2012年4月13日金曜日

失ってはならない人を失うということを





もっとも大事な人
とか
自分の分身のようだった人
とか
とにかく
他人ではなかった人

そういう人が死んだ時
看病にも
葬儀にも顔を出さなかったのに
少なからぬ人たちが
自分こそが友人だった…
理解者だった…
というふうに言ってしゃしゃり出てきた
訃報の出し方から
葬儀の仕方から
あれやこれや
こちらのやり方に口を出し
批判をし
中には
「せいぜい悲しむがいいさ。
いい気になって感傷に浸ってろよ」
とメールしてきた人もいた

ニッポンという国との
心の底の細い縁を切ったのは
その頃。
これほどひどい
フツウの人々で満ちている国とまでは
思っていなかったナ

もっとも大事な人
とか
自分の分身のようだった人
とか
とにかく
他人ではなかった人

こういう人を
失ったことのない人は
ようするに
失ってはならない人を失うということを
経験したことがない人
人を失った翌日
ちゃんと世界が見えるようならば
ちゃんと立って歩けるようならば
失ったのは
もっとも大事な人
ではなかった人
自分の分身のようだった人
ではなかった人

モジリアーニが死んで
すぐ
投身自殺した
彼の妻

ああまでならなくても
日々
どこともしれぬ淵の
深い深い底へと
心が落ちて行き続けるのが
失ってはならない人を失うということ
いくら落ちていっても着かない
底へ
さらに底へ
落ちていっている最中だったナ
もっとも大事
ではなく
自分の分身のよう
でもない
とりあえずの
当座の知り合いに過ぎない
他人たちに
あれやこれや
言われ
「せいぜい悲しむがいいさ。
いい気になって感傷に浸ってろよ」
とさえ
メールされたのは

…これほどひどい
フツウの人々で満ちている国

それから
起こったのさ
あれが
津波と原発の事故…
というより
その後の
あの
対応のなさ
ひどさ

だから
まったく驚かなかったナ

これほどひどい
フツウの人々が好む言葉をかりて
つぶやいてみたものさ

だって人間だもの…
だってニッポンだもの…


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