2018年12月26日水曜日

呼びかけてみれば



うつくしい公園は
歩いてみているだけで
うつくしい

うつくしくない公園も
うつくしい 
たぶん
呼びかえてみれば 
呼びかけてみれば

うつくしい公園
というふうに
呼びかけてみれば

こう思ったのも
歩いてみていたから 
たぶん
うつくしい
うつくしい公園を



ずっと夢見させてくれて ありがとう

 
母が死んだとき
忌野清志郎が知らされたのは
それがじつは母ではなかったということ
ほんとうの母は
彼が三歳のときに死んでいて
母であるかのようにずっと彼を育ててきていたのは
ほんとうの母の姉
伯母だったのだということ

彼はそれを
ザ・モンキーズの「デイドリーム・ビリーヴァー」*を借りて
日本語で**

  ずっと夢を見て
  安心してた
  ぼくはデイドリーム・ビリーヴァー そんで
彼女はクイーン

ずっと夢見させて
くれて
ありがとう
  ぼくはデイドリーム・ビリーヴァー そんで
彼女はクイーン

と歌い込み
ザ・モンキーズがとうに顧みられなくなった
昭和末期から平成に亘って
RCサクセションではなく反権力土方バンドのザ・タイマーズ***として
反原発のザ・タイマーズとして
広島平和コンサートのザ・タイマーズとして
パレスチナ独立記念パーティーのザ・タイマーズとして
放送禁止用語反対のザ・タイマーズとして
デイドリーム・ビリーヴァーを日本に流し続けた

忌野清志郎が死んだあとは
彼のかわりに
セブン・イレヴンが
もっともっと
大規模に広範囲に そんで
みごと巧妙に
歌い続けている

ずっと夢見させて
くれて
ありがとう
  ぼくはデイドリーム・ビリーヴァー そんで
彼女はクイーン

次の年号になっても たぶん
セブン・イレヴンは
もっともっと
大規模に広範囲に そんで
みごと巧妙に
歌い続けていくだろう


*The Monkees Daydream Believer
**ザ・タイマーズ 「デイドリーム・ビリーバー」
***ザ・タイマーズ



ひさしぶりに事故的にYMOのライディーンを聴くと

 
ひさしぶりに事故的に
YMOのライディーン*を聴くと
よくわからない時代になってきたナ
とヒシヒシ感じさせられた一時代がそのまま蘇ってきて
よくわからない時代に底なしにほんとうになってしまったナ
とジシジシ感じさせられる現代にピッタシ繋がってきて
もしやもしや
これは
必然的だったのかもしれない
ひさしぶりに偶然のように聴いちゃったのは
と濃厚に納得

Youtubeで見ると
コメント書き込んでる人たちが冴えてて

「東京オリンピックのオープニング、
「これでよくね!?

「未来的な音楽って、
「未来になっても未来的な音楽なんですね。

「東京五輪は この曲からスタートすればいいよ、
「メイド・イン・ジャパンを世界に向けてアピール!

「近所のスーパーで、
「夕方の半額シール貼られる時間帯にずーっとかかってる。
「 『この曲掛けたらみんなテンション上がって
「売り上げも上がるはずだ!』
「と考えてるスーパーもどうかしてるが、
「まんまと乗せられて無駄買いしてしまう自分もどうかしてる。
「ちなみに去年まではロッキーのテーマだった。

「実はこの曲、教授じゃなくて、
「ユキヒロさんの作曲なんだよね~ …
「クラッシュシンバルもタムも一切使わずに、
「スネアだけでフィルインを叩くユキヒロさん、
「さすがっす()

などと
いちいち
小気味よく納得


*Yellow Magic Orchestra(坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣)“Rydeen




慰み物のサガワミツオ



掃除機をかけていたら
無性にサガワミツオが聴きたくなってきて
マイッタ

すぐに戻るつもりでちょっと出て
帰った時には
寒い師走のたそがれ
いい天気の午後だったので
布団だのなんだの
干したまゝ出かけたものだから
大いそぎで取りこまなきゃ
その前に
寝室をサッと掃除機がけしとかなきゃ
まァ
せわしない掃除時間

そうして
モーター音をがなり立て
掃除機
かけていると
なぜか
サガワミツオ
どうしてか
サガワミツオ

“遅かったのかい?”
“きみのことを”
“好きになるのが?”
という
あれ
「今は幸せかい」*の歌詞が
メロディーとともに
平成最後の師走のたそがれ
布団を取り込む前の
寝室掃除人の意識のなかに
漂ってくる

