2018年9月30日日曜日

膝の上の鈴木あづさの頭とともに復活した未来のように

  
朝までファストフードで
みんなたわいもない話
時が経つのも忘れていたね
ともに過した日々が懐かしい
いつしかあなたとふたりで
会う機会多くなってた
あの時のよな気楽な気持ち
どこかに忘れてしまったよね*
Every Little Thing   《Time Goes By》


POPHILL97(8月9日)の舞台で
Every Little Thingの持田香織が
“いちばん新しいシングルを聴いてもらいたいと思います”
と『出会った頃のように』を披露した時**
音程にもあやしいところがあるし
彼女の声もまだ震えていたりするが
一年後、東京国際フォーラム・ホールAでの
1988年8月3日と4日のかれらのツアーの舞台では***
最後の曲として披露されたこれが
危なげなく安定した声と
(長丁場で疲れていただろうに)しっかりした音程で歌い切られていて
一年のあいだにこれだけ貫禄がつくものかと
かなり驚かされる

1997年8月9日(土)、私は
フランスのポーPauから北海道新聞宛てに
依頼されていた新聞記事を郵送し
人生の共犯者compliceたるエレーヌ・セシル・グルナックHélène Cécile GRNACとともに
11:47にポーを発って
12:15にカトリックの聖地ルルドLourdesに到着してい
ホテル《カフェ・ド・ラ・ガール》Hôtel Café de la Gare(★★)に投宿し
すぐに聖堂や洞窟に向かい
世界中から集まった病人たちの集まるミサの外で
小川のほとりに座りながら
おそらく天空の無数の天使たちの羽風に吹かれてのことだろう
理由もないのにとめどなく涙が出続ける経験をする
市内の書店でルネ・シャールRené Charの詩集を買う
午後4時にルルド市内の(なんと!)マクドナルドで軽食
夜に《ル・リッシュLe Riche》でディナー
ホテルに帰って靴下を三足洗濯し
絵葉書を三人宛に書く

1998年8月3日(月)、私は
1月にふいに私を裏切って他の男へ走った玲奈に、ちゃんとした
別れの話の場を設けるよう、なおも手紙を書き、投函する
佐藤某から電話
理映から電話
歌人・書家の坂本久美(故人)へ電話
詩人・関富士子より
私の詩誌《ヌーヴォーフリッソン》16号についての感想の手紙
ルドルフ・シュタイナー『神秘学概論』読み続ける

1998年4日(火)、私は
朝に朝日新聞に電話して新聞が配達されていないことを告げる
隣家の武村俊さんに電話し、外猫ミミのことを話す
新しい女たちの激しい接近の中で方向を見定めるため複数の占いをし、
玲奈の回帰の可能性を得る一方、
アメリカ女性レスリー・モーガンLeslie Morganとの結婚は遠のくとの結論
夕方から伊藤妙子と新宿バンチェット、TOPS8階で飲んだ後、
京王プラザ45階のポールスターでさらに飲み
朝まで帰らない
ほとんど言葉を発することのない不思議な女、妙子の人格には
いつもながらに強烈な印象を受ける

Every Little Thingとは関わりがないが
1998年8月8日(土)、私は
外苑前のバー《ハウルHowl》に行き、
コピーライター佐伯誠の発案で集まった
出口三奈子(雑誌『東京人』編集者、出口裕弘氏の娘)
阿久津里美(ダンサー)
和田美穂子
福山悦子
バー《ラジオ》のバーテンダー小西ら7人で
代官山の三宿食堂へ食べに行く
カルパッチョが記憶に残る程度で、たいしたこともない食事だったが…
その後、外苑前の《ハウルHowl》まで歩いて帰り
朝の5時まで飲みながら、いろいろな客たちと話し続ける
『装苑』編集長徳田民子、
編集者内田加寿子、
文芸雑誌『リテレール』編集者藤田由美枝らがいた

しかし
1988年8月頃、私は
まだ
Every Little Thingを認識していないし
持田香織の声も
しっかり聴いたことはなかった
8月11日に坂本久美と河津温泉のリバーサイド河津に行った時も
レストランでは歌謡曲が流れていて
Every Little Thingをおそらく耳にしているはずだが
やはり認識していない
ラジオの放送作家の仕事で忙しかった坂本久美は
朝も昼も夜も
どこにいても
ラジオ局からの電話を受け続けで
食事の時さえ安まる時がなかった
2日には下田に向かったが
坂本久美は唐人お吉ゆかりの安直楼に上がるのを非常に怖がり
私が中を見学する間
外の道でひとりで待っていた
私は宝福寺のお吉の墓からすがすがしいものを感じたほどだったの
坂本久美の反応を不思議に思ったが
数年後にガンで死去することになる坂本久美は
なにか自身の宿命のようなものを感じ取っていたのかもしれない

