2014年11月27日木曜日

おおおおおおおわたしは反省するぞ






ブルックナーをふと聴きたくなって

(たくさん演奏は持っているのだが、
(奥のCD書庫に行くのはちょっと面倒で
(手近にあるアーノンクールの箱に手を伸ばし

しかし
その前にメンデルスゾーンの『イタリア』を
なぜか聴きたくもなって
手近のブリュッヘンの演奏をとり         

そこから遠くないところに見つかった
ブロムシュテット演奏の『ロマンティック』
ブルックナー第4番も手にとり

 (これらが今の気分にいちばん合うものではないのは
 (わかっているのだが
 (手近さから
 (面倒くささから

アーノンクールのブルックナーとあわせて
ステレオの前のテーブルに置き
アーノンクールから聴きはじめたが

 (TELDEC2012年発売のこのボックスは
 (ちょっと違うシャープなブルックナーが聴けて
 (買った当座はずいぶん聴きこんだが

どうしたことかナ

今日はピンとこない
あんなに現代そのもののようにシャープな音だったのが
今日はヌルくなって聴こえる

つまらない
つまらない
つまらない

ので
ブロムシュテットに替える


買った当座はなかなか味わい深く感じたこれも
今日は鈍く感じ

つまらない
つまらない
つまらない

どうしたのかな
よかったんだけどな
DENONのこれ
こんなにつまらなかったかな

やめる




ブリュッヘンの『イタリア』
メンデルスゾーンに

ああ
これはいい
シャープな音
切れがいい
もたつかない

…シャープさを求めているのか?
演奏に
演奏にまで
つめたさと
シャープさと
ガラスと新建材でできた
新しい巨大なさびしさを湛えた高層ビルの
どこかの廊下やロビーでうっかりひとりになって
じ・ぶ・ん
などというものがすっかり透視され切って
(…切・っ・て
(…切・っ・て
しまっている時の感覚のような
演奏
響き
そして響きの切断を
求めて
いるのか?…

のか?…


ブリュッヘンの『イタリア』を
ぜんぶ
聴いてしまう

聴いてしまった

聴いてしまった

(アーノンクールも
(ブロムシュテットも
(ぜんぶ
(捨ててしまおうかナ…
(売るのではなく
(燃えるゴミの
(袋に入れて
(断罪
(してしまおうかな

ま、
べつの時には
べつの気分
(―生マレ変ワリノ機会ヲ与エヨ
(―蘇リノ
(―機会ヲ奪ウナ

(どんな演奏を集めても
CDなど
(ようするにプラスチック
(君ハぷらすちっく相手ニ歓ビ
(落胆シ
(興奮シタリ
(オゾマシクモ文化シヨウトシタリ

ニーチェを最近忘れているんじゃないかキミ?

(ああ
(プラスチックな
(キミよ
(おプラスチックな
(おキミよ

  お
バレンボイムが1994年にベルリンフィルをふった時の
ブルックナー第8番もこんなところにあるが

…かけてみる

ああ
つまらない
音の厚みはいいけどな
つまらない
つまらない
つまらない
こんなにつまらなかったかな

やめる

こんな時にちいさな生のむなしさが
おもむろに水位をあげて
ひたひた
ひたひた
ちゃぽん
ちゃぽん
足首まで
もう没して
こころの
足首
ひたひた
ちゃぽん
ちゃぽん
人生
ジンセイ
ジンセエ
なんて
どこにも
けっきょく向かわない
脳内3Dだったということが
わかっちゃうとねエ
(小津映画でも見て
(セルフ鎮魂
(セルフ鎮まり
(しますか…
(しますか…
(しますかァ…

ことばは鎮魂

あわれなアナタ
生きてる細胞の泥沼の戦場
あわれなアナタ
キレイゴト言ってもキレイゴト夢見ても動植物の殺戮者
新陳代謝
死滅し続ける細胞たち
巨大企業のように
あなたの体が解雇し続ける無数の細胞たち
期限つきで生き残って酷使される現細胞たち
アワレといわずしてなんと言おう
生の条件
生は差別と選別と見捨てと殺戮の無限連鎖

