2024年5月31日金曜日

いわば海のなかのようなもの

 

  

 

(夢のなかで

(この世とこの世以外のことについて

(はっきりと

(教えを受けるようになった

 

(教えを受ける

(といっても

(一方的なものではない

 

(対話篇のように

(会話しながら

(双方から歩みよって

(よりよい表現を

(見つけていく感じがある

 

(ときには

(この世以外のことをよく知らないはずの

(わたしのほうが

(より正しい表現や

(わかりやすい表現を提示できることもある

 

(この世とこの世以外

(などというと

(もちろん

(ちょっと違ってしまう

 

(しかし

(いい呼び方や分け方というのは

(なかなか見つからないので

(こう言っておく

 

 

 

現実界とされているところは

いわば

海のなかのようなもの

 

そこへは

「入っていく」とか

「潜っていく」という言い方が

ふさわしい

 

浅いところならば

はだかで入っていけるけれど

深いところへは

しかるべき服を着なければ危ない

 

もともと現実界にいない者には

現実界は異界なので

そこの脅威から身を守るために

心と肉体という服を着る

それらを着なければ

あまりに危険が大きすぎて

現実界へは「潜って」はいけない

 

心と肉体という服は

同時に

重しでもある

かなり重いものだし

扱いのめんどうなものでもあるが

その重しがなければ

とてもではないが

現実界へは

「潜っていく」ことはできない

 

眠っているときは

現実界から浮上して

心と肉体という服から抜け出ている

眠りには複数のパターンがあるため

あくまで

ある種の眠りかたをしているときは

という限定付けが必要だが

 

現実界にいる者たちは

思考や思念や精神や概念や言葉などを

ほとんどの場合

ただしく定義して使えていない

各人各様に使っており

勝手な使い分けをしているので

多くの賛同を得られるような使用法は

まず確立されない

 

そのため

考えや思念や思考を

心や肉体と異なったメタレベルのものだと

主張する者たちもいる

しかし

考えというものは

いわばレンガやタイルのようなものだと

思ったほうがよい

それらはむしろ疑似物質であって

精神という言葉でひとが表現したがるような

はっきりと肉体から離れたものとは違う

あくまで

物質界からの反応として生じた疑似物質であって

霊とか精神とはまったく異なっている

 

断言を避けるために

言い方を変えてみよう

 

霊や精神と呼びたくなる境域にも

重く物質性の強いものから軽く物質性の希薄なものまで

さまざまな階層がある

考えや思念や思考は

重く物質性の強い層で形成され使用されるとはいえる

 

しかし

これについては

ほかの言い方もできるので

あくまで

これはひとつの表現の例にすぎない

 

現実界

という言い方を

ここではしてきたが

この表現には大きな問題がつきまとっている

 

人間と自認する者たちは

肉体と心とを持って彼らが滞留する場を「現実」と呼びたがるため

現実界というのは

あくまで

彼らのそういう癖に寄りそった言い方をしているにすぎない

 

彼らが「現実」と呼ぶもの

ここで

とりあえず「現実界」と呼んだものは

実際には

「現実」という言葉が持つ意味あいにはふさわしくないような

非現実性によって編まれている

 

これは

表現するのがひじょうに困難なので

今回は

ここには踏み込まない

 

ひとつ

よく認識しておくとよいのは

ふつう

やっかいで面倒なものと見られがちな「肉体」や「心」が

実際には

現実界からの脅威を防ぐための

すぐれた服であることだろう

この服のおかげでのみ

現実界への潜水が可能になっている

この程度のことであっても

「肉体」や「心」について認識を変えておくことは

今後のよりよき活動のために益があるだろう

 

 




夢についてあまりに多くのひとたちが…

 

 

 

夢について

あまりに多くのひとたちが

あやまった認識を

持っている

 

夢は

意識がでたらめに作り出す

現実経験の整理のための坩堝ではない

 

絵空事ではなく

妄想ではなく

まぎれもない現実そのものであり

さらには

真実そのものである

 

むしろ

夢から覚めたこちら側

現実界と呼ばれている場所のほうが

網羅的認識の不可能性から

よほど絵空事であり

妄想に近い

 

これらについて

よりよく語るのは困難だが

現実界の側にも

夢の側にも

虚妄は存在せず

すべてが現実であり

真実である

と見方を変えてみることから

まったく別の真相が見えてくるだろう

 

このように

わたしは聞いた

わたしに教えようとして

語ったのは

夢そのものである

 





2024年5月30日木曜日

ただ遊ぶためにだけ


 

