2015年11月29日日曜日

逃げ去る気配など少しもなしに

  
なにもすることがないどころか
するべきことなんていっぱい

なのにスイッチを切ってしまって
疲れ切ってしまっているのでもなくて
落ち込んでいるのでもなくて
茫然としてしまっているのでもなくて

冬の日曜の夕暮れ
ふと気づくとやけに外が静かで
やけに内も静かで
薄暗いまゝのサロンで椅子に座って
明かりも点けず
カーテンも開けたまゝで

薄闇の音というのかな
夕闇の肌ざわりとでもいうのかな
そんな中に居続けて
まるで温泉に浸ってでもいるように
芯からゆったりしている

芯というのはどうやら
心なんかよりも奥にあるようだと
気づくのはこんな時

それこそ本当の自分だとまでは言わないよ
言ったらそれはそれで
精神商売の宣伝文句みたいになる
言いたくなっても
言わないで留まることで
もっと本当らしく自分に向けて言える時って
あるじゃないか

やるべきいっぱいのことが
まったく自分にむけてのことじゃなくって
自分から自分を遠ざからせることばっかりで
そんなことをやらないでいる時に
あゝこれこそやるべきことだったなと
気づくような冬の夕暮れ

ひとりで居て椅子に座っている
明かりも点けず
寂しくもなく
不安もなく
いっぱいに心充ちて
座っている

たぶん立っていても
寝転がっていてもいい
たまたま座っている
そのたまたまの中に
努力しても
一生かけても手に入らないものが
あまりに当たり前に在る

得難いものでなどない
なんでもないものとして
逃げ去る気配など少しもなしに
ある



これだから




ふだん
詩のことなんて
これっぽっちも思っていないのに
詩のかたちで単語を並べはじめると
いろいろと詩のことを考え出してしまう
かたちというのは
これだから恐ろしいのさ




セッションが終わると


悪魔召喚の試みを続けている人の家では
すてきな香のかおりが漂っていた
悪魔はとりわけ安価な香を嫌うそうだ
神に焚く香も安価ではいけないと聞いたことがある

―どちらにしても値が張るもんなんですね

香についてそんな感想を言うとその人は

―だから実はwin-winのやらせじゃないかとも思います
対立する両勢力を役者として戦わせて
裏の演出家が利益を上げているんじゃないか、と

セッションが終わるともう東の空は明らんで
少し遠い駅までの道にやわらかい朝の薄闇があった
ともかくも悪魔には遠いような安らぐ風景と見え
神さえお出ましにならなくていいような風景と見えた



変奏 (「に、および、り」の同材料分節による)


満月かと見紛う
黄色い丸い月
が 東の空のかなり高くに
私の家から
出ている
遠くない河のほうへ
洩れる
驚きながら進み続ける
ところどころ
文字の
木々の下の
急な空気の停止に
歩きに出て
明かりが
稀に
あるいは風
わからない心境に
深い
ひろがり
どころか
家々の
夜に
次第になっていき
吹かれながら
暗闇を
どこへ向かうのか
時にはうちに
記され
通り続けてから
進み
あたりを自分でも
風に
出たのが
続けている
この
どこからか
ふいに




に、および、り


満月かと見紛うような黄色い丸い月が東の空のかなり高くに
                                                                      出ている夜に
私の家から遠くない河のほうへ歩きに
出てところどころ木々の下の深い暗闇を通り続けてから稀に
                          家々の明かりが洩れるあたりを進みどこに
    向かうのか自分でもわからない心境に
どこからか次第になっていき風に
時には吹かれながらあるいは風どころか急な空気の停止に
驚きながら進み続けるうちに
                                 ふいに
出たのが文字の記され続けているこのひろがり






どうかご安心を



図書館の奥に[ある階段の下のちょっと隠れた感じの空間に]
あるその机
[][海の端がいつも来ていて波が打ち寄せるので]
私のお気に入りだったから[図書館
に行く
には]いつもそこに座る
ようにしていた

