どうせぼくなんか
といつも思っている
どこかで思っている
しねこく思っている
勉強も運動もできなかった長い病気の少年時代
いいところもあったが酒乱の父
いいところもあったがヒステリーの母
うそのように襲ってきた落とし穴のようなたくさんの失敗
あれも捨て
これもあきらめ
なにひとつ
ほんとうに力を出せたためしもない
だらだらの人生
楽しいこともあったが
むなしさがいつも裏地にあって
おのずと手にとる本は
日本古典の
むなしさの染みた歌や文や
ああ、ほんとうに日本古典には助けられたよ
あれら
数々の引かれ者の小唄
ほんとうにあれらにしみじみ身を寄せて
日かげばかりを生きてきた心だったよ
うす暗い夕暮れ時
軒から軒を音もなく
すすっと歩いて
ひょおおおと消える
そんな暮らしをしてきたよ
ときおり音よく松虫などが
草葉の露も深緑*
秋の風更け行くまゝに
聞こえて声々友さそう
遠里ながらほど近き
こや住の江の浦伝い
潮風も
吹くや岸野の秋の草
吹くや岸野の秋の草
松も響きて沖つ波
この市人の数々に
われも行き
人も行く
人も行く
阿倍野の原はおもしろや
阿倍野の原はおもしろや**
…などと心は往き
逝き
おかげで体が
生きのびた
次第
けれども
全身くまなく
細胞の
ひとつひとつに染みた
むなしさ
あいかわらず
日かげばかりを
生きていく
ほかなく
夕暮れ暗い頃
軒から軒を音もなく
すすっと歩いて
ひょおおおと
消える
消えてく
消えてきます
そんな暮らしを
していくよ
そんな暮らしを
していって
さらばよ友人***
名残の袖を
招く尾花のほのかに見えし
跡絶えて
草茫々たるあしたの原に
草茫々たるあしたの原に
蟲の音ばかりや残るらん
蟲の音ばかりや残るらん
*より**まで、謡曲『松虫』よりのパッチワーク。有朋堂文庫版謡曲集・下(昭和四年)によるが、仮名遣いは現代仮名遣いに直した。
***以下終わりまで、謡曲『松虫』の終結部分。有朋堂文庫版謡曲集・下(昭和四年)によるが、仮名遣いは現代仮名遣いに直した。
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