夜に帰宅してから、11日中に届いていた
詩人・長尾高広の詩集『縁起でもない』(書肆山田、1998)を読み
とてもよい本だったので長尾に電話し感想を伝える

Every Little Thingをつよく認識し
持田香織の声を
しっかり身に染まして聴いたのは、翌年、1999年3月25日深夜から
26日朝にかけてのことか

助手をしていた大学の卒業式の謝恩会運営の中心となり
新宿《カフェ・マルティニック》で会を滞りなく進めた後
小説家久間十義氏を囲んで《土風炉》で二次会
その後さらに学生たちと歌舞伎町《つぼ八》で三次会
朝の4時頃まで飲み続けるうち、学生たちは皆ひどく酔う
そろそろ電車の始発だからということで店を出るが
特にひどく酔った女子学生ふたりが歩けなくなりマクドナルドに避難する
ルルドで入ったように、予期もしなかったのに、マクドナルドに!
そうして、ふたりの酔いが軽くなるのを
コーヒーなど飲みながら皆で待つ
ひどく酔ったうちのひとりは
卒論の相談によく話に来ていた鈴木あづさで、私の
膝の上に
小さな頭を乗せて
小一時間ほど眠り続けた

この小一時間ほどの間に
Every Little Thingがシャワーのように鳴り続けていた
響き続ける持田香織の声の中で
鈴木あづさは眠り
私の膝の上に乗っている彼女の頭をときどき見ながら
テーブルを囲む五人ほどで
ぽつぽつ
話をし続けていた
鈴木あづさの髪を撫で続けながら
玲奈が終わり
レスリーが終わり
坂本久美が終わり
まったく新しい時期へと抜けていくのを私は感じていた
歌舞伎町のマクドナルドが
1999年まで私だったものの剥がれ落ちの場となり
変貌の場となった

1988年8月11日に話を少し戻すが
そう、坂本久美と河津温泉に向かうあの朝
下北沢駅から乗った新宿行きの小田急線内で、私は
生涯で二度とは会えないと思えるほどの理想の女に会った
赤ん坊を抱いた三十歳以上の女で
すでに人妻で子供もあり、私の手のまったく届かない状態にあった
私が生涯を賭けるべきでありながらすっかり失われてしまっている女を
新宿駅に着くまで目の前に見続けながら
以後の私の人生がエピローグでしかないだろうことを
後日譚のようなものでしかなくなるだろうことを痛感していた
すでに人生の本編は終わってしまっているのだ、と
凄まじい喪失感に襲われて、車中で倒れそうになったほどだった
この女とではなく
東京駅から坂本久美と伊豆に向かわなければならないのが辛かった
あれほど美しかった坂本久美だというのに…

1999年3月26日の鈴木あづさの頭とともに
この女も終わったのだろうか…

終わったのだろう
それ以前のすべてのものの感じ方
ものの思い方が
すべて剥がれ落ち
流れ去って行ったのだから

“理想の女”
とか
“生涯を賭けるべきでありながら”
とか
“すっかり失われてしまっている”
とか
そんな言語表現をうっかり心のうちで使ってしまう癖も
それに感情を導かれてしまう未熟さも
すべて

鈴木あづさは時どき覚めると
持田香織の歌う
「恋愛のマニュアル 星占いも
「そろそろ飽きたし
「まわりのみんなの変わってく姿に
「ちょっとずつ焦り出したり
「ダイアリー 会える日 しるしつけてる
「なんだか不思議ね
「今まで以上に夢中になれるのは
「夏の魔法のせいかしら
というところで
すこし頭を動かして
拍子を取ろうとしたりする

私はそのあとの
My Love Is Forever
「あなたと出逢った頃のように
「いつまでもいたいね
「ときめき大事にして
のほうに
もっと
気持ちを揺さぶられるようだった

私にとっての
ほんとうの
ForeverMy Love
いったい
誰でありえるだろうか、と
3月26日
まだまだ明るくなってはこない
歌舞伎町の明けがたの戸外を
大きな窓ガラスごしに
膝の上の鈴木あづさの頭とともに復活した未来のように
見つめていた



Every little Thing : Dear My Friend
Every little Thing : 出逢った頃のように
Every little Thing : Time Goes By



温帯低気圧に変わっていく頃

  
2011年から
列島をすっぽり覆うことになった
ふつうの台風とは
比較にならないほど大きな
あまりに大き過ぎて
感じることさえできない人びともたくさんいるらしい
超巨大台風も
2056年頃には
温帯低気圧に変わっていくことだろう

