2015年3月29日日曜日

いいんだな それが



勢い込んで
詩!
などと気張らなくても

分かち書きで
なにごとか書きつけてみたくなるような夜
いざ紙を前にしたり
パソコンを開いたりすると

どうにも
こうにも

疲れやちょっとした凹みや
落ち込みや
悲しみや
寂しさや
むなしさのようなものを
書きつけ出しそうになってしまう
言葉は
そういうものと
すごく
親和性があるらしい

いやだな
こういうの

そう思って
もっと違うことを記そう
と考え出すと

もう
言葉なんて超えちゃってね

誰にもわからないような
むにゃむにゃな
るにゃるにゃな
にょにゃにょにゃな
文字ならべをしていたりするのヨ

もう
言葉なんて超えちゃってね

いいんだな
それが

いいんだな
言葉なんてどうでも

いいんだな
それが




2015年3月27日金曜日

わたしに気づかれるためにこれらすべてが




河の上を飛ぶカモメだけをはじめは見ていたが
岸をむこうに走っては戻り
戻っては左に飛び
また右に戯れる犬も視野に入れるようになってからは
人間たちの動きも
立ち止まりぐあいも
植え込みの低木の葉のゆらぎも
往く雲に翳る陽も
正確に連環しあった運動だったと気づいた

それに気づくためにわたしが此処に来て
わたしに気づかれるために
これらすべてが
此処に居あわせたことにも





すべての中にあるということの音



ながく河沿いを歩きながら
風の音でさえない
大気の大きな音というものがあるのを気づき直していた
耳が擦っていく空気の音ではなく
地球のすべてと繋がっている
すべての中にあるということの音

地球のすべてに自分の肉が続いているかのように
リンパ液が流れ出てまた戻ってくるように
どこまでも外部でなどない自分そのもののように
世界の中に世界の胎児のまゝであるのを
まあたらしく思い出させられるように
すべての中にあるということの音






ぺたぺた



おもしろいもの
わくわくするもの
出会ったこともないもの
それらを見たくて
読みたくて
記したくて
詩歌を読み出したのに
書き出したのに

怠惰になると誰もが陥りそうになるような
平々凡々な喜怒哀楽に
まったりしてしまったり
それをなぞり直したり
とりわけさびしさに安住したり
悲しさに安易に憩っていたり
むなしさにぬくぬくしていたり
してしまって
いないか

いまの自分に居座るための言い草ばかり
巧妙に吐き出していないか
誰も同じだとか
人間はこんなものだとか
自分もこんな程度でいいのだとか
言葉のそんな粘土工作を
ぺたぺた
やっているだけではなかったか




掛け布団を喉元までたっぷり引き上げて




春は好きでも春先が嫌いなのは
花粉症のせいもあるけれど温度の行き戻りが面倒なうえ
肌の下の筋肉が活動的になったかと思うと冬眠モードに戻ったり
肌も少し腫れぼったくなったりするように感じたりするからか

暖かい昼になったかと思えば翌日は夕暮れから寒くなり
そのまま薄ら寒い昼になって数日それが続いたりするのが
身体的につらいのではなくてどこか気分を挫いてしまうところがあ
あゝ生きるのはほのかにつらい…と思わせられるからか

そんなことがあるからか突然のようにいつもよりも
疲れ切っているのでもないのに眠るのが楽しい日々が来ていたりす
布団に入り掛け布団を喉元までたっぷり引き上げて
どんな考え事にも焦点が定まらないまゝで目を瞑ってしまう

もっともっと若い頃にこんな眠りを経験し求めたことがあった
体や頭を休めるためでなくたゞ全く違うなにかになってしまうため
目覚めてからすこやかで快適な活動を行おうなどとは思いもせず
涙で潤い腫れぼったくもなる目もとを楽しみながら蹲ってしまう

この世は目覚めて活動するだけのためにできているのではなく
感覚も思いも曖昧なまゝたゞの生体であるだけのためにもできてい
何度も思い出し直しておこう、「労働する者は夢を見ることができない。
智恵は夢の中で得られるのだ」というスモーホール酋長の言葉を