この世には

カルマの解消のために生まれてくる

などと言うひとがいるが

あれ

ウソである

 

ひとりの例外もなく

ただ

遊ぶためにだけ

この世には生まれてくる

 

いろいろな条件の違いは

そういう設定を選んだために生じたもので

そもそも

そうした差異に重要性がまったくないから

多様な差異でこの世は溢れている

 

この遊びを

遂行すればなにか獲得できる試みとして

捉えてはいけない

なにひとつ

獲得できるものはない

掛け金はないのだ

この世でのこの遊びは

まったくなにももたらさないし

なにも得られないし

なにも残らない

 

とにかく

ただ遊びたくて

来てみているだけ

とことん遊んでいったらいい

異なった遊びかたの間に

優劣はない

価値の多寡はない

 

なにか体を動かすことや

こころを動かすことに価値がある

などと思い込むのも

大きな間違い

ただ空気のなかにいて

温度の変化や

風の流れを感じているというのも

深い遊びかた

気に入った場所の土に毎日触ることや

おなじ入江の海に

毎朝入って

微妙な違いを全身の肌で感じることなども

繊細な遊び

 

これらのことが

あるレベル以上にわかった時

あなたは

ふいに

人間ではなくなり

もう

人間の概念には戻れなくなる

それまで

存在していなかったことにも気づくし

あなたなどいないことにも気づくし

はじめからなにも起こってはおらず

これからもなにも起こらないことに気づく

 

存在しておらず

あなたでなどなく

はじめからなにも起こっておらず

これからもなにも起こらないという

とほうもない圧力に

あなたはたぶん耐えられず

爆発してしまう

爆発してしまっても

なおも

なにもかわらないことに気づき

不在そのものであることを

やがて

受け入れることができるようになる

 

これは

人間が語った至上のことばのひとつである

ことばであるわたしは

いま

駿河昌樹の意識を通じてこれを地球上にもたらした

記憶するように

あなたの霊体と魂体が正しく理解すれば

大いなる変容が起こるだろう

 

記憶するように

 

たびたび

読み直して

言い伝えるように








終わるわけがない

 

 

 

Comment s’étaient-ils rencontrés ?

Par hasard, comme tout le monde.

Comment s’appelaient-ils ?

Que vous importe ?

D’où venaient-ils ?

Du lieu le plus prochain.

Où allaient-ils ?

Est-ce que l’on sait où l’on va ?

 

Denis Diderot

 《Jacques Le Fataliste Et Son Maitre

 

 

 

 

フランスに

あんなにたくさん行っていたのに

いつから

行かなくなったんだったっけ?

円安で海外に行きづらくなったのなど

なんのその

というぐらいに

飛行機に乗ってどこかへ行く気がすっかり失せてしまったのは

いつからだっけ?

 

明解な答えを

ちゃんと持っていることに

ふと気づき

驚いてしまうとともに

じんわりと

懐かしさに浸った

 

21世紀に入ったはじめの頃

いつもの夏のように

エレーヌとぼくはフランスに経ち

曖昧にしか目的を定めない

2ヶ月ほどの滞在をした

旅程のなかには

エレーヌの故郷のロゼール県訪問も入る

ロゼール県の町サンシェリー・ダプシェには

エレーヌの妹の家族がいて

その家に何日か滞在してくる

フランスのチベットとさえ呼ばれる高地のそこは

ぼくにはいろいろと面白く

ただのらくらと歩きまわるだけでも

飽きることはなかったが

エレーヌは嫌った

故郷を彼女ほど嫌う人間はいなかった

それにくわえて

妹やその家族といっしょにいるのを

エレーヌは嫌った

彼女の興味を占めているのは

神秘主義やオカルトのさまざまだけと

くわえて

それらの考察に表象機能を提供しうるような

若干の文芸や芸術ぐらいのもので

そういった一切にこれっぽっちの関心も持たない血縁を

ほんとうに嫌った

しかしエレーヌはそういったことを

けっして彼らには悟らせないようにしていたので

彼女の本音を知っているのは

ぼくひとりだった

 

この時の旅でも

着いたその日の夕方には

「もう耐えられない。あした出発します!」

とぼくに言うので

「今日来たばかりでそれはないよ。

明後日ぐらいまでは居て

それから地中海のほうへ下ろうよ」

とぼくは答えた

 

エレーヌがサンシェリー・ダプシェに行ったのは

ほんとうに

これが最後だった

2010年に死んだ後で

骨になってその町の墓地に戻っていくことになったが

あれほど故郷を嫌った彼女が

いくら墓地だからといって

あそこに安らかに眠ったりするわけはない

 