“ほかの誰かを”
“愛したきみは”
“ぼくを置いて”
“離れていくの?”
と鼻唄寸前
くっきりと思い出されてきて
脳内拝聴していると
なんと
まァ
くだらない歌

ある
ある
よくある
ありきたりのことを
未練たっぷり
うすっぺらな言葉
ならべて
“遅かったのかい”
“悔やんでみても”
“遅かったのかい”
“きみはもういない”
と歌ってきて
最後に
“いまは幸せかい?”
“きみはもういない”
と結ぶ
サガワミツオ
サガワミツオ

曲も簡単なら
歌詞も簡単なので
少年時代の下校時の鼻唄に
ちょうどよかった
サガワミツオ
サガワミツオ

別れた元カノや
元カレに
ひさしぶりに会って
それとなく向ける言葉なら
ジャズのスタンダードの
What's new?
のほうがはるかに素敵だと
まだ
知らなかった頃だから
下校時の鼻唄に
What's new?
How is the world treating you?
You haven't changed a bit
Lovely as ever I must admit.
なんて
もちろん歌わなかったし
ましてや
クリフォード・ブラウンのトランペットと
クインシー・ジョーンズ六重奏団を背景に
ヘレン・メリルが歌ったもの**など
子ども過ぎて
聴いたこともなかったし
伸びのある
堂々たる歌唱のリンダ・ロンシュタット***も
まだカヴァーしていなかった
昭和時代
高度成長期の頃の
ベトナム戦争の続いていた頃の
慰み物の
サガワミツオ
サガワミツオ




*佐川満男「今は幸せかい」
** Helen Merrill  Whats new
***Linda Ronstadt  Whats new




ずいぶんと気分のいい街

 

予想もしなかったのに
ひさしぶりに来て足を進めていってみると
ずいぶんと気分のいい街
信号が変わるまで待っているあいだも
心の底まで
ゆったりとしていられるようで

この通りの
そう、あのあたりに
むかし
ずいぶんぼくを好きになった女性詩人の家があって
古い大きなお寺の娘さんだったが
いちど本堂まで招かれ
仏像だの
絵巻きだの
江戸時代からの古いものを見せてもらったりした
さほど見たくもなかったのだが
せっかく近くまで来たのだから家に入っていってほしいと
せがまれて

どうして会わなくなってしまったのだろう
と思い出してみれば
あまりに小さな声で話すひとで
カフェで話そうにもまったく聞こえないし
電話でさえ聞こえたり聞こえなかったりだし
ましてや道や駅前に立ちどまって
どこの店で食べようかと決めようにもほとんど聞こえないので
聞こえるふりをしたり
聴きかえしたり
それをくりかえし続けるのが
つらくて
つらくて

喉に問題があるのでもなく
たゞ声が異様に小さくて
いちど防音室のような喫茶店に入った時だけ
小さくラジオをかけているようになんとか聞こえ続けたが
それでもこちらが前かがみになって
チゴイネルワイゼンの録音で
サラサーテがつぶやいた声を必死に聞きとろうとするように
耳に手のひらをあてて首を傾けて聴き続けるのが
つらくて
つらくて

そのひとのあまりに小さなそんな声のために
ほんのちょっと故意に
ほんのちょっと積極的に
会うよりは会わないのを少しずつ選ぶようになっていった末に
いつかすっかり会わなくなって
なんとなくやりとりしていた手紙だの季節の挨拶だのも
とうとう送りあわなくなって
果てていった
そのひととのやりとり

そのひとと歩く時には
いつもそのひとの声を聞きとろうとするのに疲弊して
雰囲気を楽しむ暇もなかった街
こころゆくまで見わたすこともなかった街

それなのに
いま
そのひとをすっかり失って
そのひとにすっかり失われて
ひさしぶりに来て足を進めていってみると
ずいぶんと気分のいい街
信号が変わるまで待っているあいだも
心の底まで
ゆったりとしていられるようで




歳をかさねていくほど

 

歳をかさねていくほど
子どもの頃のじぶんが気にかかってくる
子どもの頃のあらゆることがさらに思い出され続け
それらこの子が経験するあらゆることが
多様で複雑な無限の意味のプリズムとして統一されていくように
歳をかさねた今のじぶんが支えなければと思う
この子がちゃんとつつがなく育っていってくれるように
この子の未来が生きる甲斐のあるものになっていてくれるように
歳をかさねた今のじぶんが創り続けなければと思う




