2013年10月29日火曜日

とてもステキな感じだ、藤村尚子よ!







巡回している低空飛行型低所得者用住宅QR(1DKタイプ)
藤村尚子に昨日語りかけた内容の骨子:
(1)安いものでいいから毎週切花を買え。
(2)居間の窓はある程度磨いておけ。
(3)玄関に靴をたくさん出しておいてはいけないという風水や疑似風水のアドバイスは無根拠な嘘だし、気学や運勢学のほぼすべては否定されるべきだが、人骨のとりわけ頭部や大腿骨の一部などを金属製の器に置いて飾っておくのは非常に運勢的に良い。器は金製である必要はないが、反射の強いものがよい。
(4)ペンは高価なものを必ず一本は持ち、つねに使え。
(5)ユニクロの衣類は使うな。
(6)野菜を食べるのは実はさほど重要ではなく、ラムと玄米の常食こそが健康を作る。
(7)意外と永井荷風の有名でない短い小説や随筆は脳の活性化によい。
(8)小津安二郎を見たら必ずタランティーノを見ろ。
(9)時計を一台も家に置かないのが長寿の秘訣。ただし腕時計やスマホなどの目立たない時計はよい。時間はそれらで知ること。
(10)木綿とウールを再発見し直し、生活の中で重用せよ。他方、ビニール製の細い指輪を人差し指に外出時のみ巻くと、宇宙との交信が促進される。

藤村尚子が急にさっぱりとし出したのはこれらを聞き入れたからかもしれないが、今、あそこでスイトピーを選んでいるよ、あの娘。最近は晴天の日でもイエローのレインコートを羽織っていることが多いが、いっしょにグリーンの雨靴を履いている時にはとてもステキな感じだ、藤村尚子よ!

今日はこのくらいにしておくが、藤村尚子にはまた登場してもらう
つもり
 森にも

行く!!!

                                  
   



2013年10月27日日曜日

はじめるのは白からではなく







はじめるのは白からではなくたいていは避けようもなく色の混濁か

低く軍用機が過ぎていく
平和の
アールグレイのポットをそっと置いて
老いよう、ひとしきり
とアポロはアフロディテに呟く

誰もいない広大なテラスの
(はじめから誰もいなかったのか
(誰もいなくなったのか…
大理石の手すりには
そこここに
苔が生えてしまっていて
それが美しく寂しい

いっしょの時間に休むことを
だいぶ以前からしなくなってしまったので
まるでわたしたちは別の生に旅立ってしまっているかのよう

あまい統辞…

はじめるのは白からではなくたいていは避けようもなく色の混濁か


だからこそはじめ直す
抽象と断層という救いを
ソナエテオケ、
イツモ

はじめるのは白からではなくたいていは避けようもなく色の混濁か


と                                  
   






出発!






うっかりすると
ぼくもけっこう世を憂うクチだが
現代という時代は
専門家でもない人間がいくら心配しても
どうにもならないことばかり
しっかり知識を蓄えて的確に憂うにしたところで
大問題ほど官僚や業界の手中ふかくに握られていて
手続き上なかなか辿りつけなかったり
どうにも動かせなかったりする
そればかりか
ふつうの人たちが憂うこと自体が
特定の政治見解や利益集団にとって得になったりもする
人類愛も
地球を守るのも
国民の権利や平等を守るのも
じつは誰かの収益アップや昇進に繋がっていたりする

そうして思うのは
けっきょく
社会的なことについては
一切なにもしないで
やりたい人たちに任せておくのがいちばんだということ
なにやかやとかこつけて動きたがる人たちは多いのだから
かれらに任せておくのが効率もいいし
だいたい(なんども経験があるのだけど)
こちらがシャシャリ出ていくと
おれらの島だっていうのに余計なことをしに出てきやがって
とこちらを妨げにかかるかれらでもある