机に居ながらにして[つねに海が手元にあり
波が打ち寄せ続けるのだから
なにより]海の詩など[はそこでは]読む[必要がなくなり
ずいぶんと手間が省けたが
水を舐めてみるとちゃんと塩辛いので]
夏の暑い日[など
塩分補給のために時どき舐めるように努めたりもした
塩飴を食べたりして塩分補給をする必要がなくなったので
その意味でもずいぶんと手間が省けた]

[さて
私が]今書きつけているこれは
[とりあえずは詩のかたちを取っており
わずかながら事故的に目にしてしまう人もいるので
そんな事故的読者のためを思って行動すれば
ここらあたりでこの書きつけは終える必要があるだろう
人が詩のような書きつけに求めるものは
たいていはごくわずかのイメージや韻律であり
あるいはそれらの組み合わせであり
それを超えた数量のものはけっして求められていない
物好きにも複雑に織りこまれた構造など読み取ってみたい時には
人はかならず古典をのみ読むものであって
偶然目にした同時代の書きつけなどに本気では向かわない
適切なところでプツッと書きつけは切断すべきで
わが親しい読者よ
私は皆さん以上に読者心理に通暁しているし
皆さん以上に飽きっぽいのだ
どうかご安][]

[ともあれ]
図書館の奥にある[階段の下のちょっと隠れた感じの空間にある]机に
[海の端がいつも]来て[いて波が打ち寄せるイメージは
ここまで]読んできた[事故的読者の方々の意識に
かなり深くまで入り込んだはずだろう
私が言語を]魔術[として扱い
深層心理に特殊な装置を言語で埋め込む作業を続けている
現代では稀な記述者だということは
幸い]まだ[そう知られてはいない

私が]行っている[のは数十年来あいもかわらず
徹頭徹尾]秘教的[]行為[と云える]




玄関の楡の木


ペンを玄関の靴箱の上に置き忘れていたらしく
帰宅してみると楡の小さな木になって
それがもう初夏の真っ盛りのように葉をひろげて
玄関をすがすがしい青で染めていた
それ以来けっして玄関は使えなくなったわけでなどなく
週を追うごとに伸び広がる楡の木でだんだんと狭まったけれど
ちょっと枝葉を避ければまったく問題などなかったから
そのままにしておきながら一家の日々は過ぎていったわけさ
もう200年以上も経つというのに
うちの家族が誰も死なず病気にもならないのは
玄関の楡の木のおかげかもしれないと思う
よその人に言ってもきっと誰も信じないだろうから
こんなこと言わないで来たんだけれどね
でも本当のことですべては置き忘れたペンから
始まったことだったのさ



2015年11月23日月曜日

最高の生き方とはなんだろうと思いながら


しかし甘やかされている現代人の柔弱な耳を、さらに撫でてやる必要があるだろうか?わたしたちの側から、彼らの偽善の言葉のために、一歩でも寄り添ってやる必要があるだろうか?
ニーチェ『道徳の系譜学』(中山元訳)



よく生きることとは
たぶん
よく眠ること
適切に食べ
ちょうどよい加減の運動を続けること
これらによって心身の調子を保ち
なにかに集中できる時間を
毎日しっかりと確保すること

こんなことを御大層に記しておくのも
ニーチェの『道徳の系譜学』を読み直しているから
よき心とよき思考
そして健全な身体への反省を
ニーチェは突きつけてやまないが
わかったふりを捨て去って読み直すたび
そう難しくもない彼の論旨は
いつも頭頂を吹き飛ばすように爽快に効いてくる
すくなくとも女々しい小市民ぶりや
文弱ぶりを脱ぎ去るのには
特効薬のように作用する

最高の生き方とはなんだろうと
ニーチェの刺激を受け直しながら思ううち
この頃『異邦人』のムルソーの生き方こそが
そのロマネスクな実現だったのではないかと思い到ってきた
現代の不条理だとか
現代人の不幸だとか
無感覚な現代人の本質の摘出だとか
そんなことをカミュは描こうとしたのではなく
時代を超えた幸福な生のあり方を
最高の生き方を
描き出そうとしたに過ぎなかったのではないか
世間も習俗も法も時には平然と超えて
恨みからでもなく生活の必要からでもなく
太陽のまぶしさのゆえに人を銃撃する
そんな生の幸福