ともあれ

これがエレーヌのフランス帰りの最後の夏で

エレーヌとぼくのフランスめぐりの最後の夏となった

エレーヌはその後死ぬまでの8年ほどを

二度とフランスに戻らなかったし

二度と日本の外に出ることはなかった

 

話はこれで終わらない

 

その最後のフランス行きから帰った後で

フランスのあまりのつまらなさに

エレーヌもぼくも辟易してしまった

「ねえ、フランスって、もうつまらなくない?」

「そう、もう要らない世界って感じました」

こんなことを言うほどに

ふたりともうんざりし切ってしまったのだった

 

そうして

気持ちを取りなおすために

秋のはじめ

奈良や明日香にふいに旅だったのだったが

これが大成功だった

これまでフランスの旅に求めてきていたものが

明日香やその周辺にこそあったのだ

 

秋に入って黄金色になった稲穂の揺れるなかを

岡寺へと歩いて行ったことや

秋とは言え残暑がすさまじく激しくて

その頃ぼくがいつも着るようにしていた黒いTシャツでは

汗が出たり乾いたりをくりかえして白くなってしまうので

奈良の町のスーパーマーケットで安売りしていた

白いTシャツを買って

さっそく着替えたりしたが

思い返せば

ぼくが黒いTシャツを着なくなったのは

その時からだった

Tシャツは黒でワイシャツはブルーと決めていたのを

Tシャツは白でワイシャツも白に替えることにしたのも

この時から始まっている

 

土地や地域についてのエレーヌの関心は

この時から日本国内だけになった

もうフランスはわたしには終わりました

と言ってさえいた

 

話はまだ終わらない

 

エレーヌの死後

ぼくは何度もパリに行った

とはいえ

なにもすることはないし

ほしい本はもう何万冊も買ってしまっているし

とにかく残りの人生はそれらを読むことで埋まっていくし

もうパリには目的とするものもないので

行ったとしても

ふらふらとセーヌ河畔を行き来してみたり

ちょっと治安の悪い地区に踏み入って

小ぎれいになどしていない地元のパン屋に入って

日本人が抱くパリジェンヌのイメージにはぜんぜん嵌まらない

髪の毛のハゲかかった眼鏡のオバサンから

安いけれどけっこううまいクロワッサンや

ブリオッシュやバゲットを買って

歩きながら食べたり

パン以外のものも欲しいかなと思うと

ビミョーに衛生的に問題ありそうでもあるどこかの惣菜屋で

プラスチック容器に入った

クスクスとかタブレの安いのを買って

公園のベンチか橋の石枠などに座って

ゆっくり食べたりする

コーヒーもあってもいいが

2ℓのミネラルウォーターを持って歩いているので

外をほっつき歩きながらのランチなどは

水でじゅうぶん

どうせ夜はどこかのレストランに入って

デザートで分厚いタルトを食べながら

濃いコーヒーを飲むに決まっているのだし

 

でも

たったひとりで

タブレとパンを交互に食べながら

ぼくは思い出したものだ

1980年代から90年代の頃

日本円がやけに高くなって

フランスに旅人としてやって来ると

コーヒーなんか一杯80円ぐらいの勘定になったので

あちこちのカフェにちょっと座っては

ひといき入れながら

水のようにいっぱい飲んだものだった

エレーヌはきまって

いつも持っている煙草のゴロワーズを吸い

両切り煙草なものだから

唇に刻んだ煙草の葉がくっつくので

それを指で抓んで取ったり

ときどきはプフィっと吹いて飛ばしたりした

 

ぼくもエレーヌにならって

ゴロワーズばかり吸うようになり

あの納豆のような

独特の味をひとしきり味わった

 

そうして

また

ふたりして立ち上がり

歩き出したものだ

 

ぼくらふたりのしているのは

いつも

期間を区切っての放浪の旅みたいなものだったから

どこへ行くかわからないが

どこへでも行くつもりで

歩き出したものだった

 

そうして

そうして

ああ!

いつも

ディドロの『運命論者ジャックとその主人』の冒頭を

思い出したものだ

 

「彼らがどんなふうに出会ったかって?

偶然からさ、誰だってそうだろう?

彼らがどんな名だったかって?

それが重要かい?

彼らはどこから来たかって?

いちばん近いところからさ。

彼らはどこへ行くかって?

ひとがどこへ行くかなんて、わかるもんかよ。」

 

いまでも

この冒頭を思い出し続けるものだから

話はまだまだ終わらない

 

終わるわけがない