2011年5月22日日曜日

仕事のあと



It's still the same old story,
A fight for love and glory,
A case of do or die,
            As Time Goes By
(Herman Hupfield, 1931)



国際的な殺し屋とは知られていない…

三日間の旅程で
ある国の地方都市を訪ね
雪の降り続く夜
しずかに仕事を済ましてきた
アリバイはいつも完全である必要がある
ふつうの東京暮らしから
一日も抜け出さなかったかのように
勤め先でのルーティーンワークは
しっかりこなしておく
やっていたかに見せておく
早朝出勤して
九時前に持病の発作を起こしたと見せ(持病は
つねに複数持っているのが必要だ
気まぐれな性格も浮気癖も
スケベ根性も野次馬根性も
多方面の趣味も
マッサージ好きも
飲酒好きも
ふいの厭人癖や閉じこもり癖も
もちろん読書好きも
詩作趣味も
数時間の失踪の隠れ蓑にはいい)
夜の七時半ごろ(九時や十時ではいけない)
白っちゃけた顔で髪をわずかに乱し
会社に戻ってくる
その間に仕事を済ませてきたこともある
なされねばならない仕事
殺さねばならない人々はいる
仕掛けておくべき殺しがある
時には数年後
数十年後に発現するような殺しもある

今回の仕事は容易だった
後輩のだれかに
練習用に譲っておくべきだったかもしれない
だが彼らだと
こまかな隠蔽作業の際
気を抜いてしまいかねない
今回はそこが大事だった
そこにこそ熟練が要る

帰途
やはり雪の降りつもる
別の都市の駅で
用もないのに下車し
台湾人に変相し
バスに乗って郊外に出て
下りずにまた駅に戻り
マレーシア人に変相し
別の路線バスに乗り
雪で真っ白の住宅街を歩き
ダウンタウンに下るところの小さなカフェで
ミルクティーを飲みながら
ロシア語で「あすは雪は止むかねえ?」
マスターに話しかけ
肩をすくめる彼に
今度はヘブライ語で「じつは
ひどくフラレちゃったばかりで」
やはり肩をすくめる彼に
下手な英語で「人生ってやつは
うまくいかない」
まったくだよ
と今度はうなずく彼

店を出て駅までタクシーに乗る
マレーシアから来たんだ
運転手に話しかける
あんた、マレーシアに来たことあるかと聞く
いや、ないね
そうか、いいとこだぜ。いつか来る機会があったら
オーサカにおいでよ。マレーシアの首都だ。
へえ、おたくの国の首都は
オーサカっていうのか。
覚えとくよ。
この稼業じゃ、
ま、なかなか行けないだろうけどな。
駅に着いて
インドネシア人に変相する
用もないのに
少し雪の中を歩いて
雑貨屋でメントスを買う
小包装のハーシーチョコも買う
釣りを貰いながら「こんな日には
チョコも必要だ」と言う
そうだな。
俺ならココアのほうがいいけどな。
と答えてくる
灰色の目の
さびしげな店員だ
じゃあな、いい晩を。

駅まで歩いて戻る
空港までの急行が二〇分後に来る
そのホームに行かず
郊外へむかう列車のホームに出る
毛糸帽をかぶった白髭の老人が
ベンチに座って新聞を開いている
そのわきに座る
老人はこちらをふり向かない
線路のほうを見る
雪で真っ白だと思う
息も白く出る
あいかわらず息が白く出る
息が白いな
ミルクのように白い
そういう寒さなんだと思う
老人の息も白い
老人の息もミルクのようだ

なあ、これを見ろや。
老人が急に話しかけてくる
これを。
パレスチナ攻撃の記事を示してくる
こりゃあひどい殺戮だ。
イスラエルはやりすぎだ。
こんなにやみくもに人を殺していいわけがない。
なのに、あんた、
誰もちゃんとは止めないんだ。
誰もほんとに動きはしない。
昔からおなじ話。
いまも昔もおなじ話。
誰がどう考えたって悪いことだ。
悪いことってのは
こういうことを言うんだ。
止めなきゃいけないのはこういうことだ。
だけど、あんた、
どうこう理屈をつけながら
誰もなんにもしない。
人類ってのはいつもこれだ。
この世ってのは。
誰にも救われずに殺されていく運命がある。
かわいそうだけど、
残念だけど、
どうすることもできない、っていう
便利な言葉もあるしな。
人殺しはいけない、
戦争はいけない、
でもどうにもできないんだよねェ、
そんなふうに言いながら
たくみに目をそらす
逸らしさえせず
ゴシップの話題に変える
俺だって動かないで、
こんなとこで新聞見てるだけだ。
だけど、
こんな徹底的な仕方で
殺されていっているんだ
この連中を
なんとか救おうと思うこと
それまで放棄するのは
いちばん罪深いことだと思うが、
どうだね、
なにもできないんだが、
救おうと思う、
なにもできなくても、
救おうと思う、
いけないと言う、
ああいうのはだめだと言う、
どうかね、
俺はこんな誰もいないホームで
新聞読んでるだけなんだがね、
どうかね。

老人よ
あなたの息はミルク
雪だってミルク
世界はいまミルク
そう言いたい気になったが
ばかげている
思い直す
いけないとも言わず
救おうとも思わず
なにもできないとも思わず
じぶんは殺しているよ
着々と殺している
そう言いたい気になったが
ばかげている
思い直す

老人の息はミルク
老人は続ける
くりかえす
こういうのは
いけない。
こんな人殺しはいけない。
いけないと
思わなくなったらいけない。
ひとりひとりの心の中で
思わなくなったらいけない。
しょうがない
なんにもできない
あっさり言い放つようになったら
いけない。
いけないと思い続ける。
いけないという思いを守る。
やめさせねばならないと思う。
救わなければいけないと思う。
救えなくても。
救うと思う。

時間だ
空港への列車が来る
むこうのホームへ行かねば
まったく
あんたは正しい
あんたが正しい
そう言って
立つ
老人の目を見ながら
右手をあげて
かるく
farewell

思い続ける
老人
いけない
やめさせねば
救わねば
誰もいない
雪の夜のホーム
いけないと
思わなくなったらいけない
いけない
やめさせねば
救わねば

ミルクのような夜だ
誰もいない
雪の夜のホーム

Farewell

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