2014年5月11日日曜日

もちろん信じ込むわけもなく



オデッサというと
オデッサ・ファイルを思い出すが
このあいだオデッサで起きた大量殺人事件は
ウクライナの政府派と親ロシア派のたんなる衝突でなく
労働組合ビルに逃げ込んだ親ロシア派を
ビル内に居た政権派の殺し屋が虐殺したものらしい
多くが銃殺されており
女性たちは下半身を脱がされ強姦された後に射殺されており
殺傷ガスも使われたらしいという
その後に放火され
後には累々と焼死体が残されていた

わたしはそれら焼死体の写真を十数枚見て
いま記したような内容の記事を数種類読んだのだが
いましも第一連の二か所に「らしい」と記したように
見た写真や読んだ記事が真実だと即決したわけでもないし
あらゆることにおいて捏造が容易である現代
そもそもそんな信じ込みなどしたくてもできようもない
たゞ思うのは
やはり信じ込みなどしたくてもできようもない
日本の大手報道機関各社のうち
たったの一社もこうした情報を流していないことのおぞましさ

にっぽん語人たちは
情報において
情報によって
情報的に
多くが銃殺されており
人によっては下半身を脱がされ強姦された後に射殺されており
殺傷ガスも使われているらしく
その後から放火され
後には累々と焼死体が残され続けているのではないかと
思ってしまうが

思ってしまうだけで
わたしは自分に湧く思いなどもちろん信じ込むわけもなく
かといって
その思いを否定するべきだなどという別の思いを
信じ込むわけもなく
どちらにもつかずに成りゆきを眺め続けていこうとするのだろうが
人間界では
ことににっぽん語圏では
感傷的で情にほだされる者ほど(騙しやすく御しやすいから)評判がいいので
感傷的なふりは時どきはしながら
ことさらに詩文などでそれを見せびらかし続けながら
わたしの中に湧く思いの群れを眺め続け
外界に生起する事象の群れも眺め続け

やがて
そのうち
いつの日か
幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました
幾時代かがありまして
  冬は疾風過ぎました*
などと
歌ってみる日も
来るかしらん
来るかしらん




*中原中也『サーカス』







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