2016年9月30日金曜日

緑茶…



寝なければいけないが
緑茶でも飲みたい感じだった

  感じだった…
  と
  書いたが
  気分だった…
  と
  しようか
  迷った

  しかし
  「気分」を使えば
  「気」が入ってしまう
  緑茶でも飲みたいという意識は
  今回の場合
  「気」の中に
  漂っていたわけではなかった

  「感じ」
  も
  じつは
  正確ではない

  が
  しかたがない
  他に
  より近い言葉は
  見当たらなかった

  言葉
  とのつき合いは
  こんなふう

  いつも

寝なければいけない…
緑茶でも…

  などとすれば
  いいのか

寝なければ…
緑茶…

  のほうが
  いい
  か



2016年9月28日水曜日

お化けの話、聞きたいな…

  
ずいぶん湿ってきたね
雨になりそうだ…

お化けの話なんか、ないかい?
お化けの話、聞きたいな…

そう水を向けると
いったんは
「そんなの、ありません」
と言ったものの
しばらくして
「そういえば…」
と女子学生は話し出した

高校時代の“入らずの校舎”の話

墓地の上に立てたという
その私立高には
ぜったいに入ってはいけない
という古い校舎が
キャンパスの端にあって
ふだんはまったく使わないのだが
スポーツの大会で
はじめて上位に進んだ野球部のための
応援組織の集会の会場として
特別に使用したのだという

そうしたら
校舎に入った学生たちが
次々と気を失って倒れてしまった
救急車や警察の車が何台も来て
けっこうな騒ぎになったのだという
地元では今も話題になるらしい

話を聞いてから
すこし沈黙…

凄いね、それ
お化けの話を
ちょっと超えてる…

   いつ
降り出したんだろう…

いつのまにか
雨が降っている…




2016年9月25日日曜日

大学生の頃


Quel joli temps pour se dire au revoir.
Quel joli soir pour jouer ses vingt ans.
Sur la fumée des cigarettes,
L'amour s'en va, mon coeur s'arrête.
なんてすてきな時、さようならを言うには
なんてすてきな夕べ、二十歳を演じるには
煙草の煙に乗って
去っていく愛、止まる心
BarbaraSeptembre(Quel Joli Temps)



大学生の頃
秋はいつのまにか始まっていて
まだ葉々は緑なのに
バルバラの歌が似合ってきて
講義には
故郷から戻ってきた
友人たちや知りあいたちが
ぽつぽつ
加わり出し
夕方には
行きつけの喫茶店で
なんとなく
待ち合わせるようになり
読んでいる本の話を
石飛びをするように
ぽつぽつ
し続け
外に出ると
もう肌寒い時もあって
難しいこと
簡単なこと
複雑なこと
簡潔なこと
それらで頭をいっぱいにして
愛は
たぶんなかったが
愛への憧れはあって
うわっつらの
甘美さや
やさしさに惹きつけられ続けで
微笑みや
瞳の輝きの
無意識の蒐集に忙しく
街灯に揺れる
街路樹の葉々に未来の光と影を見るようで
体だけが若くて
他は幼くて
それらにこそ
頼りきって
なんでも乗り切っていける
輝かしいさびしさが
豊かに溢れていた
大学生の頃



 BarbaraSeptembre(Quel Joli Temps)





その人の世界



敵愾心など
誰に対しても持たないし
よほどのことでもなければ
嫌いにもならない
避けもしない
そんなこと
必要がそもそもない

けれども
その人の世界とやらを
見ろ見ろと
押しつけてきたり
いっしょにいる時に
じぶんの意識世界ばかりに
足を取られているから
だろうが
会話の受け渡しが
軽々とできない人がいて
けっきょく
じわじわ
避けていくことになる

芸術をやっていようが
詩人さん俳人さんだろうが
ダンサーだろうが
どうでもよい
あなたの世界とやらは
心ゆくまで
オブジェに実現し
紙上に展開し
舞台に炸裂させておくれ
それ以外の時間は
他のどうでもいいことを
話そうよ

野次馬的なまでに
何にでも
興味があるので
人に会いに出ていかなくなることは
めったにないのだが
その人の世界
しか
持たない人たちにだけは
頑固なほど
会いに行かない



2016年9月24日土曜日

心の裸足で



雨のなかを歩いて
たぶん
清められていく必要は
もう
あまりない

濡れた葉から
葉へと
しばらく
視線を滑らし続け
ふと
海に出会ったら
いいと思う

いっぱいの比喩で
満たして
また
海という言葉を
使うように
なった

と言いながら
街を行く
その浅瀬を
深みを
心の裸足で
飽きず渡って行く




2016年9月23日金曜日

ポケモンGO


ポケモンGOとかいうのを
あたまがいいと見せたがる人や
良識家と見せたがる人たちは
こぞってバカにするのだが

考えてみれば
ポケモンGOでない
ものがどれだけあるのかと思う
たったひとつでもあるのか
あやしい気もしてくる

儲けのために忙しがるのや
ブンカといういい加減な
麩のような枠に守られた
たぶんきっとおそらく
いでおろぎい
とかと呼んだらいいような
埃くさいかっこ付けの
精神的宝飾品GET行為
そんなのだって
ポケモンGOじゃないか

