(ギュスターヴ・シャルパンティエ 『ルイーズ』 より)
[“Depuis le jour” dans « Louise »(Gustave Charpentier(1860-1956)の翻案)]
身をまかせた
あの日から
すっかり
花ひらいたみたい
うんめい
夢みてるかしら
わたし
酔ってるかしら
たましい
おとぎ話の空のした
あなたの
はじめてのキスで
いまも
いまも
うつくしいのね
人生
夢に終わらなかった
わたしの夢
しあわせなんだわ
わたし
ひろがる愛の羽に守られ
こころの庭には
うたう
あたらしいよろこび
すべてのものが
こころを動かして
よろこんでくれている
わたしの勝利
まわりは
なにもかも
ほほえみ、ひかり、よろこび
震えちゃってるの
わたし
うっとりして
すてきなんですもの
おもいで
愛の
はじまりの
あの日
◆「ドゥピュイ・ル・ジュール…」と始まるオペラ『ルイーズ』の有名なアリア「あの日から」ないしは「身をまかせたあの日から」は、読んでみるとずいぶん簡単な芸のない歌詞で、そのまま訳してもさほど味のあるものではない。しかし、あの旋律と歌手の芸に乗って歌われる時には、これが千金の価値を持つ歌曲に変貌する。
歌われる時、このアリアは、オペラの数あるアリアの中でも至上の美しさのひとつを湛える得がたい時間を創造してくれるが、しかし、歌うルイーズがお針娘であり、このオペラが19世紀終わり頃の労働者階級の物語である以上、美辞麗句で日本語にすべきではない歌詞であろう。内容も知らず、こまかいことを気にせずにリサイタルなどで聴いていると、高貴な姫が歌ってでもいる箇所かとうっかり想像する人びともいるのではないか。
ここではオペラの歌詞の形態を完全に無視し、改行を増やし、意味は尊重しつつも単語間のもともとの連携を多少切断したり連結したりした。「あたし」を用いてもいいとは思うが、そこはやや弱気に「わたし」にしておいた。日本語の「あたし」も、気取りのなさや自然さが出て、なかなかいいものだし、いうまでもないが、「わたし」と自称する美女より「あたし」と言う美女のほうがよほど魅力がある。美女は、貴族階級やブルジョワ階級をどこかで外れ、野性が露出する時にこそ本当に魅力的になるのだ。
◆複数の映画監督がオペラのアリアを用いて短編映画を競作した『アリアAria』(1987)では、デレク・ジャーマンがこのアリアを使って、しかも、ケンブリッジで政治学と社会学を専攻したあのティルダ・スイントンをヒロインに使って、一編の女優の生涯をわずか数分のあいだに描き切っていた。もう何十回見直したかわからない。音楽もさることながら、陶酔と充実と喜びと寂しさの混然となった、最後まで息をのむ映像の続く極上の短編である。
◆誰の歌唱がいいかということになると、たとえば、アンジェラ・ゲオルギウの歌った、やや上音を押し殺した感じの重い品のある歌唱も魅力的だし、レオンティン・プライスのもっと伸びやかな、しかし快いエロスのある歌唱もいい。
もちろんルネ・フレミングの芸の細かい定番的歌唱もいいに決まっているし、アンナ・モフォの歌唱にはマリア・カラスを思わせる大きさがありつつ作品に合った庶民っぽさもある。
モンセラート・カバリェの、一音さえ誤魔化さず隠さず、最初から最後まで徹底的に堂々とした歌いっぷりも凄い。
役柄に近い快い歌い方という点ではグレース・ムーアが忘れがたい。
声のきめの細かい美しさと、丁寧でありつつ情感たっぷりのジョーン・サザーランドは、もはや人類の宝というべき歌唱である。
録音が古いものの、レナータ・テバルディがどれほど凄い声だったのかは、聴き直して見ればすぐにわかる。
ピラール・ローレンガーの歌には、肉質のしっかりしたレースの襞の安定した揺らめきがある。
いろいろ聴いてきた後では、キリテ・カナワのさっぱりした歌唱も悪くないと思うし、ヴァージニア・ゼアニに到っては、ひょっとすると、古典を古典たらしめるべく、格調高く、大きく、まんべんなく配慮を行き届かせながら表現するには、最高の歌唱かもしれないと思う。
アジア人としてはヘイ-キュン・ホンが優しさを湛えた声で健闘している。