2015年3月23日月曜日

他にあるのかな



生活の必要とは離れたなにかを
ちょっとでも書きつけ始めてみれば
誰からも離れていられる

自分についての思いからさえも

詩を書く理由って
他に
あるのかな






他人はなにひとつ



墓参りに行ったら
彼岸だからだろう
もう六〇近いはずの
見知りの石屋がいた

ちょっとの間
姿を消したかと思うと
そうそうに戻ってきたので
「昼食ですか
「戻ってくるのがはやいなぁ
と言うと
「ええ
「私はなんでもはやいから
と返してきた

こんな時
石屋の立場にいたら
なんと答えるべきだろう
と思わされた
「ええ
「忙しいもんで
ぐらいが
キレイな答え方か

あんたの「私」のことなんて
こっちは聞いていないよ
それがはやかろうが遅かろうが
いい歳して
未熟者まるだしの
よけいな返答さ
とこちらは思ったものだから

面倒で
こわいものよ
人間の心理ってのはね
他人は
なにひとつ
素直には受け取っていないのさ




また繁華街の路上を


  
われら皆、死すべきさだめ…
ジョン・F・ケネディ

はじまりを喜んだり
終わりを
寂しがったりもしながら
森はしだいに
海の底に沈んでいく

終わりのないはじまりなど
通俗この上ないにしても
ほんとうははじまりでない終わりを
待ち望んでいる?

寂しいとか
悲しいと言うのにも
そろそろ
飽きただろうに

つまらないおしゃべりなどをして
また繁華街の路上を
さまよっている
かつては若かった
幼かった
死すべき者よ

はじまりを喜んだり
終わりを
寂しがったりもしながら…




この後たったひとりになってから




わたしの生活も
そうつまらないことばかりではないんですよ
ちょっとは…

たまには会いたいねぇ
久闊を叙したいねぇ
と枕詞するならいの古い友人に
しかし
べつに会いたくもないし
どうせつまらない話にしかならないだろう友人に
そう書き送ったが

こういうのは
身に染み込んだ習い性だな
「貧乏なものですから…
「とんと旨いものなど食べないものですから…
「なにせ教養がないものでしてね…
「ポエジーってものに縁がないんでしょうな…
吐いたばかりの
そんな言葉を思い出しながら
料理屋のトイレの鏡にむかって
オマエもほんとうに嫌味なヤツだな
また呟いたりしている

そう
シンガポール・スリングを
今日も飲みに行く
この後

たったひとりになってから




シンガポール・スリングを




 家のインテリアの模様替えの際に
すべてを純白に塗り直し
それはそれで爽やかになったのだが
碁石も喪服もすべて白に塗ってしまったものだから
これはもともと白だった碁石か
これはもともと黒だった碁石か
迷いながらスリリング
天界との結婚式に出席するんだと言い逃れしながら
葬儀に喪服も着て行く
挑発行為のスリリング

そう
シンガポール・スリングを
今日は飲みながら





すこやかに向かって



じぶんに価値があると自認している奴が
ほら
あそこを歩いて行くよ

ぼくらは道々チューリップを酷薄に切りとって
ポケットに挿したり
どこにも挿さずにすぐに捨てたりしながら
贅沢な散歩を続けて行こう

ほら
あそこに酷いやからが歩いて行くよ
美もマナーもわきまえない
まったく野蛮な連中だ
と言われながら
じぶんに価値がないとの自認だけは堅持しながら
時空のはて
宇宙やいのちのはて
知や論理や魂のはての
人知ではどうしようもない絶対の無に
すこやかに向かって



ぼくが李白だった頃の




言葉でどう表現すべきか
どうすれば相手に伝わるか
…とかいう
バカな議論にひさしぶりに出会ったが

なんにも相手になんか伝わらないし
どう表現すべきかもなにもないだろう
言葉なんて
どこまで行ってもとりあえずの方向指示に過ぎないんだし
そもそも相手なんていう
おなじ土俵に乗っている精神がいないんだし

