2014年1月31日金曜日

いまさらそんなしつもんも



ざんねんながら
よのなかには
わるいひともいる
それも
いっぱい
いっぱい

いいひとって
どんなひとだろう

わるいひとって
どんなひとだろう

わざとらしいから
いまさら
そんなしつもんは
しない

にんげんは
いいひとですか
にんげんにも
いろいろいるんですか
いろいろいて
ほんとにいいんですか
きみは
いいひとですか
きみのどこが
いいひとなんですか

いまさら
そんなしつもんも
しない




いっぱい いっぱい あそぶの

  

あしたは
ぱぱが
おやすみだから
いっぱい
いっぱい
あそぶの

おかあさんとつないだてを
ぶんぶん
うごかして
おんなのこが
おおきなこえで
いっている

そうね

おかあさんがこたえている

いっぱい
いっぱい
あそぶのね

おんなのこが
おおきなこえで
いっている

いっぱい
いっぱい
あそぶの

おかあさんがこたえている

いっぱい
いっぱい
あそぶのね





深いなぞであってほしいのさ


そのおうち
南に面した庭の白梅は
いまが満開
このあたりでは
毎年いちばん開花がはやい

どうしてだろうと
柵ちかくの白梅の木に
ぴったりくっつき
木になりきったようにして
まわりを見まわすと
東から南をずっと一望できる
日の出から夕方まで
陽を遮るものがまるでない

そういうことだったのか
それだけのことだったかと
思いながら東から南を
なんどもなんども
ぐるりと見まわしていると
へんな人だなあというふうに
しげしげ子どもが見上げて
なんどもふり返りながら
お母さんに手をひかれて
遠ざかっていったんだよ

けれどほんとうに
それだけのことだったか
決めつけたわけじゃあない
なぞはまだまだ深いさ
簡単そうにみえても
深いなぞであってほしいのさ





いよいよさびしくなっていくよ



風邪なんて
病気の中でも
いちばんちっぽけなもの
なのに
ちょっと罹ると
どうしてあんなに
さびしく
やるせない気持ちに
なってしまうのだろう

このあいだ
ひさしぶりに風邪をひいて
やはりさびしく
やるせなく
どこかへ
かぎりなく陥っていくようで
死よりも
せつないようだったが

思い出していた

むかしのあのアパートで
あるいは
あの部屋で
あのマンションで
やはり風邪をひいて
寝入っていた時のこと

そのつど違う天井を見ながら
こんなふうにして
いつまで生きていけるんだろう
などと思い思いしながら
あれらの時間を
どうにか繋ぎ繋ぎして
生きのびてこれたわけなのか

温かいものを作ってくれたり
ようすを見に来てくれたり
鍵音をさせて帰宅し
ただいまぁ
だいじょうぶだったぁ?
などと声を届かせてくれたり
そんなふうだった
何人かはもう去ってしまい
何人かは死んでしまって
どうしてだか
まだひとり
生きのびているじぶん
と思うと

いよいよ
さびしくなっていくよ
いよいよ
やるせなくなるよ




減らすための


  
国際的な富裕階級が
手をかえ品をかえ
飽和を超えた世界人口を減らそうと画策しているのは有名な話
救援するかのようにみせて
細菌をバラまいたり
水を枯渇させ食料生産を破壊し
はてはワクチンと銘打ってウィルスを逆に蔓延させてみたり

カリフォルニア州ロングビーチでの
招待客限定のTED2010会議で
ビル・ゲイツがついに言ってしまったらしい

「何よりも人口が先。
「現在、世界の人口は68億人である。
「これから90億まで増えようとしている。
「そんな今、我々が
「新しいワクチン、医療、生殖に関する衛生サービスに
「真剣に取り組めば、
「およそ1015%は減らすことができるだろう。

避妊教育で…とでも言っておけば
言いくらませたものの
新しいワクチンや医療、などと
言ってしまったな
ついに

ビル&メリンダ・ゲイツ財団から巨費を投じて
病気や貧困の撲滅や食糧不足の解決に
打ち込んでいるかのようだが
2050年までに世界全体の人間由来のCO2排出量をゼロに削減する
などと提案したり
今後提供する100億ドルで
新型ワクチンを開発し途上国の子供に送り届ける
などとノタモウたり

生存する子供の数を増やそうというのでなく
人口を1015%は減らすための
ワクチン、ね…





おだをあげている人たち



選挙になると
頼まれもしないのに
声高に断定的になる人びとは
いったい何なのだろう
どうして
あんなに確信が持てるのか

誰々ならば
絶対大丈夫だとか
こういう人脈があるから
こういう政策が可能だとか
他の誰々はここがダメだとか
どこが曖昧だとか
こんなスキャンダルがあるとか

さらに込みいって
この人間を推薦したいわけではないが
他のあれを落とすためには
ここでこれに投票しておくべきで
そうすればあれがああなって
こちらはこうなって…
と得々と主張したりしている

