悲観的な味付けをすれば
どんなテーマもドラマティックになります
いちばん安手の創作手法
もちろん
虚無系や落胆系も簡単
ヒューマニズム系だって
お定まりの夢風味や希望風味をまぶせば
やっぱり簡単
おふざけ系もシュール系も
慣れれば
ちょちょいのちょい
そこで、さて――
というわけ
さて
どうしましょうか
この今
この瞬間から
一行先にはなにも決定されていない
この場所から
こんな時に
思い出しておきたい
ミハイル・バフチン(ソビエト時代の天才的文芸評論家)のことば
彼のドストエフスキー論から
「世界にはいまだかつて
「なにひとつ
「決定的なことは起こっていない
「世界についての
「また
「世界の
「最後のことばはまだ語られていないし
「世界は開かれたままであり
「自由であり
「いっさいはこれからであり
「永遠に
「これからであろう
数えきれないたくさんのことが起こったようでも
それらの意味を決定する
最後のたったひとつのことばは
まだ語られていない
生きているものたちはまだ生き切っていないし
死んだものたちもまだ死に切っていない
永遠に更新され続ける最後のことばによって
すべての意味も位置づけも変化し続け
死んだものたちこそ生きていて
生きているものたちこそ死んでいる事態が
際限なくくり返されていく
そういう原理の世界で
あゝなにをひとびとは断言するのか
なにを理解したと自認し
なにを学んだと表明するのか
なにを知っていると声高に言うのか
…と
旧約聖書の箴言ふうに
詩編ふうに言うのも
また簡単
ということ
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