2015年4月26日日曜日

ごく数人にむけて




自我を見せつけてくる言葉たちがうるさいのでなく
自我と呼ぶべき自我がそこにほとんどないことがうるさい

自我があるふりをすることばかりに人はいそがしく
そんなふりをしているあいだに自我はさらに縮む

生まれる前にどこにいてどうしていたか語れない人に
自我などというものも努めて守るべきものもない

だから記憶の喪失も意識の崩壊も死も恐れるに足らない
人に人とみなされる人であるということは何者でもなかった証だか

肉体を養うだけのための細い関わりだけを人界とは残し
精神と霊はそろそろ完全に人界を去ってしまう頃合

とりわけ言葉と思念と感覚とを用いずにすべてを解し
反応は無反応の極みのようにし動きは全き不動とするように

音の外に別種の音を自分の耳でない耳で聞いて導きを受け
ものの無さのほうへつねに寄り無さをこそ身体とするように




からだ


私はすでに時間でしかない
   シャトーブリアン



時間の速い
速い過ぎ去りを
こそ
からだとしているので
歳月には
まるで
水に合流する





対岸の灯り

  

夜の川面に映った対岸の灯りの
青さ赤さを
ふり向きながら
あゆみながら
見続けていたのに気づく

こんなにも
色をともなった明かりを
求め続けていた
私だったか

これだけが
まさか
この生の目的であったわけでは
なかろうが




たふたふと



ほんの少しの震動も
大地には伝えないように
ずいぶんひっそりと
足を運ぶようにしている
そのうち水の上も
また歩いて行けるだろう
山々の奥の湖上で
水の上に立ったまゝ
よく明け方まで
呼吸さえ忘れてしまっていた
あの振舞い方の感覚が
いつのまにか
たふたふと
染み戻って来つつある




2015年4月21日火曜日

きょうも死んでいることにしようと生が言い



きょうも死んでいることにしようと生が言い
きょうも生きていることにしようと死が言っているのを
わきで小耳に挟んだまゝ
小桃もまだ固いので
すぐにナイフを当てたりしないで
もう少し進んでいった電柱のところで
時間であるのをやめようときょうが言っていたのに逢着してしまい
まったく
意志や欲求を言うのが好きなものたちの場所なんだなと思ったら
それ以外は
なにも言わない無数のものたちの棲み処なので
やっぱり
静まり返ったいいところさ
この世は
もう少し居ようかな
言わずに
言わずに
思った
のではなく
思おうことにしようかなと
…ね



2015年4月19日日曜日

イメージ


そう
クリシュナムルティが言っていたように
イメージなんか持っていなければ
傷付けられたりはしない
だれにも
だれも




それだけでいいんだな



厚手の生地のシャツをぶら下げておくと
それだけで気持ちがいいもんだ

あまり車の通りが多くない
海岸通り沿いのモーテルに泊まって
レースのカーテン越しに
まぶしいライトが船着き場を照らしているのなんかを
ちらちら眺めていたりするのさ

それだけでいいんだな
おれの幸せって
ずいぶん
簡単なんだよ




終わりにしなきゃなぁ



ものが煮詰まって
煮詰まり切って
そうして終わりに到る
のでは
たぶんない

終わり
なんて言葉で
お手玉するのを
そろそろ
終わりにしなきゃなぁ
きみ





ご自分でどうにか

  

けっきょくこの世で生きるのなんて最良の選択ではないから
紫色の軸の特製ペンなんかまた買ってきて
鼻が千本もあるゾウの絵を描いていましたので
あなたを暗殺するのが遅れに遅れてしまっています
たぶんこれからも急ぐつもりにはなれないので
あのぉ
暗殺されたかったら他にお頼みになるか
ご自分でどうにかなさってくださいな

それはそうと
今朝の浜は
このペン軸にも負けない
美しい紫の明け方でしたね




あのやさしいひとに

  

あのやさしいひとに
もう一度
会いたいなと思うけれど
会えないな
会わないな
会わなくていいんだな
飲み込んでしまって
食べてしまって
すっかり消化してしまって
わたし自身
なってしまっているから
あのやさしいひとに




水さ

  