録音がいいということもあろうが、ノーラ・アンセレムは快い滑りのよい声で、他の歌手とは異なった方向へと歌い伸びていく。車で原野の道路をはやく走っていく時には最高の歌唱だろう。
イウォナ・ソボトゥカのピュアさのひき立つ若々しい歌唱も嬉しい。
アンナ・ネトレプコは歌いはじめの最初からエロスに満ち満ちていて、アリアの歌唱ということを超えて、なんという魅力的な女…と直接的に思わされる。層の厚い味わいのワインのような舌触りと喉ごしの歌唱という点ではネトレプコにかなう者は、たぶんいない。
だが、ルチア・ポップの晴れやかで伸びのある歌唱こそ、このアリアの最高のパフォーマンスではないかと思う。ポップはモーツァルトの『魔笛』の夜の女王などを歌う時には、見事ながらやや遅めで少し迫力に欠ける時があるが、『ルイーズ』のような、ゆっくり、たっぷりという歌には、あの宝石そのもののような声で、この世とこの世ならぬものを結ぶ歌唱芸術ならではの世界をぞんぶんに花開かせて、圧倒的である。人間の声を聴く幸福とはなにか。ルチア・ポップを聴くということなのだ。
Lucia Popp
Anna Netrebko
Leontyne Price
Renee Fleming
Anna Moffo
Montserrat Caballe
Grace Moore
Joan Sutherland
Reenata Tebaldi
Pilar Lorengar
Kiri Te Kanawa
Virginia Zeani
Hei-Kyung Hong
Norah Amsellem
Iwona Sobotka
◆ルチア・ポップへの愛情告白のようになったが、ポップのパフォーマンスが今ひとつと思えるモーツァルトの『魔笛』の夜の女王については、現在大人気のディアナ・ダムラウの魅力がやはり圧倒的である。彼女の練習風景は、凄みのある演技の舞台とは違った、歌手としての緊迫感と臨場感がよく出ていて、何度見ても飽きない。それにあわせ、彼女をいちやく有名にした『魔笛』の舞台もYoutubeに載せてくれている奇特な人がいて、世界中のファンが助かっている。ついでに、夜の女王のアリアを歌ったたくさんの歌手たちの見せ場を集めた貴重な編集版もここに加えておく。声の凄まじさという点では史上最高、何人も到り着けないクリスティーナ・ドイテコムの歌唱や、韓国のすばらしいオペラ歌手スミ・ジョーの歌唱も聴ける。
ルチア・ポップが1993年に54歳という若さでガンで死んでからは、わが歌姫はアンナ・ネトレプコとディアナ・ダムラウというところだろうか。
Diana Damrau
複数の歌手たちによる夜の女王のアリア・ハイライト
[原詩]
“Depuis le jour” dans « Louise »
Gustave Charpentier
Depuis le jour où je me suis donnée,
Toute fleurie semble ma destinée.
Je crois rêver sous un ciel de féerie,
L’âme encore grisée de ton premier baiser.
Quelle belle vie !
Mon rêve n’était pas un rêve !
Ah ! je suis heureuse !
L’amour étend sur moi ses ailes !
Au jardin de mon coeur chante une joie nouvelle !
Tout vibre, tout se réjouit de mon triomphe !
Autour de moi tout est sourire, lumière et joie !
Et je tremble délicieusement
Au souvenir charmant
Du premier jour d’amour !
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