2016年4月24日日曜日

おまえを抱えていっしょに湯船にでも入り

  
もう初夏だからか
汚なくしていないつもりでも
トイレのモワッとした感じが気になって
ちょっと時間のとれたのを幸い
ちょこちょこと掃除

ほんのちょっとのつもりが
便座をしっかり外して
あちこち
ちょこちょこ
ちこちこ
やるうちに
すぐに20分30分と経ち
そろそろ1時間
うららかな午後に
もう夕暮れの雰囲気が
染み上り出している

それにしても
便器やその周囲の掃除なんか
まだまだ楽なほうで
問題は
流した時に飛沫が細かく散っていく
四方の壁の掃除
こいつは実はかなり手ごわい
ちょっと洗浄液でもつけて
簡単に拭きでもすれば
すぐきれいになるだろうと思っていたら
とんでもない
よく見ると細かい汚れがこびりついていて
擦っても擦っても
それらはなかなか落ちない

30センチ平方ぐらいを拭くのでさえ
けっこう時間がかかる
しかも紙に洗剤をつけて拭くと
すぐに紙がぼろぼろになってしまって
どうしても布でないといけない
ということで
適当なぼろ布を探しに
押入れのあちこちに探しにいったりし
これはこれで
しっかり時間がかかる
布探しだけで
いつのまにか20分ほどは経つ

便座は汚くなってはいないが
それでも
プラスチック製のあちこちの縁に
拭い切れない埃や汚れが溜まってしまう
けっきょく風呂場で
シャワーをじゃんじゃん当てながら
隅々まで洗い直すことにしたが
なんだか
ペットの犬や猫でも
風呂に入れて
洗ってやっているみたい

いっそのこと
こんど風呂を沸かした時には
おまえを抱えて
いっしょに湯船にでも入り
浸かってみてやるかな
おゝ
日々世話になっている
かくも大事なる
わが便座よ
うるわしくも歳古りた白磁っぽい
白とクリーム色のあいだっぽい色あいの
わが毎日の親愛なる友よ
大事な隠しどころを隈なくご存じの
あやしいまでに親密な
秘密の分かち合いの相手
便座よ



2016年4月22日金曜日

ようやく思いはじめる


気のなかに
また
ひどく不穏な近未来が染み広がっている
苦しむ人々が増える

人の作ったものは壊れ続ける
その地の人が
作る意欲を失うまで

すみやかに逝った人の平穏を
幸を
なお生きていて
動き続けねばならない人々は
みな羨む

しだいに
人々は神意を思う
なにが悪かったのか
自分たちのなにが
とようやく思いはじめる



2016年4月21日木曜日

その芽?



地震の続く熊本の
知り合いのあの人や
別のあの人などのことは
すぐに気になり
メールしたりもしたが

訪れた時に寄った
いろいろな店のことなどは
すっかり失念していて
何日も後になってようやく
思いが到るようになった

あれらの店々は
どうなっているだろう
品物がひっくり返ったり
棚まで倒れてしまったり
店も傾いたりしただろうか

思いが向かうまでの
こんな遅れぐあいに
わたくしは自分の中の
ちょっとした欠損部分を
見たような気がした

…悪、
というものだろうか
少なくとも
その芽?
こんなことも?




2016年4月20日水曜日

宙の中に現われている

  

起こることにも
それとぴったり同じ姿の
見えない身体があり
それは先んじて
宙の中に現われている
それを見れば
なにがどのように
現われてくるかわかる

やってくる時も
起こることなので
それとぴったり同じ姿の
見えない身体がある
宙の中への現われ方は
こちらはちょっと違うので
見て取るコツは
すこし難しい
起こることとの
扱いと合わせると
さらに



2016年4月19日火曜日

そろそろ


ものの世界だからと
いつも限界を負わされて
負わされるふりをして

…しかし
そろそろ無視し
逸脱して
ものの縛りから外れても
いいかもしれない

ものでないわたしの部分が
ものでない動きを
しかるべく始めるように




壮絶なソファ


ひどく眠くなって
ソファに横たわったが
ふいに世界が来た

この数日会った人々の顔が
世にも稀な茸のように
いきいきグングンと
押し迫ってくる
人々が今の彼らであるのが
あのようであるのが
こんなにも特別な
世にも稀な時なのだ
と気づく

