吉田旺作詞・中村泰士作曲・高田弘編曲・ちあきなおみ『喝采』(1972年)の余白に
[吉田旺作詞『喝采』(1972年)の本歌取り]
どんなせいかつの幕も
いつものように開くほかはないから――
あなたを棄てて
歌姫になったけれど
なってみればこれもせいかつ
たとえあなたと
生きたのだとしても
生きてみればそれもせいかつ
ひなびた町の昼下がり
教会のまえにたたずんで
祈る言葉さえ失う
こうふく
あなたをすっかり失ってみれば
いま
濃い教会の塔のように
たしかなあなた
動きはじめた汽車にひとり
飛び乗ったはずだけれど
ほんとうはあなたと
ここへ来たのね
いま
なにもかもふさわしく位置を占め
たったひとりたたずんでいる
わたしのたしかさ
◆このカヴァー、本歌取り、内容的翻案は、雑誌《NOUVEAU FRISSON(ヌーヴォー・フリッソン)》43号(1996年2月)に載せた。元歌は誰でも耳覚えがあるにちがいない。今は簡単にネットで確認もできる。この本歌取りの重点は、元歌を思い出したり聴き直しながら掴んでいただきたい。
◆『喝采』のドラマは単純だ。彼氏を捨てて地方から上京し、恋の歌を歌う歌手となって舞台に立つ日々を送っている「私」に彼氏の訃報が届く。ひさしぶりに故郷の「ひなびた町」を訪ね、死んだ彼氏との過去のこと、自分のかつての決断のこと、人生の両立しがたさなど、あれこれを考えているところに、「私」の歌う流行り歌が「通り過ぎていく」…ということらしい。
この歌の味わいに参入していくための勘どころは二か所しかない。
ひとつは、大人の女ふうといえばいえないこともないが、全方向的な「私」のあきらめ気分と、ひょっとして、やさしさや落ちつきや静かさとして他人には受け取られうるかもしれない、内部の癒しがたいものうさの存在。
もうひとつは、故郷の町をひさしぶりに再訪してみた「私」の耳に、「私の歌が通り過ぎていく」点。
故郷と彼氏を捨ててまでして歌手になってみた結果、「私」の実感としてあるのは、「耳に私の歌が通り過ぎていく」ことに還元されてしまうすべてのみである。「私」にとって「私の歌」は、どんなに歌おうと、どんなに世間で流通しようと、けっきょく「通り過ぎていく」ものにすぎず、聞えてくるものでもなく、届いてくるものでもない。「私」は歌手としては成功を収め、立派に身を立てたということにもなるのだろうが、しかし、「三年前」に「駅に残し」てきてしまった「止めるあなた」以上のものはついに得られなかったばかりか、永遠に取り戻す機会を失ってしまっているのだ。
こういう「私」が、ひさしぶりに、そして、すでに「あなた」のいない故郷の「ひなびた町の昼下がり」の中に来ているということが、ひょっとしたらすべてを転回させて最重要のものを復活させることにつながっていくかもしれないというところに、『喝采』の最大のドラマがある。
◆『喝采』の「私」の人生には簡単な公式があり、
故郷における彼氏の存在 ≠ 歌手としての成功
都会における彼氏の不在 = 歌手としての成功
がそれだが、この流れでいくと、
死による彼氏の完全喪失 = 歌手としてのさらなる成功?
ないしは、
死による彼氏の完全喪失 = 歌手としての成功の変質?
死による彼氏の完全喪失 = 彼氏的ななにかの復活? = 歌手としての終焉?
を考えさせられる。まだ到来していないが、そう遠くないうちに来るであろうこれらのどれか。この予感もまた、『喝采』のドラマの延長部分である。
これを歌っていたちあきなおみ自身が、大切な人の死を境に歌手業を捨てて引退したのを思えば、『喝采』は十二分に予言的な歌でもあったといえそうだ。
◆それにしても、「届いた報らせは、黒いふちどりがありました」という日本語のおかしさはどうしたものか。
どうしてこうしたのか、いまだによくわからない。「届いた報らせの」や「届いた報らせに」でないといけないはずだが、意味のおかしさを忍んでも、「は」という係助詞の音の開きぐあいを選択したということなのだろうか。
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