2014年2月5日水曜日

死もまた我等なり



浄土真宗の人の葬儀から戻った

塩の包みをさがして
御会葬御礼の封をあけたら
塩の包みは見あたらず
かわりに
こう書かれた紙があった

私たちは清め塩を使いません
浄土真宗では葬儀の時に穢れを清めるために
塩を撒くことはいたしません
仏教では決して死を穢れと受けとめることはありません
「死もまた我等なり」と受け止め
生死するいのちを精いっぱいに生きていくことこそ
人間としての生き方であると示しています
合掌

さすがだな
浄土真宗

うちはこの宗派ではないが
昨年末
京都の西本願寺で
真宗の雰囲気にながく浸ってきた
まるで新興の宗教のように
係の人たちが生き生きとして
ほかの宗派とのこの違いは
いったいなんだろうと
驚かされた

真宗総本山の解釈で
嘆異抄
浄土三部経
即ち
仏説無量寿経
仏説観無量寿経
仏説阿弥陀経
また
親鸞による分厚い
顕浄土真実教行証分類
ぐらいは
読み直そうと思い
買い求め
ついでと言っては申し訳ないが
親鸞の師法然の
元祖大師御法語を買い求めに
智恩院にも翌日向かった

ひと月ほどは
これらをはじめ
浄土宗系の原典読書に明け暮れていた
僧籍剥奪された後
愚禿釈親鸞と名乗り
非僧非俗の生涯を貫いた親鸞のありようには
非文学詩歌
反アカデミズム詩文
故意のナンセンス詩文を以て
神霊感化の修業を行っている私には
親しく貴重な先達と見えた

しばらく神道系の神霊修業ひとすじであったのを
西本願寺のあの気韻によって開かれ
浄土宗系原典もひとわたり読み終えて
わが姉ダイアン・フォーチュンの魔術書の復習も終え
ディヴィッド・コンウェイや
アレイスター・クロウリーを思い出しもしながら
ヘブライ語を学びつつ
ユダヤ神秘主義にいよいよ本腰を入れるかたわら
しかし同時に法相宗の唯識論に集中しているところへ
いまふたたび
浄土真宗からの
励まし

親鸞さん…
法然さん…
蓮如さん…




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