2016年3月31日木曜日

うそ

  

これがいいか、それとも、あれが…

というようなことでさえ
じつは長くながく深く決めかねるので

現代の風潮が求めてくるように「これ!」などと
快活に明快に答える時は
うそ

たぶん
幼時からずっと
うそ
だけを重ねて
つき合い続けてきた
この世

けれど
うそ
の裏地にはぴったりと
うそ
をつき続けのじぶんの本音が貼られているので
どのうそにも本音

どれもこれも
ほんとの
うそ

どのうそも
ほんと



遠すぎる花びら



起こった
ことの
一々
覚えていて

誰が
なにを
どう言って
どんな仕草を
したか
しなかったか

すっかり
忘れて
しまって
いない
もの

ぶ厚い
手袋の甲
あたりに
降り
かかって
きた
薄い花びらの
ように
遠い

遠い

近くて
遠い

遠すぎる
花びら

薄い

花びら




2016年3月29日火曜日

釣り糸を垂れる

  

私はもはや時間でしかないと
老いたシャトーブリアンは言ったが
物品すべてが時間の凝固物である以上
驚くべき発言でもない
言葉さえもが過去の遺物でしかない
使っている概念や観念や
感情や思いの据え置き方さえも

そうして
なるほど最大の時間の凝固物である肉体
過去より連綿と連なって来ている遺伝子が
時間そのものであるのは
理解も困難ではない
人類の祖先の類人猿ルーシーより
ずっと途絶えることなく流れてきた時の川

その川のほとりで
というより川そのものとして
概念の川 観念の川 感情の川 思いの川
なにより言葉の川を手繰りながら
時間に纏わる秘密 つまりは
あらゆる生成の秘密を絡めとろうと
こうして今も言語配列の釣り糸を垂れる




在って在るもの



現代に魂を住まわせなくしてから
わたくしは誰にも垣間見られさえせず
たいていの場合は音もなく滑る影
透明なブラックホールのように
さまざまな表象を吸収し続け
ごく稀に歪んだ珠のようにして
ひそやかに陳列棚に並べていく
わたくしは派遣されて来ていて
人間という一時的な現象の限界性を
つぶさに観察し資料を取り続ける
とりあえずの顔かたちを借りているが
いくらでも取り換えがきく衣装
わたくしは在って在るもの
形容され得ず属詞となり得ないもの
主語や動詞さえも逸れ続けるもの




きっと


             生きているひとは死んでいて
  死んだひとこそ生きているような
  鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』



死んだ人たちが
どうも
死んでいるように
思えない

 きっと
 狂っているのだろう
 わたしは

生きている人たちが
どうも
生きているように
思えない

 きっと
 狂っているのだろう
 わたしは

さっき ともに歩み 
しやべり 笑いもした
あの人たちも
もう 彩り薄れた幻影

 きっと
 狂っているのだろう
 わたしは

ともに歩んだ道も
お茶を囲んだテーブルも
壁も 窓外も 音楽も
もう 夢のセピア色

 きっと
 狂っているのだろう
 わたしは

もうだいぶ昔 ともに歩み 
しゃべり 笑いもした
あの死者たちが
生き生きと 彩りあるまゝ

 きっと
 狂っているのだろう
 わたしは

死者たちと歩んだ道も
お茶を囲んだテーブルも
壁も 窓外も 音楽も
なおも 現実の鮮やかさ

 きっと
 狂っているのだろう
 わたしは



水勢は狭い流れでこそ強まるから


真の導師は死のようだ。
ラジニーシ


恨みを力としている人も多い

しかし
水勢は狭い流れでこそ強まるから
恨みを力とし続けるには
魂の狭さが備わっていなければならない

肉体という仮の宿が
どれも同じような大きさに見えても
狭い小川の人もいれば
大海の人もいる

恨みを力としないどころか
力さえ必要としない人もいる




じぶんから出た時だけ

  

じぶんから出た時だけ
じぶんが見つかる

だれもが知っていることだけれど
忘れやすいから
ときどき
思い出してみるのも
わるくない

じぶんから出た時だけ
じぶんが見つかる

だから
とっても大切
肌に触れる空気の寒暖
空の色の移りゆき
足を躓かせる石さえ



まわりの顔々



ひとり人がいれば
取り巻いている
たくさんの顔が見える

ひとりではないですからね
こんなにたくさん
あなたのまわりにいますからね

そう言いでもしたら
おかしく思われるのが
この世だから

その人のまわりの顔々に
まなざしをやるだけ
落ち着かない人と思われながら



このところ疲れ切っている



イラクのサッカー場で起きた爆発も
パキスタンの遊園地で起きた爆発も
わたくしは少し前に心のうちで生きていた
飛び散ることになるあれらのからだ
ひとつひとつの痛みも自失も
時間の到来に先行して生きていた

自分の体がある場所の近くだけを
ひとは生きているわけではない
行ったこともない世界のそこ此処に
過去世で深く交わった人ひとびとが
じつは多く散って今生を過ごしている
死んだ後でまた再会するはずのひとびと

あの知己たちに起こることのために
このところわたくしは疲れ切っている
起こることは避けられなくはないが
たぶん避けないまま彼らはその場所に行く
どうぞ死が楽ですみやかであるように
逝ってしまえば交流は容易にもなるから




