2016年11月30日水曜日

また、指す海



指さす海の
たぶん
遠くからの風
冷たく
吹き抜けて
頬を(ふたりの)
撫でて
もう
うしろへ
彼方へ
といっても
人のいるところへ
行ってしまい
ぼくらは
残る
海と街のあいだに
ほんの
しばらくの
永遠(なんて
ない
なんていう
児戯は
もう
終わり
さ)
を頬や項の肉に
息づかせて
冬でも
夏でもない
水筒のような丈夫さで
何も待たない
地面より上1メートルほどの
肺と
心臓を守って
指だけは
また
指す、海




欠けた林檎が満ち 水
膨らし粉の中に長らく隠れ住んでいた
透明の小人姉妹が
胸の
そろそろ
メンテナンス
欠けた
ままの未来形の思い出 一縷の
分別 白い網が続いている
林檎

ここからビル街
ひとりで行くのがよい
もうさびしくないんだよ
無花果の木が
ひょろり
舗道の脇に立っている


メンテナンス
金属製の
硬い胸

ビル街

たくさん人がきても
誰もいない

磨ぐ



語食



どうして冬の
蛍を扱ったのか 彼が 彼は
わからない
どうして冬の 彼が
蛍を扱ったのを さらに
扱ったのか
わからない

蛍は
使ってみたい
気を惹く語ではある が かといって
使った
から
いって
なにかが」(ストップ

         瓦礫 に 蝶では乾き過ぎているから
         もっと潤いがほしい
         湿り気が

どうして
…この語には湿り気がある
わからない
…この語にも

いつも
湿り気のあるところで止めなければならない 文明は
行き過ぎてはいけないのだ

(乾いた言葉が大手を振っている時代だ…

         瓦礫 
が渇いているとはかぎらない 
         蝶

冬の蛍を扱った
のが
彼でも
それをさらに引っぱってきたのは 私か

私と言う時の私
                私か
                それ?

湿り気は助詞から来る
古びる
のも  助詞から 

湿原に行こう
スマホに蘆や葦が生える
舟でではなく

マス下げや記号ではなく(改行ぐらいは使うものの
意味で断層を作るべきでは?

大仰な読みづらさは
もう
終わらせるべき
時代

どうして冬の
蛍を扱ったのか 彼が 彼は

わからないでもないが
わかる
わからないは
どうでも
よい

幽霊が錦を豪奢に着てしゃなりしゃなりと歩いてくる
轟音がした
サッと止んだ
皆が乗り込んでいる車から降りるのは難しい

拾い方を変える
語の

痛いような
語の到来

轟音がした
轟音のように
到来する
戸浦井

語の乞食
語食

錦を豪奢に着てしゃなりしゃなりと歩いてくる



冬にいない蛍


冬にいない蛍はこのあたりでは見たこともないから
冬にいない蛍 このあたりでは
冬に           見たこともないから
ない蛍は            ない
 にいな  は      見た
冬    蛍  




2016年11月27日日曜日

そういう心持ちに終焉が来ないうちは


  
どんな人にも関心が湧かないので
人のことをあれこれ人が言うのがわからないし
注視したり
問題視したり
意地悪したり
虐待したりするのも
わからない
人のことに時間を費やすなんて
無駄でしかない

かといって
地上のさまざまなものに
関心を持つことにも関心が湧かない

その場の
生き延びる上でのつき合いもあれば
行きがかり上の流れというのもあるから
なにかに関心を持つふりもすれば
しかたなく
うん
うん
ふーん
うん
うん
などと声ならぬ声を出すこともあるが
声ならぬ声を出したというだけのことで
どうでもいい
地上のことなど

かといって
天上のことに
関心があるわけでも
もちろん
ない

天上なんて
ただの言葉にすぎない
言葉はつねに地上のもの
関心の持てない人人人から出たもの
そんなものに
関心が持てるわけなど
ない

こう言ったりすると
じゃあ
なにに関心があるんだい?
と人は聞いてくる

なににも
関心がないあり方だって
あるさ
まったく
不健康じゃない
関心のなさっていうものが
ある

現に
こうして
肉体を
維持していられるし

さびしくも
なんともない

ものは見えるし
音は聞こえる
触れれば
いろいろな感触もある

どれひとつにも
関心は持っていないけれど
つまらなくはない
さびしくはない
つまらなさや
さびしさの契機さえ
すでに
なくなっているから

関心を持つ心持ちでいるうちは
つまらなくもなる
さびしくもなる
そういう心持ちに
終焉が来ないうちは

それが
あなたに
起こらないかぎりは



魔境



長方形の板は横から見ると線にも見えないほど薄く
それが空の高いところに浮かんでいるから
見上げる角度によっては
望遠鏡で凝視しても探し出せない
わずかでも角度がずれれば見えるはずだが
あらゆる光を吸収してしまう素材で出来ているから
どう目を凝らしても結局は見出せない
しかも10㎝×2㎝の小さなもので
これがあなたにとっての本当の魂です
といくら占師に言われたところで
どうにも為しようがない
もっとも誰であれ自分の魂に出会ってなどいないのだから
この板をわたしが見つけなければいけない道理もないのだが
存在を教えられてしまえば
やはり気になってしかたがないではないか
もっともそれが本当にわたしの魂なら
向こうこそわたしをつねに見つめているはずなのだから
こちらは気にせずに彷徨していればいいのだろう
むしろ進んでめちゃくちゃに所を変え続ければ
焦って追ってくるのではないか
この思いつきはなかなかの傑作で
子どもの手から離された風船のようにあちこち
移動し続けてきたが
いよいよ今日の午後には木星に移る予定
長方形の板が本当にそこまで追って来れるか
ちょっと怪しい気もするが
最近思うのだ
自分の魂さえ着いて来れなくなった存在というのは
これはなにか決定的な超克を果たした存在ということに
なるのではないかと
魂なしで十全に存在して行けるのなら
恐ろしいほどの何者かになったということではないかと



