2014年8月31日日曜日

決定的なものを 最後のものを




ことばの先に
不思議でもない
新たなものでもない
慰安でもない
安楽でも
逸楽でもない
なにかを期待して
読み手も
書き手も
手繰り進んでいくのだろう
決定的なものを
最後のものを
もとめて

まるで
決定的な風景へと
なおも
旅に出るように

最後の人へと
なおも
出会おうとするように





2014年8月30日土曜日

大事なふりをしてみる楽しみは



どうしても
地球が大事とは思えない

溶けては
また凝り固まり
消滅しては
また凝集する
そんな宇宙なのに

地球という
凝り固まりだけを
とりわけ大事と
思い込んだりするなんて

もちろん
大事でもないのに
とりわけ大事なふりをしてみる
そんな楽しみは
よく知っているけれど





たぶん命も




たぶん命も
それほど
大事ではない

どこかで
人々がたくさん
殺された時も
あなたは
痛くも悲しくも
なかった

あの人が
惨殺された時も
わたしは
羊羹を
頬張っていたり
していた

本当に大事なら
そうは
いかなかった
はず





ちがいない



この世の不思議に素直に向きあい
思い直してみれば
もっと不思議にちがいない
あの世は

この世にいた姿のまゝで
同時に
まったく別の無数の姿でもあるぐらい
なんでもないことにちがいない
あの世では




そう、あの敵こそが




…そう
あの敵こそが
ほんとうに
大切な存在だったかもしれない

断定や断言から
さらには
整理や
合理化から
もっと遠ざかっていこう

わたしの真なるものは
あの敵の中にあったかもしれない
あるいは
捨てたものの中に





いつも叛旗を




わたしの言うこと
書くことが
ほんとうにわたしを代表しているなんて
思わないでほしい

首相や
大統領の言うこと
書くことが
ほんとうに国民を代表してなんて
いないように

いつも
叛旗を翻しているのだ
わたしの言うこと
書くことに
わたしは





批評




ことばは
批評

たくさんの中から
たったひとつだけでも
選ぶという
それだけのことで







ここに生きているうちに


  

指先も腕も
頸筋も肩も胸も
それらを成す細胞の
ひとつひとつも
血液を構成しているという
血球のひとつひとつも

まだ
じゅうぶんに
知らない
生き切っていない

それらの中へ
まだまだ
向かわなければならない
この体を持って
ここに
生きているうちに





山河すべてが



  
近隣の中国人の話す声がする
ベトナム人や
ほかの国の人の声も

だから
中国にも
ベトナムにも
行く必要はない
ことばには
山河すべてが
溶け込んでいるから

聞き分けうる人に
とっては





聖なる好み



  
最後はじぶんの好みに
それだけに
結局は
戻らなければならない
好き嫌いで物事を決めないなんて卑怯

まだ
ちゃんと生きているか
誰の顔色も窺わない
じぶんだけの聖なる好みは?





詩のちから




軽く書かねば
言わねば
他人には通じない

重さを削ぎ
複雑さを溶かす
とほうもない
ちから

たぶん
それがほんとうの
詩のちから




変幻のこの世界の苛酷よ



  
空のうつくしさも
草のそよぎも
暑さ寒さの
わずかの変化さえ
わたくし

ひかり
それも
わたくし

他には
ほんとうに
なにもいらない

なのに
要ることを強い
欲することを強い
変化を強いてくる

変幻の
この世界の
苛酷よ




ひとがいなくなっても


  

ひとがいなくなっても
その意味や
実態は
なかなかわからない
さびしいとか
かなしいとか
懐かしいとか
そんな感じをつかんでみようとしたり
それらをことばにして
弄んでみたり

ひとがいなくなっても
なくならない
残されたいろいろなものの
残されぐあいを
見つめてみたり
触れ直してみたり

たぶん
何年もかかる

ひとがいなくなってから
じつは
世界が一変してしまっていたと
気づくまで

自分も
すっかり変わってしまっていたと
気づくまで

自分も
いなくなってしまっていたのだと
自分によって
気づかれるまで




2014年8月28日木曜日

いらない

  

じぶんには子がいるから
事情を察せよ
配慮せよ
優遇せよ
とふるまう人びとは
いっぱい

甘い

たえず
遺伝子どうしが
争いあって
すこしでも良い位置を占めようとしている
社会という場
あなたの子に伝えられた遺伝子は
邪魔なだけ

あなたの子は
いらない

あなたの血
あなたの家系
あなたの遺伝子

いらない




生だけを運ぶ




人生では目的を持ち
それなりの設計をして
というのが
推奨されるらしいが
目的だの
設計だのが
それなりの意味を持つのは
やはり
防波堤内の小さな
港や入り江でのお話