ちまちまと今の平成の日本の世間や
習俗や法の枠内に収まって喜怒哀楽するような詩歌も
おしゃべりも
物語や小説も
やっぱりぼくにはつまらなくってしょうがないのだ
そんなことよりも古来かわらない生の条件を
シンプルに確かめ直すこと

よく生きることとは
たぶん
よく眠ること
適切に食べ
ちょうどよい加減の運動を続けること
これらによって心身の調子を保ち
なにかに集中できる時間を
毎日しっかりと確保すること…




ごくふつうのありふれたような



妻のお父さんが亡くなったので
静かな通夜を過ごし
葬儀の朝にも身内だけで静かに集まっていました

遺体の口のまわりの
わずかばかり伸びた髭が気になって
わざわざ剃らなくてもよさそうながら
電気カミソリでわたくしは剃って差し上げました

その機械の剃り味はあまりよくなかったので
ほんの少し剃るのにも
ずいぶん時間がかかってしまいました
最期の頃はもう食べられなかったものだから
点滴だけで生き長らえたひと月半のあいだ
病室で苦しげな呼吸を続け
衰弱と持ち直しをくり返したせいか
開けた顎が閉まらなくなっていて
口の奥にはほの暗い洞穴ができていました
舌は小さく縮こまって血の気もなく
なんだかミルキーの飴のようにも見えました

その夜は妻の実家に遺骨を運び
長いこと介護ベッドの置かれていた部屋に
祀る台をしつらえて写真などとともに安置したわけですが
それまであまり見たことのないその部屋の
壁の絵だの書棚だのをいろいろと見てみるうち
むかし写真屋さんで無料でくれたような
薄い小さな簡易アルバムを見つけたのでした

めくってみると妻の家族のむかしの写真が
いっぱいはないものの
それでも数十枚はありそうで
どうやら戦中のものさえあって
他家のものながらなかなか興味深く
立ったまま一枚一枚見入ってしまいました
大家族だった妻の家族の
もう亡くなってしまった顔々
散ってしまった顔々
ときおり話に聞くそんな人たちの顔かと推測しながら
ゆっくりゆっくり見続けていくうち
あるひとりの眼鏡の男の人が
いろいろな写真にたびたび現われてくるのに気づき
これはきっとお父さん…?
と妻に聞くと
どうやら妻さえ見たことのなかった
たくさんの
若い頃や若い若い頃の
お父さんの顔
戦中の中学の制服姿の写真まであって
学友たちと学校のどこかの壁の前に集まって
ちょっとふざけて掴みあっている様子
東京大空襲では炎に襲われながら姉妹と逃げまわったそうですが
たぶんそんな経験をするちょっと前の学校風景

結婚前らしい白黒写真の中には
勤め先で同僚たちと肩を組んでのものもあれば
どこかの温泉の前で同僚たちと並んで撮ってもらっているのもあり
なにを思っているのか
ひとりカメラのほうを生真面目に見つめて撮られているのもあり
カラー時代に入ってからは
海の浅瀬に入って小学生時代の妻と手をつないで
屈託なく大笑いしている写真もあります

老人になってからの姿しか
わたくしは知らなかったのですが
すっかり痩せ衰えて骨の浮き出た遺体の髭を
たしか四十分ほどはかけて剃って差し上げながら
老いさらばえた遺体の印象ばかりを心に刻んだからでしょうか
若かった頃の姿も見ておいておくれ
あんなに若かった頃があって
ほら
中学時代からの様子もちょっとは見ておいておくれよ
焼かれた体をさばさばと離れて
きっとそんな思いが宙を泳ぎ
わたくしをこれらの写真の数々に導いてくれたものでしょうか

