2013年11月29日金曜日

地球のつごうに


  



夜更かしも
徹夜も
夜を選んでいるのではなく
時間を超えているだけのことで
あたりまえの
ありかたのひとつにすぎない

地球のつごうに
そんなに合わせなくっても
いいと思うけれどね                                 
   





興味はないと





 

ほんとうは詩歌になど
興味はないと
詩歌のかたちで
いつ
どのように
言おうか

ほんとうはことばにも
興味がないと
ことばに染めて
いつ
どのように
ことばで言おうか

ほんとうはなににも
興味がないと
こころのよそ行きを脱いで
いつ
どのように
こころに言おうか

                                  
   





2013年11月27日水曜日





線を
他人とじぶんのあいだに
引きつづける

それを芸術と呼んだり
それこそ
じぶんの生だと叫んだり

そんなひともいる
人類の
九〇パーセントほどは

線が
線だと伝わる相手なら
他人ではないのに


                     
   

どうかしている






開花は
つぼみにとっては

どうかしている
死を
恐れるなんて

まるで
北から南に
行こうとしない鳥






                          
 

2013年11月26日火曜日

来てみるかい、いっしょに



 



ポップスの歌詞の断片に
耳は
ふと立ち止まるものの
聞きつづければ
やはり
ファミレスの料理みたい
もし
メロディーがなければ

(きびしいことを
(言いたいわけではないんだ
(そううるさくもない
(けっこう
(気のいいやつなんだけれどね
(ぼくは

あのあたりに
海が来ているんだが
ここからは
見えない
見えないけれども
あのあたりに
あのあたりから
海が聞こえている

手もとに
コロナビールでもあれば
いいんだが
冷めた缶コーヒーしかない
でも
それでいいんだ

こんなふうに
遠巻きに海を聞いていると
生きてきたとか
まだ生きていくとか
どうでもよくなってしまう
今だけがあればいいとか
そんなものでさえなく
とにかく
ここに今いるわけで
ほかの自分でありえないことの
この奇妙な自由さ

風が吹いてきている

海のほうに
行ってみようと思うんだが
来てみるかい
いっしょに






        

2013年11月25日月曜日

ぼくはひそやかに毎月それを見に行く







意味のある細道をたどって
柳がさらさら

皿、…

と思ったがもちろん皿が細道に落ちていたのではなく
そろばんを持った子どもが
一目散に走っていった

あゝ、トニー谷の時代も
もはや
お花畑のむこうだ…

さびしいとか
むなしいとか
そんなつぶやきをしても
しょうがないじゃぁないか

だから
無意味のある大通りをなるべく歩いて
ステーションビルに
たこ焼きを食べにいこうとしている
ときどき
となりの甘味処のチョコパフェに惹かれるけれど
貞節、守るの、あたし

おじいちゃんのおばさんの恋人が
あんなに皺くちゃになってしまっても
真新しいテカテカの表紙の
乙女雑誌の最新号を
愉しみにして
毎月
スキップして本屋さんに買いに行くんだよ
あのひと

意味のある細道をたどって
柳がさらさら

ぼくはひそやかに
ひそやかに
毎月
それを
見に行く                                  
   





2013年11月24日日曜日

詩歌のあぶなさは






詩歌のあぶなさは
ありもしないかなしみを引き入れたくなったり
しなくてもいい闇の誇張に傾くこと
疲弊ややまいや死さえもが
よろこばしく美しい奇跡なのだと
思えるようになってから
出直しておいで
詩人たちよ                                 
   







忘れられた幽谷のしずけさを聞き






敗戦後の私は日本古来の悲しみのなかに帰ってゆくばかりである。
私は戦後の世相なるもの、風俗なるものを信じない。現実なるものも信じない。
近代小説の根底の写実からも私は離れてしまいそうである。
もとからそうであったろう。
   川端康成




悪法がまたできるらしいが
抵抗に秀でたひとたちに任せておこう
ぼくはアタマ数のひとりにさえならずに
この冬からまた次の春
そのあとの夏への
ひかりと闇の交錯のさまを
生きつづけていこう
抵抗者たちのかわりに
忘れられた幽谷のしずけさを聞き
音もなく移る霧のいのちを
精霊たちとともに眺めつづけていよう                         
   





どんな晴れやかな好天の日も透明な喪中のまゝ

  


                                   愛するものが死んだ時には、
                                       自殺しなけあなりません。 
                                             中原中也「春日狂想」




死んでしまったひとをわすれるわけではないが
思いのありかたは歳月とともにずいぶんかわり
生活の主役がようやく自分になりはじめてきた

それでもひとの死は少なくとも半分は自分の死
もう二度と戻ってこない時間の輪郭がきわ立ち
あの頃の自分までも永遠に失われてしまったと

朝夕にかかわりなくふかく大きく空洞に触れる
哀惜ではなくても惜の思いは周囲の風景に滲み
どんな晴れやかな好天の日も透明な喪中のまゝ

死と終焉と生とはじまりを同時にはこびつづけ
生きているなどとたったひとことで言いがちな
この過程この現象のなんと複雑すぎるありよう

                                   
   