大洋や砂漠に
生まれ落ちた人たちには
そもそも
通用しようもない
はじめから
人生でなしに
生を
生だけを
かれらは運ぶ

港や入り江の
価値観や道徳など
かれらには
通用しようもない
港や入り江に
張りめぐらされた網の目を
ザアッと断ち切る
大鋏の心と頭を
かれらは持つ

港や入り江にも
わずかながら
かれらはいて
大洋や砂漠としか
その場所を見ない
人生を嗤い
生だけを運ぶ




死臭



  
電車に乗る
空席に座る
しばらくして
死臭に気づいた

隣りには
中高年の御婦人
安定した生活に見える
品も悪そうではない

もう一方の隣りは
中年男性
ビジネスバッグを膝に
スマホを見ている

強い臭いではない
軽い腐敗臭
口臭ではない
汗の臭いでもない

もしや自分から
と思って
自分の臭いを
嗅ごうとしてみる

男性からか
とそちらのほうを
それとなく
嗅いでみる

どちらでもなく
やはり
御婦人のほうからだと
確信する

手提げバッグをふたつ
膝に乗せているが
中のものを直そうとしてか
カサカサ弄っている

この御婦人は
品の悪い人ではないが
そのしぐさを
片時もやめない

たゞそれだけのことだが
とにかく
軽い腐敗臭がする
昔の葬儀の部屋の臭い

ある駅が近づいて
御婦人は立ち
ドアのほうに去った
臭いは消えない

駅に着いて
御婦人は下車したが
空いた席に
まだ臭いは消えない

しばらくして
若い女性が座り
スマホを見続ける
臭いは消えていた

いくつか駅を過ぎ
隣りの男性が下車し
中年の女性が座り
スマホを見始めた

すると
ふたたびまた
立ち込めてくる
あの死臭…




2014年8月26日火曜日

たかがNET250mgの100円商品のハンドソープが




だいぶ前
ほんとうにだいぶ前
必要があって
100円ショップで
買ったハンドソープだったが
ようやく
使い終わった
ようやく
ようやく

若肌物語
アロエハンドソープ
とラベルにある
保湿成分アロエエキス配合
NET250mg
だそうな

台所の隅に置いておいたが
炊事や食器洗いは毎日するのに
このNET250mg
なかなか減らなかった
消費税5パーセント時代に
105円で買った
ちいさなボトルなのに
なかなか

買ったのは
忘れもしない
2010年の616
4月から入院した末期ガンの友のために
病室の手洗い用に
最寄駅の100円ショップで

それがどうして
5年も経った今年まで使われたかというと
流しの排水が詰まるから
石鹸類は使わないでくれと
言われたため
水だけで手を洗ってくれと
言われたため

独立行政法人のその病院では
いろいろなことで
ガタガタやりあったが
ここではぶり返さないでおこう
たしかに
細めの排水管に石鹸類を多量に流せば
管が詰まることもあろう
しかし
大の大人の患者たちなら
ちょっとした手洗い指先洗いに
ほんの少しの石鹸しか使わないだろうに

ともあれ
それではしかたがないというので
流しにボトルを置くのはやめて
病床のベッド脇の棚にしまっておいた
洗面所ではべつの石鹸を使うので
けっきょく
ほとんど使わずじまいになった

その年の
晩秋に亡くなってからは
はじめのうち
数人に多少の手伝いはしてもらえたものの
友の家財の整理をひとりで始めて
翌年まで10か月も続く試練となったが
そこの洗面台に
このハンドソープは置かれることになった
仕事が終わってから
友のいない家に立ち寄っての
いっこうに捗らない整理の長い長い時間と日々
いるのなら幽霊になって
出てきて手伝っておくれと
心に思ったり呟いたりしながら
膨大な書類や手紙やメモの一枚一枚
買い溜めたのに使わなかった絵葉書やレターセット
それらに至るまでをひとつひとつ
まるで無限に続く神経衰弱ゲームのように
ひたすら続けた夜々と休日のすべて

しかしNET250mgは見事なもので
一日の整理の終わりには
たびたび手を洗ったというのに
なかなか減る気配がなかった

友の家の整理がようやく済んで
日用雑貨類をじぶんの家に運んできてからが
またそれなりに大変で
もともと自宅にある種類のものが倍以上に増え
押入れもどこも溢れんばかり
そんな中で
もともと家にあった台所用や洗面台用の
ハンドソープが切れるのを待って
このNET250mg
ようやく出番となったのが
たぶん
2年後ぐらいのこと

たったひとつの
たかがNET250mg
100円商品のハンドソープが
こんなに長く人生の伴侶となったことがあったか
案外と長持ちするものなのかもしれないが
友の死を必死に先送りしようとしていた頃に買ったものが
友の死からまるまる5年も経って
ようやく使い切られたことには
けっこう感慨もある
汚れたボトルやまわりのラベルが
なんだか貴重に思えて
5年も経ったか
5年も経ったか
思いながら
なかなか捨てかねていた

たかがNET250mg
100円ショップのハンドソープの
こんなボトル
選ぶいとまもなく
急いで買い求めたこんなものが

なかなか

なかなか