醜いひと



自分のことばかり語るのは
醜いひと

自分の仕事のことばかり語るのも
醜いひと

業績とやらを語り
どれだけ自分が偉いか語るのも
醜いひと

褒められたくて
仲間はずれにされたくなくて
ひとを褒めたり
お愛想を振りまくのも
醜いひと

そんなことがわかっていて
したり顔に
黙っているのも
やはり
また
醜いひと

醜いひと
醜いひと
こんなふうに
醜いひとを数え上げるわたしも
どうしようもなく
醜いひと



すぐ薄い心的膜を隔てた下につねに継続中の夢の層があって



Le rêve est une seconde vie.
        Gérard de Nerval

夢は第二の人生である。
ジェラール・ド・ネルヴァル



生活のさなかに普通に機能している意識がまどろむと
すぐ薄い心的膜を隔てた下に
つねに継続中の夢の層があって
そこでは
いわゆる普通の生活とは全く異なった時空が展開され続けていて
最近
ようやくそこに長く滞留するすべを覚えた
普通に眠って起きる場合にはじつはそこに滞留せず
もっと眠りの深部に行ってしまうが
その場合には6時間から7時間程度で普通に目覚める
しかし
最近滞留するのを覚えた意識のすぐ下の層に入り込む場合には
平気で12時間ほど眠っていることができてしまう
これはおそらく
その層が睡眠する層ではなくて別の現実だからで
じつは目覚めているからだろう
事実その層に居る間は肉体の口でたえず何かを喋っていることが多
様々な人々にひっきりなしに出会い続け
いろいろな議論や会話をしている
昨夜はその層とは別に存在する別の自分が
その層に居て喋り続けている自分の会話を聞いていて
ふっと肉体的に目覚めた
目覚めた刹那
長い間
自分の肉体の耳が自分の口の話しているのを
ずっと聴いていたのを思い出した
目覚めてすぐの数十秒ほどから数分はじつに貴重で
それまで自分が居た夢の層のことや
その層と今の覚醒意識との間の関係についての情報を
非常にリアルにありありと掴めることが多い
昨夜この覚醒時の知覚から得られたのは
意識下の間近の夢の層はじつは普通の生活意識の覚醒状態の際にも
進行中であるばかりか
その中で自分が確固として生き続け意識を持ち続けていて
そちら側の意識が生活意識に影響を与え続けているということだっ
眠れる予言者エドガー・ケイシー*の用いた無意識下意識は
おそらくこの心的薄膜下の夢意識世界であったのではないか
生活意識を保ったまま
つまり普通の覚醒状態のままで
この薄膜下の夢意識を同時にはっきり意識し続けていられれば
生活意識側の現実における予言も透視も可能になるだろうと思われ
普通は巫女たちや霊能者たちはこれをトランス状態によって獲得するが
あくまで日常意識を保ったままでも意識視野を多層に開けるようになれば
さまざまな能力が獲得できることになるだろう
これは黒魔術のほうで言えば
いわゆる魔方陣を開くのに近いことになり
大変な霊力を必要とするものであり
ルドルフ・シュタイナー**は
十分な霊的体力が備わらないうちは厳に慎むべしと教えていたが
能力と機会が自ずと向こうから来る場合には
それはいわば宇宙が一個人に要請する時であるから
もはや固辞すべきものではない
その場合はいつまでも人間のレベルに留まっているべきではなく
人生など放棄して
ただ逝くべきであろう



**Rudolf Joseph Lorenz Steiner    https://en.wikipedia.org/wiki/Rudolf_Steiner









地球のヒト科の集落


みんな
死を待っているだけなのに
終焉を
消滅を
待っているだけなのに
それまでの期間を
よほど御大層な
貴重なものだと思いたがる
センチメンタルな
場所だよね
地球の
ヒト科の集落って



所詮、くだらないもの



恋愛は面倒
セックスに関心なし
そんな若者が激増中だという
いきなり
結婚
だけしたりするそうで
いきなり結婚族
って
いうそうな

いいんじゃない?
恋愛もセックスも、所詮、くだらないもの
老いてそれをやらかせば
「まったく
「いい歳をして
と誰もが言うようなもの
つまりは
若気の至りとしてだけ
許される
くだらないもの

そう

人生だって
地球だって
地性だって
心だって
魂だって
信仰だって

みんな、くだらないもの

そう

神だって



やっぱり価値などいらないと思う



じぶんになんの価値もないのは
ほんとうに
よくわかっている

たゞ
息をしている
心臓に動いて戴いている
それだけで
奇跡だと思う
それだけで素晴らしい
他のことなど
余剰のことに過ぎない

なにか価値を持たなければ
とは
思わない
人界での価値など
しょせん
他人にどれだけ利益を与えたかで決まる
ドイツの財界に利益を齎したナチスは
大いに価値ありと見られただろうが
そんなことで
つねに価値は決まる
たゞ
そんなことだけで

じぶんに対して
価値があることを持つのは
必要かもしれないが
価値らしきものなどないのに
息もしている
心臓にも動いて戴いている
これだけで素晴らしいと思っているから
やっぱり
価値などいらないと思う

良寛さん
ぐらい
なのかな
こんな話が
できるかもしれない
相手は