2013年5月11日土曜日

10万回なんて





駅だったり
校舎だったり
どこかの施設だったり
あるいは家だったり

目的地に
着くために
歩く
ずんずん歩く
ながくながく歩く

歩くまえに
靴を履く
紐を結ぶ
キャンバスシューズとか
ふかい
くるぶしまで隠れるやつ
ちゃんとした名前をいまだに知らないが…

ふいに思うのだ

長かった
めんどうだった
そんなことを
ものを思い出すときの
テーマにしたことが
あまりなかったと

たとえば中学生のころ
家から徒歩で駅まで10分
階段の上り下りや
ホームの中ほどまで歩くために
4分ほど
電車に乗ってしまえば
駅から隣駅までは3分ほど
着いた駅のホームから改札口までは
階段の上り下りで4分ほど
そこから歩いて20分から30分
そんな距離の往復が日課だった
なんでもないといえば
なんでもない距離
けれど荷物が重いときや
雨風のとき
くたくたに疲れているときには
とほうもなく長い距離
しかも
駅から学校までの
20分から30分という距離が
くせもの
ちょっとのんびり歩いたり
信号にいっぱい引っかかったりすると
すぐに10分ほどは延びる
文具屋や書店に寄ると
もう
一時間や二時間単位で延びる

学校からの帰り
あれをよく覚えている
キャンバスシューズの紐をよく解いて
足を入れて
もう一度ちゃんと結び直す
ふかい靴なので
紐は長いし
穴の数は多いし
植込みのわきのコンクリートの縁に座って
じっくりと結ばなければならないのだが
めんどうだし
友だちはもう結んで待っているし
びっちり6時間目まであった授業と
放課後の部活で疲れ切っているし
なんだかいやになってしまう
つらくなってしまう
そんなとき
頭は勝手にぐるぐると計算をはじめて
人生を終えるまでに
いったい
何度こんなふうに靴の紐を解いたり
結んだりを
していかねばならないのだか
と概算結果を出したがったりする
そうして
結び終えたら
結び終えたで
20分から30分かかる
駅までの夕がたの道を
歩いていくことになるのだ

これは
中学のころの話
たったひとつの例にすぎない
こんなことを
他のいろいろなところで
くりかえし
くりかえし
くりかえし
くりかえし
くりかえしてきて
そうして
年も取ってきました
つかれてもきました
というわけ

そりゃあ
つかれるよなぁ
年もとるよなぁ

ふと入った本屋で
時間節約術とか
生活の効率化とか
そんな本を見るたびに思うのは
ようするに
いまの社会の生活のしくみが
そもそも時間浪費システムになっている
ということ
学校も会社も駅も
遠いんだよ
靴ひもはめんどうなんだよ
駅の中の構造が時間泥棒なんだよ
来てほしいときに電車は来ず
電車に間にあうように
余裕をもって生きようとすれば
それはそれであらかじめ
プリペイドみたいに
先に時間を浪費させられるんだよ
腕に時計をしたり
スマホの時計を気にしたりして
せかせか動きまわらねばならないこと自体が
世のなかの奴隷たるあかし
奴隷どうしなのに
奴隷的効率を競ったりしても
奴隷は奴隷
どんぐりの背比べ
五十歩百歩

むかし
真の大金持ちたるものの
ステータスというのを聞かされたことがある
電話のかかってこないリゾート地で
数か月
たっぷりと休息できるかどうか
できれば大金持ち
できなければ
しょせんは奴隷
携帯電話にさえでない
もちろん
メールなんか見ない
商取引は他人まかせで
衣食住のすべてを
専門の係の誰かれがやってくれる

じぶんでじぶんのキャンバスシューズの紐を
結んだり解いたりするように生まれついた者は
死ぬまでそれを続けて
たぶん
10万回まではくり返さずに
からだを捨てていける
はず

数量の概算は
こんな場合
救いなんだか
ちっちゃな拷問なんだか

もっとも
履いた靴を
またすぐ脱いだり
またまた履き直したり
そんな暮らしをしていく場合には
10万回なんて
すぐに超えてしまうのだけれども





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