2010年12月14日火曜日

水野霞のために

われらの願いを妨げるロンギヌスの槍はすでにない
(『新世紀エヴァンゲリオン』第弐拾四話)



献身のあかしの薔薇を遥子に
理紗には
ヴェネシヤングラス少量の
わが三十路の精液

なべて愛し
みずみずしき退廃の舟
けっきょく誰が真の旅に発ったか
至上の煙草をもとめ
われわれは処女のまま
唇を保って

109で久しぶりに待ちあわせ
女を捨てておいでよ
心は臭うから
躰は無臭、かたい桃の
シェーキをニシムラで頼み
たゞたゞ見知らぬ肉体をもとめて
もうまなざしは離れる
きみからも
あらゆる帝国たちからも

死はない
冷たいペンであるべきである
愚問を
ルッコラのトスカナ風サラダに紛らし
吹キスサブ
60年代外哲学のページ
アーレントああ
マンハイムああ
嵐山で今年×月×日ふたたび
水野霞と密会予定
紅葉きれいだといいね、霞
ワタクシ通俗ス
霞ちゃん…
霞ちゃん…

二尊院の墓地で
ひとり淡雪のなかに立つ
恒例行事
ワタクシ寂寞ス
べつの女体を前後に抱いて
雪墓地にひとり
祇王寺も寄るかもね
野宮神社も寄るかもね
天龍寺にも
湯どうふ
愛人よ
一瞬だけ顕われよ
清潔なバスに身を浸す時の
まどろみの
夢を彩るためにだけ

先週のニューヨークの雨
デルタ機の席に沁ませ
コロンビアの娘と
再来月の約束
上海まで行く気がなくて
セブには行く気があって

終わりはいつも必要悪
性でも
生でも
精でも
正でも
だから芍薬が好きなんよ
百合はやだね*
愛液が
うつくしくこびり付かないから

だから遥子とも
理紗とも
切れたっていってるじゃないか
霞よ
きみだけがすべて
たとえ会えないとしても
たとえ会ったことが
まだ
ないとしても


*「フランスの王たちは百合を好む。それが勾配にはりつく深い根をもつ植物だからだ」(ドゥルーズ+ガタリ『千のプラトー』、序「リゾーム」 豊崎光一訳)




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