まよわない煙が
ブルーライト
流れて
窓辺にも
ほそい清流の
さざめき
遠い
思い
深い
色の思い出せない
花の原の
むこう
きみ
と言う
言っていた
頃の
途惑いのハイウェイ
そんなに
キャラメル
そう
スザンナ
路地から次の
塀沿いに
短いズボンも
鞄重くて
髪の香り
あゝビルだビルだビルだね
回っている広告塔
山並み
雨をタクシー
最後の煙草一本
出発ロビー
いつまでも待っている
赤い街道
横に長い雲が供
手帳
いちばん小さいのを
破って
新しい歌謡曲
次の歌謡曲
雑音
眩しいね
しわくちゃのハンカチ
番地
目の乾き
上着一枚だけ
風だ
案山子みたいな
あれは
葡萄の木々
未来を思い出している
のかもしれない
のかもしれない
過去は沼
思い出すまでもないから
まだ緑濃い
雑貨屋の扉の
塗装の
剥げ
ちょっとだけ
食べたい
薄いハムかなにか
挿めて
波の音が近い
じゃないはずなのに
ジンジャエール
いや
たゞの水で
いいんだけどね
水さ




2015年4月13日月曜日

ケヤキの若葉



ソメイヨシノの花が済んでも
もっとたっぷりした山桜や八重桜が咲き出し
桜に目を奪われたまゝ

けれども
桜たちの脇で
他の木々も若葉を伸ばし
すっかり広げているものさえある

サッサッと音のするような
ケヤキの若葉のさまを見ましたか?
盛時の夏の葉とはちがう
まだ開ききらない
あの尖った葉たちを見ましたか?






2015年4月12日日曜日

たとえばこれかあれに今日決めてしまって

  

用があって近くの大きな家具屋に行った際に
ソファーの売り場をまわって座りくらべをしてみた
うちにもソファーはあるが
ひとり座りのパーソナルソファーとかいうものはないので
遊び半分にあれこれ座ってみたら
どうしてどうして
これがなかなか気持ちがいい
からだがスッポリ包まれる感じで
長い時間しずかに本を読んだりするのにはよさそう
座りくらべてみると
背もたれの傾きぐあいや座面のやわらかさがひとつひとつ違い
いざ買うとなってどれか選ぶのはけっこうむずかしいとわかった
すぐに買おうというわけでないから
本当に買おうというわけでないから
選択の決断はしないでいいまゝ
あれに座ったりこれに座ったりして売り場をふらふらし
小一時間などアッという間に経ってしまう
それにしてもいろいろなソファーがあるもので
いろいろな快適さの試みとかたちがあるもので
たかがひとり座りのソファー選びというだけなのに
豊かすぎてあっぷあっぷしてしまう
たとえばこれかあれに今日決めてしまって
来週には届けてもらうとして
窓のわきに置いて陽のうららかな休日にでも
ぶ厚い本を膝に開いて何時間も読み耽るとしようか
その時間だけは仕事も生活もすべて忘れ去ってしまうことにして
子どもの頃のように本当に本だけに没入するとしようか
そうしたらなんという幸せ
なんという充実とやすらぎ
外では陽光の中で人が時どき行き過ぎ
蝶が飛び花が揺れ車や自転車もあこがれのように過ぎる
腰や背が疲れない快適なひとり座りの椅子に支えられて
限られた時間でも本の世界にすっかり埋没できる
こんなにも本が好きな生まれつきなのに
大人になってからはたったの一度も本に埋没できたことのない自分
まるで成仏をみずから祈りでもするかのように
フワフワでありながら適度なかたさもあるソファーに座って
瀑布の滝壺への急降下場所のそう遠くもない残りの生にあって
わずかばかりの慰安を取り戻し直すかのように
目立つところの埃さながら心残りを拭い取っておこうとするかのように




2015年4月11日土曜日

永遠の花のよう



バラや牡丹を好んできたけれど
この頃小さな花も好きになってきた
マリーゴールドは前からお気に入りだったけれど
パンジーなんかにも感心させられる

小さな株なのに
あとからあとから花芽が出てきて
なんてお得な花なんだろう
雨に当たっても
風に吹かれても
ちょっと寒くなってもへこたれない

草からちょっと花芽が出たような
こんな種族たちもいいもの
さっぱりと軽くて手がかからず
なんだか
花というものの原型を見るような気がする
ちょっとやそっとの風雨に負けたり
次々花芽を出せなかったりでは
だめだったのだ
もともと草花というものは