…と

最近
めったに聞かない
グレン・グールドのバッハ『ピアノ協奏曲集』
目に留まる
発見
CD書架のわきに入れっぱなしのままで
隠していたわけではないんだけれど
バッハのチェンバロ協奏曲
ピアノを使えばピアノ協奏曲
オーボエで演奏している人もいたりするが
ほんとうに大好きな曲集でネ
いっぱい
いっぱい
演奏
持ってる
あるよ

(ワタシ、コレクター
(では
(ないアルヨ
(あれこれ聴き集めてたら
(いっぱいに
(なっちゃった
(ダケ
(ダケ
 (物欲でもないアルネ
 (なりゆき
(ものの
(ハズミ
(我ガ人生の
(すべての
(ように
(…アーメン

グールドの演奏はネ
けっして最良とはいえない
コロンビア交響楽団をバックに
バーンスタインや
ゴルシュマンなんかとやったのが
SONYから出ているけれど
やっぱり
古楽器のチェンバロ奏者の名手たちが弾いたのには負けている
グールド節があまり通用しない曲なのか
あのバーンスタインらが
やっぱりグールドとは反りがあわないのか
とにかく
聴くんならグールドではないものを―
となってしまう
他の奏者のものを

グールド
かわいそ
グールド
かわいそ

だが
ひさしぶり
見つけちゃったから
かけてみる
聴かないで放っておくと
CDにも埃はつくし
黴ることもあるし
ときどき
使ってみる
いい
こと
アルヨ
モノ
物質の
アワレサ

(かけている
(かけてみている



よかったんだよ
グールド
これ

現代の録音技術から見れば
録音には切れがない
雑音がある
ところが
そんなものを超えた切れ味がある
なんだ
この切れ味は
バッハから来るものか

いや
いや
切れ味とかシャープさとか
そんなもの
どうでもいいんだと思わせられる
そんな演奏
けっこう手作り
手作り感満載
こちらの
価値観や消費者的要望を
切ってくる
ゴシゴシ
いつのまにか
こそぎ落としてくる
そんな
経験
ちょっと分厚い空気で包まれ直すような
経験

グールドだから
伝説だのあれこれのエピソードだの
そんなものもワッと蘇るから
そんなもののためかもしれないが
それでも
馬鹿正直に突き進んだ人の
(その人はもういないのに…
(その人はもういないけど…
熱が 
ワッと来る
モコモコ
もこもこ
そこに
している
熱が
なのダヨ
熱が
もこもこ
もこもこ
うぉわーっと
ふぉわーっと
ふんぉわーっと
んぉわーっと

グールドの熱
グールドには熱があるのだよ
あったのだよ

その熱に
ひさしぶりに会ったよ

わたしは自分の求めていたものを反省した

会うべきものを誤っていたのではないか
たぶん他の間違いも犯しているのではないか
犯し続けているのではないか
わたしは反省しなければいけないのではないか

あれもこれも
いろいろと
たくさんのことを
自分の感覚も考えも価値観もだ

おおおおおおおわたしは反省するぞ

まだまだ大展開するぞ

しなきゃいけないのだ

今日の今のここまでのわたしはわたしにとって殻である
わたしは変わる
ついさっきまでグールドの熱を忘れていたではないか
そんなわたしはわたしにとって大切ななにかであるか
ノン
ノン
ノン
絶対にノンである
わたしは転回する
わたしはいま変わる
いまからさらに変わる
まだまだ変わらなければいけなかったのだ
くそくらえ年齢体調時代文化教養経験こびりついたわたし認識
わたしはいまから変わる
Beau ciel, vrai ciel, regarde-moi qui change!*
Beau ciel, vrai ciel, regarde-moi qui change!
(…美しい空、真の空、さあ見よ、わたしが変わるのを!)
(…美しい空、真の空、さあ見よ、わたしが変わるのを!)
ヴァレリーさん!
こんな意味で言ったのかあなたも
あなたの側に行こうなんて思っちゃいない
しかしこの文句は共有する
ヴァレリーさん!
Beau ciel, vrai ciel, regarde-moi qui change!
Beau ciel, vrai ciel, regarde-moi qui change!
(…美しい空、真の空、さあ見よ、わたしが変わるのを!)
(…美しい空、真の空、さあ見よ、わたしが変わるのを!)