なにひとつよくやらずうまくもやらず



そんなにものをよく見ながらは
だれも生きてはおらず
欲動と意識のあいだにある
ほんのちいさな空間のようなものだけを
たぶん目にもし灯りにもして
土の中のミミズのように進んでいる
だからそんなにはものをよく見ずに
あえて生きていこうと心してみれば
たいていの心身の不具合ばかりか
何転生も抱えてきた運命の不具合さえ治る
すべてはよく見ようとするところから
なんであれよくしようとするところから
疲れ爛れ傷むようになってくるから
なにかをよくやろうという病に
ずいぶん深くとらわれ続けて
存在が凝ってしまったあげくのこと
よくやろうなんて逃げを打つんじゃないよ
どうしようもない怠け者の卑怯者さん!
なにひとつよくやらずうまくもやらず
ただ気と水に揺られるままでそこに在れ




2016年3月28日月曜日

分かち合ってくれているだろうか だれか

  

圧倒的なまでの
不幸の押し寄せの予感が来ているが
だれか
これを分かち合ってくれているだろうか
ふつうの生老病死ではない
悲嘆
阿鼻叫喚
自失
放心
衰弱
の無限の連鎖
たゞ見棄てておくしかなく
まだ動けるものはそこから去ることしかできない
広大な累々たる死の領野
肉の散らばり
腐敗
骨の堆積
そんな光景が
まだかたちを取りきらない未来の中に
抗しようもない津波のように
この3月
この4月
押し寄せてきている
圧倒的すぎて
この不幸の押し寄せの予感
もはや抗しようもない
よほど強く目を
気持ちを逸らさないと
胸に強い衝撃を受け
体調を崩すほど
だれか
これを分かち合ってくれているだろうか
今がまさに
これから起こって行くことの
顕現の境目の時
これから物質化していく
ふつうの人間には持ちこたえられないほどの
長い悲惨の連続の
開幕の寸前
これを分かち合ってくれているだろうか
だれか



2016年3月27日日曜日

春になってきたからといって



春になってきたからといって 春のことを
考えるなんて 
さびしい

もっと
他のことを
考えられないのか
思考は自由ではないのか
目の前のものにばかり縛られて
桜色にすぐにも染まる
なさけない心を
どうにかできないのか

そんなことでは
火葬場の釜に入れられる時も
火の色に染まり
やがては灰に染まる心の
ままとなる
のでは
ないのか

なさけない心を
どうにかできないのか

春になってきたからといって 春のことを
考えるなんて 



遡行さえしなければ


花冷えと
桜の
蕾や花びらに切れ目がないように
感情と思いにも
あたり前のようだが
切れ目はない

しかし
思いという言葉を使うと
考えとどう違うのだろうかと
しばし
迷ってしまう

そんな迷いの中で
まだまだまばらな桜の花付きを見て
見た気になったような
桜という
ほどのものを
見た気には
やはり
なれないような

そうして

もう
現代などいらないと
ふと
無性に思う
わたくしひとりでも
非常に大きく
停滞しなければいけないと
思う
遡行さえ
しなければいけないと
思う




物のふしぎ

  
物の
ふしぎ

それらを作った人たちの
想念がすっかり完成されて
わたしを取り囲んでいる
ふしぎ

作った人たちが
とうの昔に死んでいて
あるいは
死んだばかりで
あるいは
そろそろ死のうとしていて
想念だけがあり続ける
ふしぎ

物の
ふしぎ

誰かの思いから出てきて
くっきりと
わたしを取り囲んでいる
ふしぎ

人たちの想念に
いつもいつも
取り巻かれている
ふしぎ

人跡稀な自然の中に
たとえ
入り込んだとしても
かならずや
だれかの想念に取り巻かれ続け

という言葉を思い出そうと
出すまいと
わたし
から出たのでない想念に
取り巻かれ
続けるほかない
ふしぎ




死を思うとき



死を思うとき
誤りやすいのは
まるで
自分が生きているかのように
まずは思ってかかること

どこにいても
場の歴史の
あまりの多層ぶり
無数の時間の喧々ぶりが
眩暈を齎すはずなのに
すっきりと覚め
まるで自分自身でいるかのように
感じていられるなら
なにも感知できていない
証拠

それこそ
死ではないか
すっかり
目も耳も肌も
閉じられているのだから



諸世紀のうち、二〇一六年以降



悪魔と呼びたくなるような
そうとしか名づけ得ないような
そんなものが
そこ此処に
うすく
濃く
漂い出していて
いくつかの場所には凝り出している
もし多量の人死にを
不吉なものと
やはり思うのならば

殺したくて
殺したくて
たまらないと身悶えしている心が
静かに世界に
満ち溢れつつある

人の多く集まるところ
しかし広い密室のようなところに
それは凝集する
ガスが流れ
血も流さずに多くの人が死ぬ
死ぬ人々はもう
霊界の名簿に書かれているので
そこに行ってページを捲り
閲覧できる人にはわかる
並ぶ人名のあまりの多さが

少なくとも20年は続くと言っておく
はやく死ぬ者ほど幸いだろう
名簿にはやめに名を記されるほうが
幸せだと思われるだろう
旅をせず
自分の今の居場所に居続けるのが
もっとも知恵のある過ごし方
と言われるようになる
用事で遠出をしなければならない人は
どこでも安らげる時がない
此処で今日生き延びても
明日はわからない
花束が爆発し
スプーンに毒が塗られている
多くの飲み物が胃を損なう
倒れている人々を見捨てて
逃げのびなければならない街路にさえ出くわす
そんな日々が何年も続くうち
いったい人類はどこをどう通過中なのか
見当もつかなくなっていく

今これを日本語で語っている
この言葉の使われる島々にいて
まだ幸せだったと言われるようになる
この島々の遠さ
世界中とのズレが救いとなるだろう