何週間も花から次の花に代わりながら
パンジーたちときたら
いつまでも咲いているんだ
まるで永遠の花のよう
永遠そのもののよう



いまが続く



なぜあんなに眠かったのだろう
歩きながら眠ってしまって
その後どうなったかわからないんだ
いまもわからないまゝ

街から外へ出てしまったように思う
けれどどんな外かわからず
どこをどう歩いたかもわからない
いまもわからないまゝ

草はらをどんどん行って
湖の上も歩いていった気がする
すこし足も濡れたかもしれないが
いまもわからないまゝ

山や谷も経巡ったと思うかい?
けれどふかく眠っていたものだから
そんなこんなはみな不確か
いまもわからないまゝ

眠りからすべての生は始まるが
眠りから覚めたとみな思い込むばかりで
起きたのか寝続けているのか
いまもわからないまゝ

やがて死ぬだろうとっぷり眠り切るだろう
だれもがそう思うもののあやしい
眠り切った時こそ目覚めかもしれないが
わからないまゝいまが続く




4月10日の思い



410日だったのさ
ふとカレンダーを見ると

あゝ4月10日なのかと思ったのさ
まだ410日なのかと思ったのさ

4月は終わりに近い気になっていたんだよ
それなのに10日なのか
まだ10日だったのかと驚いたのさ

10
10
4月10日よ

どうして425日過ぎのような気がしていたのか

わからない
わからない

忙しすぎていたのか
心の遠出をしていたのか
思いの彷徨だったのか

わからない
わからない

410日よ

あゝ4月10日
まだ410

410日だったのさ

ふとカレンダーを見ると
まだ410日だったのさ




言ってみろ




美しいものだけを見る
素晴らしいものだけを見る
などという
愚かな逃げはしないこと
人間の
醜く
惨たらしく
無責任で
非情で
わがままで
勝手で
おぞましいものを見続けること
もし花の美しさを書こうとするなら
もし子犬や子猫のかわいらしさを書こうとするなら
もし人類の偉業を讃えるようなことをするなら
福島原発の悪化する一方のどうしようもないグタグタさを
数値やグラフで見て確かめてからにすること
中東の首狩りや頭部への射撃映像をいくつか見てからにすること
子宮頚ガン予防ワクチンの副作用で
激しく痙攣し続ける若い娘たちを見てからにすること
輸入フルーツにたっぷり散布される農薬の害を調べてからにするこ
チェルノブイリの子どもたちの奇形のすさまじさを見てからにすること
ガザ攻撃で殺された子らの脳の抜けた頭の中を覗いてからにするこ
天安門事件で戦車に轢きつぶされた
多量の人間肉煎餅を見直してからにすること
残っているかぎりのありとあらゆる戦争写真のあれだけの死屍累々
舐めるように何度も何度も見直し尽くしてからにすること
その程度のことは少なくともして
それでもなお
美しいものだけを見る
素晴らしいものだけを見る
などと言いたいのなら

言ってみろ



2015年4月10日金曜日

まだまだふらついていくよ




どう生きるべきかなど
遠い冗談のような
砂糖菓子じみた問い
どう死ぬべきか
とだけ問うているよ

精神にもなれず
思いにもなりきれぬ
枯草色の気持ちが
はっきりしない色のまま
JRに乗っているよ

暮れ方の窓ガラスに映る
顔らしきものが
ひょっとしたら
光学的には自分のようなもの
かもしれないよ

正直なところ
自分であってもなくても
かまわない透けた影
どう死ぬべきかさえ
どうでもいい他人事だよ

電車ばかりはいつも
ぐんぐん進むよ
名も知らぬ人々ばかりが
まるで時代や世の中のように
わさわさと群れているよ

自分というお荷物を
こんなに重く着膨れて
夕暮れから夜
夜から深夜
まだまだふらついていくよ




呪春



うしろの正面だあれ
と戯れ歌しているあいだに
春の次の
春の次の
春の次の
春の次が来ていて
あたりにはもう
誰もいない
春のうすら寒さが今夜のお汁をすぐにも冷まします
吹雪にはならないだろうが
背から胴体の奥まで沁みてくる寒さです
冬よりよほど寒いさむい春の寒さです
もっと人にやさしくすればよかったなんて
思っていないのです ずいぶんやさしくしてきたから
自分を主張しすぎてはいけないなんて
思ってもいないのです 人の主張ばかり聞いてきたから
皆もっともっとはやく滅びればいいのに
居てほしい人たちは
あたりにはもう
誰もいなくて
春の次の
春の次の
春の次の
春の次が来ています
ずいぶんやさしくしてきたから
人の主張ばかり聞いてきたから
もてなかった顔が大穴となって寒さが流れ込むばかりです
もっともっとはやく滅びればいいのに
春も
夏も
たのしみも
よろこびも
うしろの正面だあれ
と戯れ歌し続けていくあいだに