2018年12月21日金曜日

一時思い込んだことのあるなにか



ほったらかしの
物の
あれこれ…

とは
ちょっと
思う
ものの

物は
じぶんで
のこのこ歩いて
そこ
ここに
くつろぎに
集まってくる
わけ
でもなくて

つまり
わたくしの
為した

物となって
ほったらかされている
あの日
この日
あのとき
そのとき
わたくし

わたくし
たち

わたくし
一時
思い込んだことのある
なにか



かならず すべて

 
わたくしのはなはだしい消極性こそが世界を輝かせ
あのように
このように
あらしめてきたのだろう
たゞ見る目
たゞ聞く耳
たゞ触れる肌
そんなわたくしのはなはだしい消極性が

朝のわかい陽ざしに
いま
たっぷりと照らされて
浸されて
さらに
さらに
はなはだしく
わたくしは消極性のきわみの降臨となろうと決意する

なにもすべきことはせず
なにも語るべきことは語らず
なにももたらすべきことはもたらさず
たゞ見る目
たゞ聞く耳
たゞ触れる肌
わたくし

しかし
かならず
すべて
聞き
触れ



ひとりで また ふたりで

 

アカガシだったような気もする
ネジキだったような気もする

いや
クロガネモチだったか
カゴノキや
イスノキだったか

ひとりで
また
ふたりで
林から
森へと入っていったあたりで
きれいに
くっきりと枯葉して
落ちているのを拾った
あの葉

ひとりで
また
ふたりで



2018年12月18日火曜日

ポップス

 
ポップスは時代の広告
時代がクライアント

だから
時代としてしか
物質化できない霊たちが
じぶんたちの顔として
気分として
ポップスばかり纏う
時代が違えば
異国の地で
村ひとつ
虐殺してしまえるような
霊たちが

クライアントのいないことばを
お望み? あなた?



2018年12月17日月曜日

失ってしまったのは


携帯電話なんか持って
失ってしまったのは
留守にしているあいだに
電話
あったかな?
心配するような
どきどきするような
帰宅まぎわの
あの思い

ひとへの連絡を
なんでも
メールで済ますようになってから
失ってしまったのは
あのひとからの
手紙
きょうは来るかな?
もう来てるかな?
わくわくしながら
がっかりにも
どこかで備えておく
こころのあの秤

LINEばかり使うようになってから
失ってしまったのは
携帯電話やメールしか
使わない
使えない
ひとたちとのつながり
LINEまでは開通させなくてもいいかな
という
ひとたちとのつながり



2枚干すと

 
となりどうし
2枚干すと
Tシャツは楽しそう

3枚干すと
もう
わいわい
たのしい時間が
始まりそう



独特のまよいを

 
にほん
と呼ぼうか
にっぽん
と呼ぼうか

いまでも
まよい続ける

ときどき
にゃっぽん
とかつぶやいてみて
にやにや
しちゃったりも
する

これも
にほんご使い
だからこそ

ほかの言語使いなら
にほんか
にっぽんか
はたまた
にゃっぽんか
まようことなど
ありえない

まったく
言語っていうのは
独特の
まよいを
もたらして
やまないもの



なにか



赤いペンのわきに
黒いペンを置いたら
ぴったり寄り添って
まるで
はじめから
くっつけられて
作られたかのよう

こんなふうに
くっつけて
ぴっちり
置くつもりじゃ
なかったから
ちょっと
驚いた

なにか
思いもしないことが
はじまる
かのようだ

なにか
これら二本の
赤いペンと
黒いペンにとって

なにか



2018年12月16日日曜日

ぶあつい雑誌で

 
なにか
語りたいことがありそうな人たちは
迂回
することにして
(なにかを語りたいというのは
(なにか以外を
(しばらくは受けつけない
(ということだから…

澄んだ南海の珊瑚礁にゆらめく
水のような
空無を
ひたひた
肌の
すぐ下まで満たしている
人なんかと

たっぷり
食べたいような
最新
スイーツ
事情を
ぶあつい雑誌で
ずぅっと
見ているところなのです



なりかけながら


 
ものが
そのようにある
ふしぎ

使うとか
触れるとか
手に入れるとか

そうする以前に
いつも
深すぎる
驚きを
してしまって

見つめたまゝ
立ち止ってしまう

もの
ように
ちょっと
なりかけながら

ちょっと
ふしぎ
なりかけながら