2014年1月17日金曜日

御挨拶


これから後に起こることもまた、
後の代の人々は、何も記憶に留めることはない。
コヘレト1-11
(フランシスコ会聖書研究所訳)



わたしはわたしの信仰を隠し続けている
これからも隠し続けていくだろう

日々の生活の中で人びとに発生しがちな
さまざまな感情や思いを大げさに
そして歪め偏らせながら
まるでそれが重大事であるかのように
そして時にはきまじめに
時には大いにふざけた口調で
またナンセンスに無意味にことば遊びして
近代詩のようにわたしは分かち書きし続けていく
なぜならそれが近代社会の詩と思い込まれているから
カエサルのものはカエサルに
近代詩を詩と思い込む人びとには近代詩的な詩のかたちを
まさにそのように現代の言語を弄して
わたしは舞う

しかし〈詩〉は預言でしかあり得ず
かろうじて叙事詩でもあり得るが
抒情詩は〈詩〉ではない
ましてロマン派詩や象徴詩は〈詩〉ではない
わたしは詩をつくる者のふりをするために
それらのかたちを模倣し続けてきたが
個や自我を特権化する態度にはじつは組しない
個は妄想であるゆえに滅びるべきであり
個の寄って立つ家族・社会・国は滅びるべきであり
自我にまつわるあらゆる思念の特権化は霧消すべきである
近代詩は個と自我のむなしい器
見せかけの盾
誰もが老衰や死とともにそれらを捨てざるを得ない
認知症になった者が自分の作風を維持したり刷新したりするのか
朦朧とした意識に陥った詩人たちにとって自作とはなにか
肉体も意識もはかなくなる場面においてこそ力ある〈詩〉とはなにか
こうした問いに真摯でないあらゆる詩を離れよ
わたしはわたしだけに言う
心身の衰退と死の瞬間にこそ新生そのものである〈詩〉だけを求めよ

たくさんの喜怒哀楽をわたしは記した
しかしそれらはあたかも詩のように見せるために
誇張され捏造され歪められたもので
わたし自身の喜怒哀楽でなどなかった
この社会でのすべての言説はむなしい
広告のため誰かの儲けのため差異化のために
多量の言説が浪費され続け電波に乗り脳髄に染み込み
まるで言葉はこのように使われるべきだと
人々は思い込まされ続けている

わたしはわたしの信仰を隠し続けている
これからも隠し続けていくだろう

たったひとりだけがわたしと信仰をわかちあい
その者は死を越えて先に逝った
一九八五年にわたしが肉体を離れるすべを身につけ
神霊のことばを受け取りはじめたのを
その者だけが知っている

わたしの真のわたしはこの地上にはいない
この地上に在るもの
ここで起こること
これらはすべて映画館のスクリーン上のこと
劇場の舞台の上で起こっていること
これらのすべてが
わたしには関わりがなかったし今後も関わりがない
生成繁茂生死安楽快楽困窮辛苦悲惨終焉崩壊溶解風化無化の三文劇
気晴らしのひとときを費やすのは許される酔狂としても
心からは参加しないように
それらは本当には起こっていないのだから

わたしはわたしの信仰を隠し続けている
これからも隠し続けていくだろう

わたしは菩薩の境遇と義務を負わない者
仏門の者は縁覚とわたしを呼ぶだろう
しかし今の時代に説法をする者たちの心とことばは穢れている
ことばと世の幻影によって個と自我を支えようとする者たちのせい
ことばはあまねく穢れきっており
説法の意志も金と権力にまみれている
だから知った者は説法からもことばからも離れなければならない
すべての喜怒哀楽や思念が盲念にすぎないのだから
すべての苦悩や問題はそもそも存在しない
穢れたことばを弄してなにを説くことがあろう

しかし多くの覚者の方々に御挨拶を
ただ心身を保って地上におられるだけでよいと云われる方々
ことばでなく行動でさえなく
おられる場所を清浄に簡素に静かに整えられる方々
わたしと同じように信仰を隠し続けていかれる方々
これからも隠し続けていかれる方々




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