎ
こよ
コヨーテなみに
ふくらし粉
ぬめぬめ
引き下がって
昼間の
誰もいない
台所
ちいさなテレビの
ひとり
わいわい
コマーシャル









2013年9月24日火曜日

外に出てきて







暴風雨なのに外出しなければならなかった昼


用事は終えたものの

やはり途中で降りこめられた


おんぼろのそば屋を見つけ

休んでいると

ざんざん降りの続くわきの舗道を

若者がびしょ濡れになって

ひとり

歌いながら歩いて行った





こんなにも

せつない思い

きみは

わかってくれないのかい

ああ

どう伝えればいいのか

ああ

永遠のこのぼくの思い




ししとうの天ぷらを齧りながら

遠くなっていく

若者の声を聞いていた


よかったかもしれないな

今日は

外に出てきて






2013年9月22日日曜日




  

言わないでそこに
いる
だけの
ブイ

もう暮れよう

している

水に
いつか戻っていく


しょう?

輪郭なんて
失って

その前に




水に
からだの芯が
おもてが
筋の
どれもが
出会う前に

暮れようとしている

まだ
わたしの芯に
出会っていない水

暮れが
降りてきて
いる

(それとも
(覚えているかしら
(水
(だった頃の
(わたし
(芯も
(なかった
(頃を
(…












(見えるもの、聞こえるもの
(そちらに傾き過ぎるのは
(やはり
(病で

(何度でも
(ふかく
(ふかく
(見えないほうへ
(聞こえないほうへ
(退く
(努力が要る

川が流れているでしょう?

川が流れているのですよ

見えない川
聞こえない川

どうします?

向きあいますか?

向きあいませんか?

見えない川
聞こえない川

流れているのですよ










2013年9月20日金曜日

秋の草になりきるまでは





 
秋の草が
秋の草になりきるまでは
まだ間があるものの

そのあいだも
時の奔流はやまず
すべきことひとつひとつが済むと
どう生きようかと
はげしく
迷っている

いくらでもすべきことはあり
すべきことを
放棄する一瞬の選択こそ
すべきこと

どう生きようかと
はげしく
迷っている
どう捨てようかと

秋の草が
秋の草になりきるまでは
まだ間があるものの






2013年9月19日木曜日

進むべきは


  


頭のいい人たちが寄ってたかって
核兵器を作り
地雷を作り
官僚制を作り
全体主義を作り
マネーゲームを作り

だから
とうに答えは出ているんだ
進むべきは
頭の方向ではないと







                                  
   

2013年9月18日水曜日

神事






九月十五日は伊勢も
台風のために大雨だったが
遷宮を控えた伊勢神宮外宮では
新正殿の扉を完成させる御戸祭の時だけ
雨が止んで晴れたそうな

正午からの多賀宮での御戸祭でも
神事の時だけ
雨が止んだそうな

どちらも
神事が済むと
大雨が戻ってきたのだと

出雲大社の際も
そうだったと聞いた

遷宮儀式の時には
神事の始まりとともに雨が止み
終了とともに
降り始めたのだという







2013年9月16日月曜日

枯葉になるまえに



  

枯葉が
枯葉になるまえに

けれど
みどりも
褪せ出して
生気もだんだん衰えて
疲れたようすが
みなぎって
終わっていくかと
見えるのに
どこか抗う
もう一歩
まだ枯葉には
なるまいと

枯葉が
枯葉になるまえに

                                 
   



2013年9月15日日曜日

カエルが賑やか



 


夜明けのうちから
カエルが賑やか
緩急あるが
雨は大雨

颱風来るぞ
東京にまで
たいへんな雨に
なるそうな

人間さまは
大困り
そんな困惑
どこ吹く風で

夜明けのうちから
大はしゃぎ
来るぞ来るぞと
カエルが賑やか

                       
   



2013年9月14日土曜日

ミネラルウォーターを飲んだりそばを食べたりしている





 
へいきで
社会
などと言ってるが
ちょっと外へ出てみても
社会
なんか
ないわけ

まとめて言ってるのは
わかる
わかるんだが
そういうふうに
わかったつもりになっていたのが
はじまりだったかもしれない
大きな
大きなまちがいの

ミネラルウォーターを
買って飲んでみたり
そばを
食べたりしてみる
社会
社会って
考えてたから
なんだか
社会そばを啜ってるような
社会ウォーターを飲んでるような

ものがあるのさ
事物があるのさ
社会なんてないだろ
観念さ
そんなの
―というのも
ダメ

あるのさ
社会は
ものも事物も
やっぱりあって
まだ
ミネラルウォーターを
飲んだり
そばを
食べたりしている

やっぱり
社会そばとか
社会ウォーターとか
呼ぶのは
やめておいて
ミネラルウォーターを
飲んだり
そばを
食べたりしている