酒を奢ってやって
ふんだんに飲ませて
さらに金を掴ませて女を抱かせにやったら
あいつ
しっかりやってきて
いい女でしたゼ
なんて言ってやがるの

ぼくが李白だった頃の
ちいさな
ちいさな一挿話さ




人を見てものを言え



いつもつまらなそうにしていると言われるが
つまらない人に会わなきゃいけない時につまらなそうにしているの
宇宙的真理ってもんだ

ぼくは饒舌でいつでもしゃべっているか
奇声を発しているような人間だってことは
ほんとうに親しい人ならだれでも知っている
ぼくが黙っていたり
ていねい語でぽつぽつとしゃべっていたりするってことは
そこにいる人間がつまらないってことさ
笑顔さえ見せてはやるまいと思うのさ

裏表が徹底的に激しいんだ、ぼくは
積極的裏表人間なんだ、ぼくは
よく言うじゃないか
人を見てものを言え、って



生も死も



  
書くべきことや
書きたいことがあるなら
詩なんか書くなよ

書くべきことや
書きたいことの果てた後に
詩はあるんだ

だから書く瞬間に
生も死も
超えているんだ





空気が一変した部屋にいて



  
ふと思い立ち
休みの日
机まわりを中心に
部屋の整理を
早朝から夕方まで

空気が一変した部屋にいて
あまりの気持ちのよさに
次の休みの日には
さらに整理を
と思う

次にやることは決まっている
他人の言葉を
手紙から本からなにからなにまで
捨てること
あらゆる詩集を
もう昨年までに捨ててしまったように

そうして
自分の言葉も
自分にまつわる言葉も
捨てる
部屋の中のどこをさがしても
自分の履歴も
思い出も
短いメモさえも
見いだせなくなるように

明日処刑されるかのように
身のまわりを
すっかり片付けてしまうこと

あゝなんという
豊かさ

言葉はあまりにしばしば
防壁だから
拒否の緻密な
頑強なねっとりした
壁だから




リアルなだけ





すっかり縁が遠のいてしまった人たちと
なぜだか次々
再会したり連絡が来た
数週間

物も人も捨てるのが早く
はじめて会って話しているそばから
目の前の相手を
捨ててしまっていることの多いわたくしも
さすがにすこし
すこぅし
考え直してみてしまった

とはいえ
捨て去ってしまっていても
縁が再起動すれば
むこうからやってくるのだから
やっぱり
捨ててしまっておいていいのだな
と思ったが

いざという時
身銭を切ってでも助けてくれるような人以外
誰も彼も
どうでもいい
しかもそんな人は
ひとりいるか
いないか

さびしい考え?
いいえ
リアルなだけですよ

ここは
本当の荒野
見はるかすかぎり
人っ子ひとり
いない

いないでしょ?
誰も
だあれも

人間と呼ぶべきほどの精神の
棲みかたる
肉体など



降りそうで降らなかった午後の果ての繁華なカフェに座り




ほとんどの人の価値観には共感できないし
だいたい興味さえないが
…と思いながら
降りそうで降らなかった午後の果ての
繁華なカフェに座り
大きな窓から街路の人の行き来を眺めている

座り心地のいい椅子ではないが
それがかえって座り心地いいのは
人生の諸事万端あれやこれやのようだ
どんな心地よさも
サービスのよさも
それが心地よさとして提供され
いいサービスとして提供された瞬間に
落とし穴をかかえてしまう
自分でそれを言うなよナと思う

ほとんどのカフェでは旨いコーヒーなど望めないし
うちで作る自前のコーヒーには達しないが
それも同じようなことか
ヤニ下がってコーヒーの専門家で御座いという
ろくな悪事も働いたことのないような若い店員などに
本来毒であるべきコーヒーなど出されたくはない
他人に商売でコーヒーを出すのは
少なくとも五十は越えてからにしてもらいたい
オマエらの青臭い不徹底な自我が
香りも味もすっかりダメにしてしまうんだよ

降りそうで降らなかった午後の果ての
繁華なカフェに座り
大きな窓から街路の人の行き来を眺めている
人生をあれこれ考えてなどいないよ
人生そのものの俺なんだ
しかも人生なんてとうに超えていて
まるで人間のようにカフェに座ってみている
遊んでいるのさ

幸せなんだよ、俺は
そうして決して
誰にも秘訣を教えてやりはしない
すべてのことのプロがそうであるように
タダで幸せの秘訣を教えるなんて
決してしない