世の中のこと
国と国とのこと
どこの大企業がどうしたこうしたということ
思想がどうの
流行がどうの
風潮がどうの
なにかとかこつけて動きたがる人たちに任せておけば
こちらの時間や労力は省略できるし
かれらはヒーローぶっていられるし
マスコミは知ったかぶりしていられるし
ぼくは知人たちに無難なふつうの人と思われ続けられるし
なんとも穏当で賢明な大人ぶり
どうせあらゆる大問題は解決しないで来たのだし
朝まで生テレビや雑誌の討議ページなんかで議論ショーになる程度なのだし
しばらくすれば本当に誰も覚えていないのだし
やっぱりどうにもならなかったんだね
世間はすぐ忘れるし
がたがたやっていればヘンな人としか思われないし
なんでも水に流す国是だしね
と茶飲み話や居酒屋のちょいとしたつなぎ話ぐらいで
けっきょくは終わっていく
居酒屋でだって
そんな古い社会問題ばっかり話していれば
ちょっと空気の読めないつまらないヤツだと見られて
置いてきぼりにされたり
次からは声をかけられなかったりする

こんなぐあいだから
ぼく自身にとっての本当の大問題とはなんだろう
いま真向かうべきことはなんだろう
そう考えると
やっぱり原発問題でもなく
尖閣諸島でもなく
TPPでさえなく
秘密保護法でもないということになる
長いあいだ読み続けてきている古い古い作家たちの本の
あそこをもう少し詳しく考え直したいとか
じぶんの詩歌の口調を違う方向に展開しようかなとか
見たかったのに見ていない映画をそろそろ大量に見終えたいとか
馴染んできた外国語の文法の難しいところを
ちょっとこまかく復習し直そうかなとか
そんなことこそが思いに上がってくる

そういうわけで
そろそろはっきりと言っておこうかと思うのは

さようなら原発問題
さようなら福島第一発電所
さようなら尖閣諸島
さようなら竹島
さようならTPP
さようなら秘密保護法
さようなら人権問題
さようなら憲法問題
さようなら再軍備問題
さようなら沖縄問題
さようならパレスチナ問題
さようならシリア問題
さようなら西洋ならびに東洋哲学の諸問題
さようなら現代小説の新展開
さようなら現代詩のどうのこうの
さようなら文学研究の刷新
さようなら現代日本社会における生き方
さようならあらゆる人生論
さようなら全領域の学問
さようなら趣味のあらゆる領域
さようなら旅、スポーツ、余暇のあれこれ
さようなら美術、音楽、演劇、映画
さようなら料理、グルメ、B級グルメも
さようなら雑誌が特集しそうなすべて
さようなら書籍になるそうなテーマのすべて
さようなら禅、祈り、瞑想、心や魂のなんとかかんとか



出発だ!
                              
   





2013年10月26日土曜日

またまた、ネガティヴですねぇ…






また台風が来るという日に
―今度はそう大したことはなさそうでは?…
―注意していれば大丈夫だろうし…
―すぐに過ぎていきますよ…
などと
職場のエレベーター前で
思いつきの浅い言葉が続いている

―また人が死ぬなぁ、人はこつこつと死んでいくからなぁ…
わたしもそう言ってみたら
―またまた、ネガティヴですねぇ…
と返された

どこもかしこも
死が累々としている
と見えるのは
わたしだけ
…ではないとは知っているものの

死も〈ある〉ことの要素だとふつうに見ている人と
死を排除して日々を見ている人と
なにごともなく混ざりあって
世というスープは
薄くうすく
温まっている

死を思わない人は
きっと
死ぬこともなく
ある日
かたちを失っていくだけなのだろう

―あなた、死んだんですよ
などと言ってやろうものなら
―またまた、ネガティヴですねぇ…
と返されるかもしれない





                             

2013年10月25日金曜日

あかるい木の床の上に








日本が最高だとも
最低だとも
聞き飽きている

中国の国慶節
国旗掲揚を見に
十一万人が
天安門広場に集まったが
民衆が去った後に
落ちていたゴミの量は
五トン

フィリピンのルソン島では
移住した日本人の家に
近所の子が入って
冷蔵庫を勝手に開けていたので
日本人はそれを叱った
それだけなら
どこでもありそうなことだが
その子の親が怒って
報復のため
日本人を射殺したという

日本の原発
いまさら何をかいわんやだが
最高水準と売り込んで
新興国への売り込みに必死
アメリカの
ペーパーバックスの通俗小説には
最高とかブリリアントとか
今年いちばんとか
見たこともないほどのとか
広告文句がずらっと並ぶけれど
最高ということばが
そもそも広告用だったんだな
人はいつ
ちょっと声をあげて
最高
なんて言うのか
用例をおさらいしてみれば
すぐにわかる
その場の人間関係で
自分がちょっと目立ちたいとか
一言居士的にちょっと秀でたいとか
そんな時の
さびしい定型句「最高」
そんなものに
過ぎなかった「最高」

