2014年10月19日日曜日

津軽海峡ヒンデミット景色 12 (2014年版)

1000行詩走
1996年版制作の後、失われていった多くのものたちへの鎮魂のために



第十二部:1021行より1124行まで



All I need is a cueは真理で
それ以外なにがいるというのか、生という束の間の
水溜りで、世界、世間、外界はみなcueで、
それ以外すべて、私のなかにある、準備はできている、
もっともパティの場合cueはあまりに早過ぎて、
四歳の時、父に連れられて
ダイナ・ワシントンのコンサートに行ったら、
ステージに引っ張り出され
Teach me tonightを歌わせられて
それに終わらず、
舞台の袖にいたサミー・デイヴィス・ジュニアに
すっかり気に入られて
アポロ劇場のショー出演が即決されて歌手生活が
始まったのだし、
ハイスクール卒業後にはハリー・ベラフォンテ
とのツアーにも出かけたのだし、
ルドルフ・シュタイナーのカルマ論を繙くまでもなく、
霊魂はおのれにふさわしい環境と幸運と不幸とを磁力のように
引きつけ引きつけ生まれて生き続けていくのだから
読者よ、あなたの現在の『津軽海峡ヒンデミット景色』読解は
偶然ではなく、生まれ落ちる以前すでにこの読書、読詩は
定められていて、わたくし、とりあえずの作者、編者、言葉取り集め者、駿河昌樹、す、る、が、ま、さ、き、もあなたのために書いておくことを
あなただけのために書き、直し、削除し、補足し、しておくことを
何転生の以前から定められていたわけであって、
今、あなたが
読むまなざしとなり、
読む主体を演じている
今、
すべてはある
じつは、じつに、すべて、今、ある、のだ、わたくしは
死んでおらず、あなただけが生きている
というわけではなく、
あなたに与えられた時代、今日、今、そこで、
駿河昌樹作『津軽海峡ヒンデミット景色』はすでに
日本文学の古典となっている
のは疑いないとしても、
            (密かにわたくし、駿河昌樹を  
             演じている意識がここで書き
             つけておくが、駿河が真に詩人
             となったのはこの長大な詩走
             の少し前に書かれた『反動す
             る』においてだった。駿河は
(「」  反動する    あの詩によって、日本文学を
             すべて超えてしまったのを自
             覚し、王たることを隠さなく
             なったのである。)

     わたしは反動する
     すべらかな自転車坂から
陛下の生首拾い取って
鮮血出尽くした
あかるい明日の歌をさみどりの
レヴロン冬鹿の頬ふハふハ
ICずずずんぽっ、はにゅっ
っっと、廃墟に水って
暗い歓びのあたたかさよせば
ばずる時こそりずべるって
ぎずるふぉ、そんなぎずるふぉ
生首すえて消えていく一千年数千年の  (」)
         
          反動する わたしは反動する すべらかな
自転車     坂から      陛下の生首拾いとって
鮮血出尽くした    あかるい明日の
歌をさみどりの     レヴロン冬鹿の頬ふハふハ
 ICずずずんぽっ、はにゅっ、  っっと、
廃墟に水って

暗い歓びのあたたかさよせば
ばずる時こそりずべるって
ぎずるふぉ、そんなぎずるふぉ
生首すえて消えていく一千年数千年の
劣民の歴史業績遺産
こころたましい
自由解放、あいすくりーむ、塩辛
陛下の血の乾いた跡に
置くtwenty-two hits of the Carpenters
Porydor;1995.11.10]、炎暑1998年は
 [   ]には来ない。陛下永遠に不在し
代行も認めないとすれば、わたしが
王であると隠さないであろう
 与えられた量の孤独を過ぎる時、抑えは
 きかない
 光、みえるとはかぎらないとしても
 それが打ち寄せて証すであろう
不在する泉しはしはと、衆なし、衆なし、
うなし麦たくわえる納屋で
やわらかな純白の花嫁衣装を裸体に着て
孤独の燃え残り尽きる数秒、数秒、
干し藁愛していなさい
陛下の血を吸った
干し藁、[   ]の血たっぷりと
炎暑1998年までは
干し藁、濡れ藁
うなし麦つく他はしみ一点なく
しらしら、花嫁衣装、しら、
やわらかで
裸体、数秒、ふるふる、
ふるふる、
ふる、ふるふる

(」)とすることで
                引用かつ非引用が発明され
物語しない  世界文学も世界表記界ももはや
ひとよ、   駿河昌樹以前のままではありえない







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