世がこのようであって
人々があのようであることが
じつは本当に特別なことで
見せてもらっているのか
いま、それを
最盛期を
と気づいて
そら恐ろしいような
壮絶なソファ




2016年4月17日日曜日

だれもが死と労苦と衰えの淵を歩む



これからなにが起こっていくか
すでに年来の予言詩で示しておいてある

体調をととのえ
不要不急の活動は少なめにし
身のまわりと心の持ち物も減らして
どんな非常時にも
機敏に対応できるよう
準備しておくべき時節が来ている

仕事として必要な生産や活動以外は
減らすかやめる方向で進んだほうがいい
物として蓄えてもゴミになっていきやすい
電子的なデータ保存をするほうがいいが
じつはそれも20年以内の電磁波異常で
地上からほぼ消滅することになる

美や充実や生甲斐は
今の一瞬のうちに味わいつくせる態度が
これからは本当に必要になる
だれもが死と労苦と衰えの淵を歩む
平穏と見える地でも平気で死が隣りに来る
災難の地でも安らぎと豊かさはある

どんなことが起ころうとも
日本はまだよかったと思われるようになる
世界中に起こることのむごさ
限度がないと見えるほどの甚だしさ
それらにも耳目はやがて慣れるだろうが
奈落の底が開いた怖さに慣れることはできまい




むこうももっと


他人のことを
鋭く見抜けているつもりになっていたり
分析できているつもりになっていたり
評定できているつもりになっていたりする時に
はるかに厳しく              
完膚なきまで
見抜かれてしまってもいることは
見落としがち

こちらが相手に思う程度のことなど
むこうももっと冷厳に思っている
双方の思いの中で
激烈に評定を下しあっている

ことばにしないだけで
態度にさえ示さないだけで



思いは伸びていける

  
疲れるのも大事なことで
そこから
ほかの人の
まったくの別のからだの疲れにも
思いは伸びていける

自分そのものではない
自分のからだ
それがこう疲れるのなら
ほかの人のからだも
同じように疲れるのだろうと
思いは伸びていける

ほかの人のからだが
ほかの人そのものでは
ないだろうことへも



2016年4月11日月曜日

わたしよ ありがとう



からだに
ありがとう
と言ってごらん
じぶん自身のからだに

たちまち
からだが温かくなってくる
すぐにわかる

疲れた背や
腰や
足や
ほかのどこでも
ちゃんと名を呼びながら
頭よ 
ありがとう
心臓よ 
ありがとう
と言ってごらん

たちまち
そこが温かくなってくる
すぐにわかる

わたしよ 
ありがとう
と言ってやったこと
ありますか

あなたのわたしは
ずっと
それを待っていた
わたしよ 
ありがとう
といつか
あなたに言ってもらえるのを

わたしよ 
ありがとう
と言ってごらん
たちまち
あなたは温かくなってくる
すぐにわかる

まわりのみんなにも
すぐにわかる




放下

  

部屋の中が雑然として
未整理なまゝ
本や書類が積み重なっている

きれいに整理したいが
なんとなく
そうする気にならないこの頃

部屋に物が少ないのも
整っているのも好きだが
それがそのまゝ心の整序を表わすかどうか

ましてや魂の澄明さや
宿命に溜まった澱みの大掃除の
捗りぐあいを表わすかどうか

物は物として物の山に放っておけば
結局はそれでいいのかもしれず
それが究極の放下かもしれない


2016年4月10日日曜日

無評価



もっとも悪い心根とはなんだろう
もっとも心の悪いありようは
とよく思う

ひとつを選ぶ必要もないし
さかしげに決めてみる必要もないが…

悪そうなことは
あれや
これ
いろいろ浮かぶ…

もちろん
悪いこととは?
という定義にも
ふたたび
迫られてくる

けれど
気にかかってしょうがないのは
評価者になろうとする欲望
他のものについて
他人について
とにかく評価してやろう
自分こそが評価者になろう
そんな態度

いやだな
と思う

もちろん四六時中
人は他人の評価ばかりして生きている
それが
対人的な心の自然の動きだから
小さなことから
大きそうなことまで
政治行動から
アイスの味選びまで
装いや
靴の合わせ具合
しゃべるときのちょっとした言葉選びから
もちろん
詩歌のトーン設定まで