賛同人とか応援人とかに
はっきりなってしまえばいいのに
競馬の予想屋みたいに
どうしてtwitterとかfacebookとか
そこらの道ばたみたいなところで
おだをあげているのか
そのあたりがどうも
よくわからないのだが…




2014年1月30日木曜日

にじゅうだいのあのころ



くらくさびしいきぶんの
しみてくることが
               ときどき
あるけれども
くらくさびしいてんきの
ばあいのことが
おおいのは

なんだか

ばかみたいだ
かんがえてみれば

あかるく
すがすがしいひに
ひどく
くらくさびしくなるほうが
おそろしい

けれど
にじゅうだいのころは
いつもそうだった

にどと
もどりたくはない
にじゅうだいの
あのころ





胆汁をとられる熊たち



熊たちへの虐待の話を読んだが
ひどいことをいつも
人間はどうしてし続けるのだか

漢方に使う胆汁を取るのに
熊たちを生かしたまま
胆嚢にカテーテルを刺すのだという
麻酔もせずに毎日数回も取る
そのたび堪えがたい激痛のため
熊たちは叫び悶えるらしい
鉄の拘束衣で固定し
棺桶のような柵に押し込み
生き続けるかぎりは
二十年も三十年もこのまま
餌を拒否して自殺する熊もいたり
この状態から救おうとして
小熊をあえて殺す熊もいるという

この胆汁工場は中国の話だが
日本でも熊の駆除はやり放題で
一五〇〇頭も毎年殺されている
被害も起こしていないのに
冬眠から覚めたばかりの熊を
有害だと殺すことも多いという
ハンターの小銭稼ぎだが
拷問胆汁採取のための
闇工場が日本にもあるという

こうして取った熊の胆汁は
日本で大量消費されているが
ちまちました核家族の存続のために
ちまちましたオジイチャンや
オバアチャンに投与されているのか
それとも脂ぎったオヤジたちの
精力剤に使われているのか
熊たちの激痛と絶望を以てして
存続させるほどの生きざまで
はたしていらっしゃるのかどうか
      



亀鳴くや



亀鳴くや皆愚かなる村のもの
               
虚子の句に
そうあったが

そんな村 いいなぁ

そんな村に
いつ帰れるだろう

亀も鳴くのか

四月の季語だが

鳴くのか





                            

バックドア



ウィンドウズOSには付いているバックドアよ
無許可で侵入操作できるPC内内蔵通信機能よ
国家安全保障局がアクセスできる裏口コードよ
もしシークレットガバメント等に関する単語を
使ってメールを送ったり検索にかけたとするよ
送信内容は傍受機関であるエシュロンを経由し
米国防総省(ペンタゴン)に送られてしまうよ
通信内容はこの時点で簡単に盗まれてしまうよ
一般人にリサーチされたくない単語は最初から
米諜報機関PCにキーワード設定されているよ
だれが送信した内容もキーワードに触れた瞬間
データはマイクロソフト本社に届いてしまうよ
マイクロソフト本社はペンタゴンの中にあるよ
データ内容が監視を必要とするような内容なら
送信者と家族友人らのPCに彼らは侵入するよ
データは盗まれ米国の諜報機関に提供されるよ
国家安全保障局や国家偵察局や中央情報局だよ
さらには国防情報局や国家地球空間情報局だよ
バックドアはPCから絶対に削除はできないよ
高性能セキュリティソフトを入れても無駄だよ




2014年1月29日水曜日

このあいだまでいきていたこころを



こどものころをおもう
せんそうがおわってだいぶたっていたが
せんそうはにどとしてはいけないのだと
おとなたちはだれもがいっていた
よろこんだりかなしんだりおこったりふざけたり
いまとかわらずよのなかはいいかげんだったり
ちゃんとしていたりまじめだったりしていたが
せんそうだけはにどとしてはいけないのだと
おとなたちはだれもがいっていた
あれからずいぶんたったこのごろでは
せんそうぐらいするぞというこえがきこえている
くにというものはせんそうぐらいするんだぞ
せんそうするのがあたりまえのくになんだぞと
たくさんこえがきこえるようになってきた
かんたんにせんそうするとはおもわないけれど
せんそうにちかいことをへいきでやらかすぐらいには
のどもとすぎたということなのだろうな
どうせせんそうにいくんだぜと
わかものがいいだしている
どうせちょうへいせいになるんだぞ
だったらせんとうきにのるのがいいよな
ほへいなんてださいよな
べんきょうのきらいなわかものはいいはじめている
なんじゅうねんもすると
ひとつのくにはがらりとかわってしまう
そこくとかぼこくなんていうけれど
それもきげんつきのもの
なんじゅうねんもたてば
むかんけいのくにかもしれない
さらにさいげつをへれば
てきこくになるかもしれない
ことばがつうじるというていどのことで
こころはもうつうじないかもしれない
かんがえもつうじないかもしれない
せんそうははじまるのかもしれない
はじめはまずこくないで
このあいだまでいきていたこころを
このあいだまでこころをまもっていたかんがえを
おしやっていくことから
ほろぼしていくことから                             
 