街のはずれに立ちづめでいたり
公園にワッと押し寄せたり
小さな画面ばかり見続けて
むこうから来る人にもぶつかれば
車に轢かれそうになったり
そんなことばかり
人間はしてきただけじゃないのか

そんなことをご大層に
ブンカとか精神活動とか
経済活動とか政治生活とか
すげぇ名前をつけて呼ぶんだが
なんのことはない
どの国も滅んできたじゃないか
民は餓え路頭に山野に海河に迷い
人ひとりの体などはかないものだから
さまよっているうちにどこかで
倒れて骨になっていくじゃないか
人類はむかしから例外なく
ポケモンGOだったじゃないか






他人に厭かれるのには
慣れているので
肩のちからを入れることも
しない

茶の一二杯に
歓談で
なくもなかったような
曖昧な気分を
払いもせず
ときには
ちょっと抑えぎみの
破顔一笑ふうの
演出もして

無理まではしない

いい
言葉ではないか
一期一会
とは

こちらが
厭いていた
とは
見せまい

まるで
仕事から帰るような
さっぱり
きれいな引き方が
その
証では
あるけれど




止んでいた雨が、また…

  

止んでいた雨が
また強くなったようだ…

秋の涼しさ
肌寒さを感じるようになると
ひとり
家にいるのも
さびしい

家人がいても
ひとり
眠っていて目覚め
未来を茫漠と思うのも
過去を思い出すのも
さびしい

みんな亡びていくのだ
みんな衰弱していくのだ
みんな老いていくのだ
みんな死んでいくのだ

なにもかもが
さびしい

この世界では
なにかのために伸び
たくましく
頑強になっても
だんだんと逆路がはじまる
遅速の違いがあるだけで
肉は痩せはじめ
頭は鈍くなり
老いの臭いが立ち出す

そんな
あたり前のことが
さびしい
あたり前が
さびしい

なにもかもが
さびしい

  雨はさらに強まってくる
  明日も雨だろうか
  傘をさして行く人たちを
  ぽつぽつと
  薄くらい街路に
  見るだろうか… 




2016年9月22日木曜日

もっと遠くへ



雨が弱まってくると
屋根の端っこで
ぴしゃぴしゃ
水の音が立つようになる

聞いていると
屋根の端っこより
もっと遠くへ
遠い時間へ連れて行かれる



飽きたら


どの人の詩にも飽きる

どの人の語り口にも
興味の方向にも
冗談の持ち出し方にさえ
飽きるように

といって
いつまでも
飽き続けているのでも
ない
また気が向いたり
する

毎年
めぐってくる
秋のように

と言おうか
今度から

飽きたら



2016年9月21日水曜日

いま 此処 これが過去


過去を生きている
などというと
もっと若い頃は
さびしく感じたものだが

もっと若く
なくなってくると

過去と繋がっていない
いまも
明日も
もうちょっと離れた未来も
ありはしないのが
無音の確かさでわかってきて

さびしくなど
まったく
なく

たとえば
山手線に乗っている時でも
あゝ
過去を生きている
いま
と思う

風景の流れを
流れゆく
そのまゝに
確かな巌の上にいるかように
いま
此処
これが過去
と思う



2016年9月20日火曜日

二十年前のじぶんのメモへの回答


どこへ行っても
つまらない人が増えたなァ
と思ってしまうのは
たぶん
相手の気持ちを気にしないで
じぶんの話題ばかり
しゃべる人が増えたから

じぶんのことをしゃべったり
相手のことを聞き出したり
そのバランス感覚が
なかったり
歪んでいたり
そんな人が増えた

(…とメモしたのは
(じつは
(もう
(二十年以上前
(今では
(壮絶な現状…

他人の話を聞くようにしろ
などと
ビジネス本には
書いてあったりするが
相手の話ばっかり聞いているのも
あさましい
商売ッ気がさせているのは
見え見えだから

話なんて
こっちのものを
あっちへ
あっちのものを
こっちへ
そんなふうに渡しながら
たまには
じぶんの話も
混ぜてみたりする
ってなぐあいが
たぶん
ちょうどよい
借り物を
さらに
貸し物にして
まわしていくぐらいで
ちょうど
よい

相手のことに
こっちがまるで興味がないように
相手だって
こっちのことなど
知りたいとも
思っていないんだから

(…と
(これは
(二十年前の
(じぶんのメモへの
(回答