2013年11月23日土曜日

やっていけるね







これはまた
ずいぶんとアタマのちっちゃな女の子

でも小学生高学年ぐらいか
ひょっとしたら中学生ぐらいの年齢らしい子で

ちょっと障害があって生れちゃったのね

バスに乗り込んでくると
ぼくの座っていた席のわきの手すりに摑まり
しっかり摑まり
発車のゆれに耐えた

バスが安定して走るようになったところで
手すりに片手で摑まりながら
もう片手を手すりに押しつけて
定期券入れと
もうひとつ
透明のカード入れに入った
〈療育手帳 ○○県〉というカードを
両方の入れ物に付いた赤い紐で
まとめて二重にぐるぐる巻きあげた

そうして
よし!
という感じで
ふたつのカード入れの上に
手のひらを
ぽん!と載せた

だいじょうぶだね
しっかり自分をささえて
しっかり確認もして

ずっと
やっていけるね

なんでも
やっていけるね                                  
   






2013年11月21日木曜日

ありあり








眠くてたまらない日で
電車に乗っても
座るやいなや寝入ってしまった

…赤ん坊の泣く声がする

目を開ける
近くに乳母車があり
なにをぐずっているのか
大きな声で赤ん坊が…

…と思ったら
もう少し大きな子で
鼻筋も通っていて
顔の骨格もずいぶんはっきりしていて
しかし体は小さく
(ふつうじゃないんだな
(障害のある子なんだな
すぐにそうわかったが
なにをぐずっているのか
訴えるように泣き続けるので
小さなタオルでお母さんが
顔を拭ってやっている

だんだんと泣きやんだが
乳母車かと見えた車が
じつはもっと装備の整ったもので
競技用車イスのような車輪と
ハンドルには自転車なみのブレーキ
機能的な小バッグやポケットもついて
なにより子どもの前には
木板のテーブルがついている
こんな車が要るほどの
たいへんな障害なのかと思い
子どもの顔をまた覗くと
鼻筋も通っていて
顔の骨格もずいぶんはっきりしていて
なんだかさっきよりも
もっと大人っぽく見えた

お母さんには
どれだけ手がかかってたいへんだろうと
日々の世話を思って
すこしクラクラするように感じたが…

…今日のわたしは
どうかしてしまったのだろうか
いろいろなものがついた
この重装備の車イスを見ているうち
なんだかウキウキとしてきたのだ
こんなにいろいろなものが必要で
いろいろな世話が必要で
そうしてそれらがこんなふうに
この子のまわりに馳せ参じてきて
世界はなんと融通無碍な可変体であることか
それをこの子は証明しているじゃないか
面倒なことがあればその面倒に寄り添い
たいへんなことにもピッタリ寄り添い
世界はこんなにすがたかたちを臨機応変に変えて
集まってくるものたちが
また新たな道と組織をたえず作りなおし
次の時間へと拓いていく

そう思ううち
ありありと目が覚めてきて
世界と必要ともののできあがりと
幸と不幸と
さらにその先の幸との
つながりあいや撚れあいに
なおさらに覚めていく
目となって
ありあり
ありあり
ありあり
ありあり

                                  
   




2013年11月18日月曜日

放っておいてもかまわない問題







キャラメル味の怨念が遠浅の朝まだきの海で水浴している
乳房が金属製の球体のように輝き
腰から未来の殺戮が生れ出る予感さえして、
つとつと、した、した、と
わが辱書の構想を刺激してくるが
砂に突っ込んだままのペニスをひとしきり私は動かし
傷も癒えつつあった亀頭をふたたび血みどろにして地球に赦しを乞
シカシ、オ前ハ宇宙ニ赦シヲ乞ウカ?
乞ウカ?
と地球に思いを染み込ませようとしながらスマホを弄くる左手の真ん中に
薄く硬いこの端末は射精するとともに経血を同時に迸らせ
萎えていくのだ、たちまち
スマホは
遠い岬の突端の城の尖塔をわがままに輝かせたままで

たぶんベルリンの小さな公園の軽食屋のテラスにも分身しながら
湯気の立つソーセージを頬ばったばかりの私は
地上のどこにも存在しない形而上の脳内で万物の再融合を夢みてい
破壊がピンクのリボンを股に滑らせて
横の椅子にちょこんと座りに来るが
片方の乳輪に抹茶の味を想起するばかりで私は手も触れないでいる
この裸の女体も自殺へと向かうだろうが
人体はたわわに地上に満ちており
知っているのだ、
翌朝にはまた次の乳輪がちょこなんと
同じように隣りに座りに来るだろうということを
問題はどれが本物かということだが
知っているのだ、
放っておいてもかまわない問題だということも                             
   