ふと
夢を見たのだ

あたらしい
きれいな家を見ている
大きな窓から
陽がさらさらとゆたかに注いで
採光が最高
などと思いながら
あかるい
木の床の上に
いつまでも立っていた
                                
   





たのしみ


  



ことばでは〈思い〉どおりになど表わせるわけでなく
ことばにはことばの癖や傾きがあって
表わしはじめるやすぐにあらぬかたに曲がっていって
はじめの〈思い〉とは似てもにつかぬところへ引きずられていってしまう
たのしみ

詩などと大仰に呼ばなくてもいいけれど
分かち書きして〈思い〉を追おうとしてみれば
ひとつひとつのことばに勝手気ままにはじかれ続ける
たのしみ

日ごろそれらを使ってなにごとか考え判断し決定しているつもりで
こんなにわけのわからない動きをする連中なんだと
身をもって徹底的に知らされる
たのしみ








2013年10月24日木曜日

球体水槽







本を浸け
いつものように
水草の
繁茂する
球体水槽のわきに
眠る

そうすると
夢を
見ないから
静かな空白に
しばらく
なっていられる

本が
水を吸っていく音を
ふかぶかと
聞いている間に
世界というものは
脱皮を
遂げている

その瞬間を
つかみたいとは
思わない

容易すぎるから
                               
   





2013年10月22日火曜日

気持ちのなかに






うすく霧のかかる
林に
しばらく
いたようだ

夢のような気持ち

気持ちの
なかに
いた
気持ち


やがて、そういうわけで、もっとも、だからといって、そう、ふふん、まぁ、なんてことを、もう、はじめから、そろそろ、これぐらい、とはいえ、とはいっても、あんなにも、なのに、したがって、で、…


しゃべらないで
いた

だれも
いなかったし


やがて、そういうわけで、もっとも、だからといって、そう、ふふん、まぁ、なんてことを、もう、はじめから、そろそろ、これぐらい、とはいえ、とはいっても、あんなにも、なのに、したがって、で、…


ことばは
水切りの石

拾いあつめて
手に
いっぱい
足元に
いっぱい

水面に向かって
ちゅくちゅく
投げて


やがて、そういうわけで、もっとも、だからといって、そう、ふふん、まぁ、なんてことを、もう、はじめから、そろそろ、これぐらい、とはいえ、とはいっても、あんなにも、なのに、したがって、で、…


なにか
したような気になって
ちゅくちゅく
投げて

水切りされて
石は
沈んでいく

うまくいっても
いかなくても
戻ってくる石も
ない
いつまでも
浮いている石も
ない


やがて、そういうわけで、もっとも、だからといって、そう、ふふん、まぁ、なんてことを、もう、はじめから、そろそろ、これぐらい、とはいえ、とはいっても、あんなにも、なのに、したがって、で、…


うすく霧のかかる
林に
いた気持ち

気持ちのなかに
居続けているでしょ?

なにかしたようでも
しなかったようでも
気持ち
のなかに

ただ
気持ちのなかに






2013年10月21日月曜日

波に揉まれながら至福の思いでほんのわずかふり返る人びとよ






ひかりの濃薄の動きはわずかながら風を起こすので
いつも肌は地球のどこの地表とも同じように大気の揺られている
人間の粗い聴覚には聞こえないが
手の甲の上でさえ風音がつねに凄まじいのだろう

どこまで人間であるか
否か

むずかしい問題ではないがついに究極の答えは出ないので
行き当たりばったりでいつも行くしかない

風よ太陽よ大地よなどと
自然に人称を一時的に与えて呼びかける人びとがいるが愚かしい
人称にふさわしくないものに本当に呼びかけるすべはどこにあろう
圧倒的に日の出され日没されて満ち引きされて
されてされてされてされてされて
行く
というより行かされる他ないではないか

人間の意思など!
人間の意思など!