すべては過ぎ去っていく

温帯低気圧になった後の時代の人びとは(もし人が
まだこの列島にいればの話だが…)
21世紀型の長期に亘る巨大戦争の時代だったと
21世紀前半の5、60年ほどの間をふり返り
20世紀にはこの列島の日本語国家が
経済的にずいぶん繁栄していたこともあったのだと
リアリティーのない奇妙な
ちょっと証明の足りない不確かな歴史話を
夢物語のように聞かされて
紫外線を遮るものも激減している青空を見上げたり
魚介類も海藻も食べるのを禁じられて久しい青い海を眺めながら
まだまだたくさんのコンクリート廃墟の残る
虫歯の後のような列島で
草木や虫など食べられるとはいえ
だいたいは空腹を耐えて生きるほかない日常に
すっかり心をぺちゃんこにされながら
とにかく
昔ここにいたらしい人たちは
避けようと思えば避けられた災害や世の崩壊をまったく避けず
ずいぶん愚かで
ただ黙って滅びに向かっていくだけだったのだと
どうしても思ってしまうことだろう

ずいぶん文明は進んでいたとも聞くが
どこかの時点からあらゆる記録が失われ出し
たとえそれが残っていたとしても読み解くすべがわからなくなり
草木や虫などしか食べるものがない自分たちが
ひょっとして
もっと他のものを作ったりできるかもしれない可能性も
すっかり失われてしまったのも
昔の人びとのせいなのかもしれないと思うものの
さあ
ほんとうは誰のせいだと考えたらいいのか
誰のせいでもなくて
よくお爺さんが言ったように
事のなりゆきということでしかないのか
そう考えるべきなのか…

とにかくも
毎日毎日つよい日差しの太陽の下で
日中の温度が40度を下ることのない列島に居られるだけでも
なにも着なくていいのだし
熱帯ならではの植物が繁茂して
食べられる実もいっぱい得られるのはありがたいと思えば
いろいろなことが昔にあったのだとしても
べつにかまわないかなと思えてくるのだった

使い道のよくわからない尖った大きな塔がいくつか
汚れてぼろぼろになってまだ立っていたり
コンクリートでできた巨大な蛇のようなものが
複雑に入り組んでのたくっている場所もあったりして
どれも蔦に巻きつかれて近づけないけれども
あららは昔の人びとの宗教的な祭壇の一部だったんだろうか…

などと思いはめぐり
めぐり
めぐりするうちに
ただ草木や虫などを食べているだけの人体の脳内に
世界についてのまとまった考え方のつくり方がまたでき始めてきて
やがて
ふたたび新たな民族主義の方向へ
新たな戦争の方向へ
新たな殺戮や差別や他者の家畜化や型に嵌った思考と感受性の窒息の方向へ
向かい始めていこうとしている

あゝ、素晴らしき新世界よ!
あゝ、素晴らしき人類よ!




2018年9月28日金曜日

からだのまわりの空気にもこびりついたようになって

  

ふいに聴き直してみたくなる音楽や
ふとしたことから耳にする音楽や

聴いてみると
聴いたことさえすぐに忘れて
まるで
そんな時間さえなかったかのような
そういう音楽もあるが

なぜか
心や思いの内壁にべったりとこびりついて
メロディや調子が
反復され続ける音楽もある

数週間前に
なにかのついでに聴き直したラフマニノフ
交響曲第2番の第3楽章*
(友が死んだ後に救いのように聴いたからか…)
そんな音楽のひとつだが

偶然聴き返すことになった
ズビグニエフ・プライスナー作の
映画『ふたりのヴェロニカ』のテーマ曲**
耳ばかりか
心や思いの内壁にばかりか
からだのまわりの空気にもこびりついたようになって
毎日いくども
自然にはじまっては
時どきの間隔を置きながら
鳴り続けている

それらをちょっと止めようとして
思いついて
いい加減にかけてみた
竹内まりやのSeptember***
たしかに
ずいぶん効果的ではあったものの
あのひろい温かい声のためか
からだの外の
さらにもうひとつ外の空気にこびりつき
折りも折り
ちょうどSeptemberの時間の流れゆくなか
鳴り続けていった

それにしても
“そして、九月はさよならの国…”とは
なんとみごとな歌詞…
1979年の詞に
いまさらながら驚いて
調べ直してみると

あゝ、松本隆の作詞!