さあ見よ、わたしが変わるのを!
あなたもだ!
今のままで安定飛行していこうなんてダメだ!
このまま楽なところへ降下して行こうなんてダメだ!
さあ見よ、あなたも変わる!
もう大人だから?
もう老いも来ようとしているから?
もう終末も遠くないから?
ノン!
ノン!
ノン!
墓碑銘にNONと記したセリーヌ!
ノン!
ノン!
ノン!
ここからが始まりだ!
美しい空!
真の空!
さあ見よ、わたしは変わる!
あなたは変わる!
彼は変わる!
彼女は変わる!
出発だ!
さあ見よ!
われらは変わる!
さあ見よ!
さあ!
さあ!
さあ!



*Paul Valéry : Le cimetière marin
 ポール・ヴァレリー『海辺の墓地』





2014年11月24日月曜日

がんばれといっても




ちょっとした話の流れから
わたしより若い
とっても若いひとたちの話を
ほんのちょっと
聞く機会があったが

なかなかの重労働な上に
腰も慢性的に疲れ
はやく床に就こうにも
どうしても夜の一時頃になり
朝は五時起きだし
同僚と外食して帰らなければならない時も
けっこう多いし
とか

ふくふくと
健康そうなのに
低血圧で
どうしてもサッと起きられず
目覚めてから
一時間は布団の中にいるんです
とか

職場まで行くのに
満員の通勤電車で一時間かけて
まず都内まで出てきて
そこからさらに
反対方向の郊外まで
べつの満員電車で
とか

ことのほか
暗く考えるべきではないと
思うけれど

他人には見えない
それぞれの
小さなどうしようもなさに
絡めとられて
とっても若いひとたちでさえ
今は今で
もう
ぎりぎりなところに
いる感じ

がんばれと
いっても
どうできるんだろう

それほど
体力のないひとは

それほど
特別な能力を
持ちあわせてもいないひとは

がんばれと
いっても

それなりに
がんばっては
いても




去りがたく感じた他人がいたことを




若いお父さんが
あれこれと本を見ている
そこに
駆けよって来ては
やけにいそがしい衛星のように
駆け離れていき
また
遠くから駆けよってくる
小さな小さな女の子

―今日は買うために来たんじゃないからね
―今日は買わないからね

お父さんに言われているけれど
絵本をとっかえひっかえ持って来ては
また戻しに行き
なんとも
その忙しいこと
少しも止まっていない

お父さんも根負けして
―じゃあ、一冊だけ買ってあげるから、選んで来なさい
―はーい。一冊選んでくる。

絵本の棚に走って行ったかと思うと
もう
戻ってくる
―選んできたぁ。

―はやいなあ。ちゃんと選んだの?
―ちゃんと選んだぁ。

これで一段落したかと思ったら
今度はお父さんのを探してあげると言う

―お父さんの本、ベンキョウの本?
―今日はちがうよ。家で読む本。
―家で読む本なの?古い本?
―今日は古い本じゃないの。
―じゃあ、探してきてあげる。今日は古くない本ね。家で読む本ね。

そう言って
さらに範囲をひろげて
書店じゅうを駆けまわりはじめる
あっちの棚を見
こっちの棚を見
―これがいいかな?こっちがいいかな?
ずいぶんな頑張りよう

時どき
本を持って行っては
―お父さん、見つけたよ。
―はい、ありがとう。でも、これじゃないんだよ。戻してきて。
―うん、わかった。これじゃないのか。…じゃあ、これかな?
―それも違うよ。戻してきて。
―うん、わかった。…じゃあ、これかな?

どこから
こんなエネルギーが出てくるのか
お父さんのところへ持って行っては
また持って帰り
持って行っては
持って帰り

そのたびに
―はい。
―わかった。
―うん。
―わかった。
いちいち
返事がはっきりしていて
とてもいい
店じゅうに響き渡っている

まだ
はじまって数年の
若い父と小さな小さな娘のこんな様子を
十五分ほど
たっぷり聞かせてもらって
楽しかったな

元気ないい子ですね
いい娘さんですね
声をかければ
よかったかもしれない

いい子だな
しみじみ思って
ほんとうに
去りがたく感じた他人がいたことを
告げれば
よかったかもしれない