ここに巣穴を掘るかむこうの丘に掘るかを蟻が選ぶほどの
知力しかせいぜいないというのに
大宇宙の人間でございと自尊して本当に出来するものがなんだというのか

地下室の手記でしかないあらゆる詩歌を
砂浜の水際ぎりぎりまで引きずっていったとしても
波に身を洗われた瞬間にきみはすべてを自然に手放すだろう
たいていは黒い細い細かな線でくにゅくにゅと記し続けてきた人よ
人びとよ
記してこなかった人びとにしても音で声で宙に記し続けてきて
波にやがてはすっかり陶然と呑み込まれていく人びとよ

波に揉まれる前に音も声も線も手放してよかったかもしれないと

波に揉まれながら至福の思いでほんのわずかふり返る人びとよ


                           
   


2013年10月20日日曜日

この世は夢のようではなく本当の夢







この世は夢のようではなく本当の夢
たったひとつの意味もないので
心配することはないよ、思い悩む人たち
不幸だとつらく思う人たち
心身を損なって終焉へとずり落ちていく気分の人たち
本当にこれっぽっちの意味もないので
希望を持つのも無意味なら
得られたものを幸せに思うのも無意味
どんな豪奢な長い長い暮らしを夢の中でしても
醒めた時には幾らかの記憶は引きずったとしても
醒め切った時にはこれっぽっちの余韻も残っていない
抓れば痛い体があって経験している夢だといっても
夢の外でも抓れば体は痛いか、そもそも体があり続けるか
意味もなければ感情を右往左往させられる必要も
全くなかったと悔やみこそしないものの
あんなことが起こっていると思い込んでいたのだな
あんなことに真剣になってもいたのだなと
夢の退いていく間際にほんの少し思いながら
すべては音も立てずにもともとの姿に
なにもなかったという姿のままに消え去っていく
                                  
   




2013年10月19日土曜日

括弧の侵入、冬の近づき







静か(な大気の広がる夜にも蔓植物はあからさま)に伸び
星(を隠す雲の下でもしばらく守る)しかない自分
海から離れ(れば山を忍ば)ねばならず
海(山を忍ぶこ)とも
離れる(こ)とも

ま(だ妖精であり得ないというな)ら
広(く硬い冷た)い(岩盤の露出の上に日)夜を過ごして
生き(のびもす)る
生き(のびもし)て(どうす)る
体(の十分に堅固ではないやや寿)命(の長い生物)を続けて
もの(そのもの)を(ついに)知る(ことはできな)いま(ゝに)
思(念の)虜

定期(的な喪)失(の底に汲む力を蔓植物のよ)う(に育む)
代(々の)生(来の癖を)青々と(主張して)じつはカワウソ(のような)顔を
のっぺらと捨(て、隠し、左右対称の斜めの)棒(を支)え(あわせ)て
他(の動物を少し超え出た何)者(か)の
振(り、こ)れ(も)
代(々の)生(来の癖。…と手)を(また)伸ばす(嗜好品の)
液(体、あれやこれやに、)冬(の)
近づき

                              
   




2013年10月18日金曜日

引っ込み思案の狩人、わたし!






 
ミネルヴァの梟の寝込みを襲ってあらかた食べてしまったら
森はすうっと地面に吸い込まれ
大地はやわらかい人肌
歩き方もこれからは考えないといけない
底の硬過ぎる靴などは履かず
スパイクシューズなどもちろんダメで

思うことと考えること
思い出すことさえ
鏡に映った景で鏡の上にも中にもないから
広大な人肌の上に取り残されたようになってみると
いつも身近に浮いて付いてきている鏡は
もう玩具のようなものに過ぎない

わたしはしかし健康であります
いい調子でやっていますよ
固まった人びとは風化の過程、なにほどかの形を成したと信じ込んで
あんなに(まだ森に覆われていた頃の)大地で領土取りをしていたのに
いまではせいぜいちょっと大きめの蟻塚のように崩壊過程にある
音も立てずに風に崩れてうっすらと砂埃だけを立てている

なにも言うことのないのが偉大な作家で
ただ独特の言い方だけを彼は持っているとロブ=グリエが言っていたが
2001年のLa Repriseをまだ読んでいなかったので、なにかのついでに(そう、
Artpressのゴダール対談集やDenys Rioutの現代芸術論とともに…)買って
荒野!…のない!…新宿南口から東口に
ユリシーズなどせずに下がっていく引っ込み思案の狩人、わたし!