けれど
あたかも自分の価値観や
美意識が
疑いようもない正統であるかのように
なんの逡巡もなく
他人をイイ/ワルイと評価する人たちを見ると

いやだな
と思う

あっという間に
その人たちの周囲に壁ができ
ハトが止まるのを邪魔する塀の上の棘のようなものが
壁から外にむかって繁茂するのが見える

いやだな
と思う

そうして
いつもながらに
何度も
何度も
夢見てきたように
他人を全く評価しない心とアタマに
憧れ出す
イイとも思わない
ワルイとも思わない
さらには
他人とも思わない
もう全く
他人を生きていない
そんな
心とアタマに




2016年4月9日土曜日

すべて見えている風景の中に



どの電車に乗っても
疲れている人が多かったように見えたが
花のせいだろうか
桜に疲れたのか

ようやく桜も去っていこうとしていて
川には花筏が揺れていたりする
見飽きたようでも
見飽ききらない渇きが
街の風景のあちらこちらに
透明に染みているかもしれない

また来年の花時まで
と思いながら
二度と見ることのできない人も
本当は
どれだけいることか

しかし
みんな隣りあい
交じりあって
風景

目の前にないものも
風景も
人は見るが
まずは今
見えている風景に
ひとみを晒す

すべて
見えている風景の中に
あるつもりで
あるようなつもりで




2016年4月8日金曜日

とんでもない超保守主義者

  

わたしには主張すべきものもないし
うるさく言い募る人たちと違って
じぶんの思想
などと言ってみたくたって
読みかじり
読みあさりの
あっちこっちの断片の
パッチワーク

考え方にしたって
民主主義っていうのは
徹底したら
天皇さんがいるのはヘンだと思ったり
でもそこらの首相より
よっぽど
天皇さんのほうが
お人がよさそうだし
などと迷ってみている始末で
不徹底
不正確この上ない

感情など
父母のあれこれの反応のしかたを
脳の奥に染み込ませて
そこに後から
他の人たちの反応のしかたを
吸い込んで
自分の心で御座いと
思い込んでみている程度

そうして
あゝ
たましいときたら!
あるのか
ないのか
時どき言葉としては
大仰に使ってみたくなるものの
カラオケで
おじさんが放吟するようなぐあい
口から出まかせとは
このこと

もちろん
身体なんて
徹頭徹尾借り物
地上の原子分子をかき集めて
必死で顔かたちを
支えているだけのこと
DNAなんぞに至っては
アダム爺ちゃんとイヴ婆ちゃん以来
ずるずる引き摺ってきている
借り物中の借り物
そんな伝承を別にしても
最初の類人猿はルーシーと云うそうで
ルーシー婆ちゃんのDNAを
後生大事に抱え続け
使わせてもらっている
ということは
とんでもない超保守主義者なわけで
道理で
革新改革刷新ばかり空疎に叫ばれる
この世とは
反りが合わないというもの




いつものんびりとスミレ色の夢を


小野十三郎は
母の友だちのお父さんだったが
教科書で読んだ桜の歌は
なかなか
のんびりと哀切で
とてもよかった

むかしは
いろいろなところで
目にしたが
山村暮鳥なんかも
言い過ぎず
とてもよかった

他には
田中冬ニとか
丸山薫
黒田三郎や
千家元磨
八木重吉だとか
とりわけ
津村信夫など大好きで
時代や政治を
あまりじかに書かないのが
みな
よかった

立原道造も
ずいぶん
ノンキなもんだとも
思うが
詩というのは
あゝあって
もらいたいと思う

人が忙しい時に
ごろニャンとしている
猫みたいに
だれか
いつものんびりと
スミレ色の夢を
見ているような人が
詩人として
いて
ほしい

《私たちの 心は あたたかだつた
《山は 優しく 陽に照らされてゐた
《希望と夢と 小鳥と花と 私たちの友だちだつた*

こんな
よっぽど老いさらばえて
もうどうでも
なってしまえという歳でないと
なかなか
恥ずかしくて
書けないような行句を
よくまァ
二十ちょっとで
書き残したものだと
ほのぼの
感心してしまう



*立原道造『草に寝て…』