* Rachmaninoff Symphony no.2 op.27, 3rd Movement HD

**Zbigniew Preisner - Van den Budenmayer - La double vie de Véronique
***竹内まりや《September



2018年9月27日木曜日

遊び相手

  
マリアージュ・フレールの紅茶
アールグレイ・アンペリアルの葉が尽きようとしていて
心もち
葉量をたっぷりとさせて淹れる
しばらくつき合ってきた缶を
ようやく終える

他の店のアールグレイが
どれも偽物にしか思えなくなるほど
味の全体に
芯の太いさわやかな苦みの裏打ちがある
生の手ざわりのようで
嫌な苦みではない

葉のひろがりぐあいがあまりに豊かなので
どのポットを使っても
注ぎ口の穴が詰まりがちになってしまう
それが
難といえば難

開封してから
とりわけ暑い夏を過ごさせてしまったので
缶の中でも
葉は湿りぎみになっていただろう
十月も近づく頃まで
ことしの東京の大気の中を
それでも
なんとか耐えてくれたようだが

また台風が来ようとしていて
これから雨続きになるかもしれないそうだが
その湿り気までは
この茶の葉々に
経験させないで済んだ

いつものように
漆黒の缶はすぐには捨てず
なにかに使おうか
なにかに使えるだろうか
しばらく
心の遊び相手になってもらう
つもり



2018年9月25日火曜日

食べ終えてしまおうとしている



暑かったような
涼しかったような一日

鼻かぜをひいたか
秋の花粉にやられたかで
すこし鼻水が出るようになって

古代ギリシアと
古代エジプトのことを思う
まるで
いまの時代のいまの日本に生きてなどいないほど
強く 激しく 狂おしく

そして
たくさん買ってしまったピーマンと
一袋しか買っていないナスを
炒めものにする

小松菜や
豚の肩肉の切り落としもいっしょに
炒めようと思ったが
べつべつに炒めたほうがよさそうだったので

けっきょく
三度もフライパンを使うことになった

どれもうまく炒められて
食事としては申し分なかったが
特に豚の肩肉の切り落としは
薄い肉ながら箸でていねいに開いて焼いていくと
いっぱしのステーキのようにじゅくじゅくと焼けて
じぶんで作る料理としては
なかなかだった

それを食べながら
殺された豚を想像していた
頭に弾を撃ち込まれて殺されるらしいが
食べながらそのさまを詳細に想像しようとしてみた

豚よりは
人間を殺すほうが宇宙的には正しいように思えた
殺しは
身内に留めておいたほうがよい
宇宙人を殺すのなど
たいへんな重罪となるだろう

それより
宇宙豚を殺すほうがもっと罪かもしれないが
宇宙蟻だって
宇宙蝶だって

宇宙人は地球人同様に人間のカテゴリーかもしれず
だとすれば
同族内の殺しあいで
宇宙神は多めに見てくれるかもしれない

暑かったような
涼しかったような一日

こんなことを思いながら
豚の肩肉の
うまく焼けた切り落としを食べている

古代ギリシアと
古代エジプトのことを思ったが
そういえば
いちばん好きな古代メソポタミアのことを
思わないでしまった

これから思う

これから
古代メソポタミアのことを思う

もう
豚の肩肉の
うまく焼けた切り落としは
食べ終えて
しまおうとしている



2018年9月23日日曜日

存在と不在の法則の前に

 
価値の気圏の外にあるわたしは
ことばの背筋もくっきりとさせて
価値のないわたし
存在と不在の法則の前に明言できる

しかし
わたしをここに送り込んだものは
おそるべき
価値の核
価値の王
価値そのもの

その使者であるわたし
やはり
存在と不在の法則の前に明言できる





教えないことこそ


 
教えないことこそ
もっとも
教えうること

自然も
地球も
なにも言わない

じつは
人間さえも
なにも言わない
真に
教えと呼びうる智については

言いうるのは
空間の空無を恐れて埋めようとする
無駄な詰めものとなる
音だけ

教えはたゞ発生する

教えを受けた
と感じる者の内にだけ



われわれのこの世のほうが



いわゆる宗教
たずさわるひとたちの
霊への無知は
いまの世ではまこと計り知れない

霊は霊の世界では
生前の名でも
戒名でも
呼ばれることはけっしてない
名は物質であり
重すぎて
その世界には入り込めない

まだしも
この世での名のほうが
逝った霊とのつながりはつけやすいものの
それは
霊がこの世に残した
アストラル体の残滓が反応するだけのこと
霊そのものは
物質界には反応できない

墓に金をかけ
戒名に金をかけるのは
逝ってすぐの霊を
じつはすこし苦しめてしまう
それらが重さを増すということを
あわれにも
あまりに知らないひとびとがいる
霊と現世をつなぐ使者たちが
かれらの耳もとであんなに
しかるべき為しかたについて
つぶやいているのに

わかる者
見え
聞こえる者は
しかし
黙って見ているほかない
霊たちのいっときの負担になるとはいえ
それほど
大げさに考えるほどのことでも
ないから

なにより
われわれのこの世のほうが
はるかに
あわれまれるべき
あの世と呼ばれるべきところだから