わたくしが見知っているのは
この人の生涯の最後の十年ほどの姿だけでしたが
ただで貰った簡易アルバムに無造作に入れてある写真の数々からは
戦中から戦後を生きたひとりの男の人生が
くっきりと浮かび上がってきていました
幼い頃の妻の手を父として握って笑っている写真や
彼が撮ったに違いない幼時の妻の何枚もの写真
彼が撮ったのではないに違いない妻の学生時代の写真は
妻から見せてもらった後でそれとなく持ち続けて
仕舞っておいたものでしょうか

これらを見ながら
こんなひとり娘を持って地道に地味に暮らしてきて
身を痩せ細らせ
老いさらばえて平時に亡くなっていけたことの
なんと幸福だったことか
ごくふつうのありふれたような父の生を生きる経験ができて
なんと幸福だったことか
それだけはわかっておくれと
わたくしは告げられているようでした




この書き付け



本当はもう何も批判すべきものもないように思うし
礼賛なんて
一場のおふざけでしか
したこともない…

寒い冬の大きな墓地から帰ってくる途中
降ってきた雨を避けて
誰も客のいない茶屋に入りました

運ばれてきた茶の湯気を見て
―あゝ、わたくしこそ本当に幸福だったではないか…!
気づきながら
まるで熟練の賭博者が脳裏に思い見るように
今後のおりおりの切り札のように
何枚も何枚も
深く知った故人たちの面影の心のフォトを
捲り直していました

そうしてわたくしは
ふと
このところ絶えてしたことがなかったように
丁寧に髪を梳かしたくなった!
化粧室と呼ぶほどのものが茶屋にはなかったので
お手洗いの脇の暗い鏡に向かい
ながらく鞄の底に入れっぱなしにしておいた古い櫛で
丁寧に
丁寧に
特に額の右上あたりを撫で付けたのでした

本当にもう何も批判すべきものもないように思うし
礼賛なんて…
と記し始めたのが
この書き付けだったのです




そっと信じて

  

味も飲み心地も悪いがインスタントコーヒーを
深夜に淹れる現実味もあって
淹れる
深夜 台所で 電灯も殆ど点けず最小限の明かりの中で

棄て続け ネグレクトし続けてきた
わたくし自身を 
何十年もの荒れた岬での隠遁の後 今 
わが子のように拾い上げ
抱きとめてみようか

長らく螺旋を巻いていない時計を
ひとつひとつ取り直して
埃を払い 昔の指脂の付いた汚れたガラスを拭って
なにひとつ取り戻せないと
わかっている爽やかな明晰の哀しさにこそ
魂底から温められる感覚の仄かさを
そっと信じて



2015年11月19日木曜日

いつのまにか



なにか大ごとがあると
人びとはみんなすぐにおしゃべり小蠅になって

ああだ
こうだ
ああでもない
こうでもない
その証拠には
なんて悲惨な
そうかもしれない
にちがいない
もしや
きっと
なのだ
ちがうかもしれない
人ごとではない
共有しなければ
連帯が大事だ
戦う
負けない
許すことはできない
ああだ
こうだ
ああでもない
こうでもない
わぎゃあ
むぎゃあ
おぎゃあ
わお
にゃお
わん
わん

いつのまにか
おしゃべり小蠅から
おしゃべり犬や
おしゃべり猫にまで
なっている始末




なんか、そんなあたり

  
先週なかばから三つも葬式が続き
きのう久しぶりに仕事に戻るまでは
数日のあいだ田舎にも居続けていた
今どきはスマホでニュースも見られるから
パリでたくさんの人殺しがあったのも
用事の隙々にけっこう追ってはいた
しかし事件そのものなんかより驚いたのは
どこかのインターチェンジで
となりに居あわせたカップルの話
「パリで昨日なんかあったらしいよ
「そお?なに?
「なんか撃ち合いがあったらしい
「そお?パリってどこだっけ?
「パリって、ほら、どっか
「ニューヨークとかのほうじゃない?
「そおだっけ?
「なんか、そんなあたり