2012年3月4日日曜日

謙虚さは、ほら…




一度死んだ人が、わたしの身体のなかで何度死んでもいい。
                                    (土方巽)




思い出すと
死んだ人といた時間や場所は
まったくの
ひとかたまり
時空と呼んだほうがもっといいようだし
その中のわたしも
その人も
分れた個体などではなくて
つながっているようにしか思えない

死んだ人は
死んでしまって
もういない
消えてしまったのだと
生きているわたしは平気で思うけれども
いっしょにいた時空があんなにひとかたまりならば
あの時のわたしだって
死んでしまっているのだ
時間も
場所も
中にいたすべても
死んでしまっている

死んでしまっているわたしが
自分は死んでいなくて
あの人は死んでしまったのだと思うなんて
おかしなことだ
ほんとにおかしい
死んでしまったと他人を思うことも
自分を生きていると思うことも

ここで考えが止まると
感慨というものになったり
じわーんとすれば
詩になったりもする
言葉と理屈をフル稼働させて進めば
思索とかいうものになる
哲学というものにさえなっていく

どっちに進んでもいいし
どっちもわたしは好きなのだけど
今日は詩のかたちで書いているから
このあたりで止めようと思う

詩だと主張しているわけじゃないんだよ
詩のかたちで書いているだけ
謙虚なんだ
わたしは
謙虚さは、ほら
人間の行為のすべての基礎だって
いうじゃないか


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