アダムの子孫のブルース



排気ガスが滞っているが
この街はいい感じ
早朝から道路をわたりながら
若く若くなっていく
ずいぶん寒いのに
腿に脛にみなぎっていく
鋭い潮はなんだろう
ふいに生きている
あらたに甦りながら
来ては行く車、車、車、
信号は鮮やかな色で
簡易で的確な占いを続けている
海のにおいが来ているな
永遠という言葉を思い出せと
もっとも疲れた者らにも
染み込ませようというように
歯にがっちりと当たる
金属のスプーンを噛みたい
鉄の味や水の冷たさを
おお神よ今日もお恵みあれ
他にはたとえば草の苦み
歪んだカップのふちの歯型
昼までのゆるい時の経過
昼下がりのぬるい死のまねび
そうして壮大な一期の夕景に
こころはまた雪崩れていく
それだけでいけないなど
言ったことはあるまい
言ったことはあるまい




2014年1月28日火曜日

指で運ぶ


雪の近づく気配で
めくれあがる
古代語の辞書のページ

茶葉をひとつまみ
指で運ぶあいだ
香りは遅れながら移る

すこし重いのに
しっかりした革の手帖を
携えて出かける

列車の小旅の後は
小舟で川も渡り
麺しかない鄙びた食堂

携帯電話など
繋がらない葦や葭の地帯
目をつぶればヨシキリ

構成しない視点を
もっと手に入れるために
気を故意に散らす

オレンジ色の表紙の
遺言書を抱いて
探さない目を開き続ける

限界を露呈する前に
去ってしまう主義でね
王たちをいつも干からびさせる

めくれあがった
古代語の辞書のページに
雪の近づく気配

茶葉をひとつまみ
香りをゆるり移しながら
指で運ぶ




                                 

2014年1月27日月曜日

生活ベッタリ



どの寺に行くのもなんとなく面倒なのは
やはり
見終えるのに時間がかかるから

法隆寺など最低四時間はかかる
伽藍の配置に見惚れるのに最低一時間
満足のいくまで百斉観音を見尽くすのに最低三時間
もちろん他のものも見るので
しらずしらず五時間は過ぎてしまう
飲まず食わずで
どこかソフトな苦行に似る

五重塔のわきで西フランスから来た家族がいたが
歩きまわる幼児がみごとな赤毛で
おもわず「すごくルージュrougeだね」と親に言ってしまったが
すぐに「ルrouxっていうのよ、髪の毛の場合は」と返された
知っていたことなのに「赤毛」という日本語に反応して
とっさに「ルージュ」のほうが出てしまった
どこまでいってもこんなところに日本人が染み込んでいるのか
それとも単に言語操作を切り替える能力の部分的な低さの個体差に過ぎないか
つまらぬ文化論をしている間に
現地でそのまま通用する表現を瞬時に発せるようにするのが語学の要諦
欠落部分をここはひとつ
この場で早急に補えばいいだけの話

この時はひとりで法隆寺に行ったのだったが
やはりひとりで
またふたりで
ごくまれに数人で
法隆寺には何度も行っている
同伴する機会のいちばん多かったフランス人とは
三十年のかかわりが続いた
同じ屋根の下にいたか
近くの屋根の下にいたので
朝から晩までのあらゆる表現がフランス語で私の身に染み込んだ
えらそうにしているフランス文学者にずいぶん会ったが
鼻くそをほじる
オシッコをする
ティッシュペーパー
今日は生理の日なの
というレベルの表現がほとんど誰も言えなかった
文学はいやおうもなく生活ベッタリでなければいけないから
こわいものだな
と私は思わされた
えらそうにしないといけない文学者にならなくて
よかったと
ほんとうに心底思っている
えらそうを採るか
生活ベッタリを採るかならば
まずは生活ベッタリを採るしかないのだもの
文学は