学校




  

どんなものが詩で
どんなものはちがうか

そんな馬鹿な議論を
馬鹿と思われているのも知らず
平気でしている馬鹿が
あとを絶たないが

大詩人と呼ばれる人の
全集のなかにさえ
詩もあれば詩でないものも
いっぱいあるし

三文詩人と蔑せられる人の
ホチキス綴じ詩集のなかにも
詩でないものもあれば
詩もいっぱいある

…といった
事情のものが
詩だし
どんなにいい詩だと思えたものも
文科省認定教科書に載ると
たちまち
詩でなくなるような

生きのいい
逃げ足の速すぎる
透明のウナギの子みたいなのが
詩だ
ほんものの

それについて
感想を何百字以上書いてこいとか
作者の感動はどこにあるのかとか
作者はどんな意図をどう表現したかとか

毎週
毎週
質問してくるんだ
学校というところは

ろくに詩も書けない
詩でないものを書く悪戯っ気もない
勇気もなければ気力もない
教員たちが
よってたかって
アンチョコを見ながら                               
   





2013年11月17日日曜日

ウエハースの上で寝たらいいのに…








ウエハースの上で寝たらいいのに…
それとも
薄焼ポテトチップスの上ででも…

そんなことを言われる夢を見ていた気がしたのだけども
目が覚めてくるとすぐに記憶があやふやになっていってしまうので
ウエハースが上で寝たらいいのに、と言っていたのか
薄焼ポテトチップスが上ででも、と言っていたのか
よくわからなくなってしまっている

たしかなのは
目覚めたらいつものように
ぼくは一枚のシーツ
マットの上にいるけれども
ウエハースの上で寝ることはないだろうし
薄焼ポテトチップスの上で寝ることもないだろうね

ある日
ほとんど裸になった女の子が
ぼくの上に横たわって
ウエハースと薄焼ポテトチップスを齧るなんてことがあれば
訪ねてきたボーイフレンドにドアを開けにいったり
かかってきた電話にあわてて出たりした拍子に
ウエハースと薄焼ポテトチップスを
直接ぼくの上に載せるなんてこともあるだろう

だけどなぁ
ウエハースの上でとか
薄焼ポテトチップスの上でとかはなぁ
なかなかチャンスはないだろうなぁ
そう思うんだよ                              
   





2013年11月16日土曜日

こうしていられたのだから







サラ・ヴォーンを聴きながら
さらに
ボーンとする…

(ハハ…

だれもいない
夕刻すこし前のカフェ
贅沢にひとりで場所をとって
紙袋をそこのイスに
バックをこちらのイスに

アレカヤシがふたつ置かれて
揺れている葉
揺れていない葉
外の舗道を行く車や人を
隠すともなく
隠さぬともなく

別れなくても
よかったのかもなと
ちょっと
思い出す娘
別れようと言ったわけではなく
連絡をとり続けなかっただけだが
懐かしさもやっぱり
あるような
ないような

なんて
ぼんやりした
越し方かと思うけれど
時間が経てば
どうせ
なんでもぼんやりしていってしまう
九十八歳ぐらいの老人に
どの恋人がいちばんでしたかと
たずねてみても
古畑妙子じゃったな、やっぱり
―とは
答えないだろうと思うよ
そうじゃなぁ…と
きっと
黙ってしまう

だれもおらず
戸外の行き来がよく見えている
大気の大いさのような
よろこび
この数十分でいいのだと思う
このように
こうしていられたのだから
成功だと思う
ぼくの今回の人生                                  
   





2013年11月15日金曜日

ここにまよう愉しみ






死臭のするコーヒーが注がれたまま
きみを待っているのに
まだ行かないのかい、きみ?
ガラス玉を連ねた暖簾が隙間だらけに区切るのは
むごたらしく死んだ幼女の部屋と
新婚のための薄くあかるいイエローの壁のこころよい部屋
空気もあかりもいつも行き来している二部屋の
あいだで猫のラ・ヴィはよく逡巡するけれど
春の芽吹きの若みどり
その一枝をいつも胸ポケットに刺しているかのように
溌剌と
しかしいくらか寒そうに
この大きな館のなかを歩きまわっているきみは
さぁ、どのあたりだろう、今日は

きみを待っているのに
死も
腐敗も
分解も
まだ行かないのかい、きみ?
―そう、わざと
まぎらわしく記し
どちらが待っていて
どちらが待たれているか
すこし混乱するように晴れやかに
いつもながらに
ぼくの構成するたおやかな
かるい魔法陣
きみを待っているなんて
うそ
いつもいつも
口実や材料でしかない
きみよ

とはいえ
しかし
なんと大きな大きな館であることか、ここは
まよう        
愉しみ、ここに
まよう愉しみ