2014年10月23日木曜日

津軽海峡ヒンデミット景色 第二歌 (2014年版)

1998年版制作の後、失われていった多くのものたちへの鎮魂のために



老いは固有名詞を減らし
霞む哲学者たちの叢林
概念の豊作だった世紀の末を
流れるのはたぶん
油のようなヴェルディの
レクイエムのはじめ
はじめてをはじめなきゃと
TOMOMI*が歌っていて
南瓜と薩摩芋とキャベツを
さっぱりと水煮して喰う
なんにん女を抱いたか
まだ名は言わぬことにしておくが
とある大学の学長選出馬者が
ふいに指折ったりして
あいかわらず京の
五条の橋の上だろうか
馬鹿はいつも仲間と一緒で
過去のはなし仲間のはなし
新しい肉体のヴァニラを求めて
今夜もあすも切り花を離れる

蘇るとか堪能するとか
どこでも買えるナイフは一本で
そんないでおろぎいは払い
迷いと失策と不慣れのほうへ
肌を輝かせて赴くから
男根はうつくしい鱒であれ
趣味人の寄りあいは離れ
埃まみれのバス待ちびととなって
虹を追わずタンポポを摘んで
懐かしさに溺れずにヨーヨーを
あそこの駄菓子屋で買おう
女の尻を追ってなにが悪いか
ほかの男に釜掘られて悪いか
おれにも膣があるぞと田舎の駅で
春の孤独な裸体を見せてくれた爺に
今宵はゆっくりと会いにいきたい
恥毛までカラーマニキュアして
ヴィヴィッドピンクのサングラスだけは
はずさなかったあの春のヌード爺に
季節はずれに桜餅なんぞ買って
エヴィアンでなくビニール水筒さげて
なんの一年生だか入門者だか
さびしい家を永遠の朝あとにして

はいった穴の数を誇るやつ
膣内滞留時間を誇るやつ
どちらも馬鹿だろうがおれはもっと
馬鹿になってやろうという
馬鹿がどの時代にもいたところで
揺れる磁石の先端のような
女には連中のペニスは揺れず
絶壁の上に発する「菫」は
せめてスガキヤのスーちゃんとか
どこぞの宝物館の大魔羅とかの
上に封印のように貼る音
付加価値をじぶんに貼るために
生きているざわめきたちを離れて
シャカイもジンセイも離れて
二十世紀の詩人はペソアと
ディラン・トマスと
たぶんルヴェルディだけだから
大言壮語せよこれからの唇ども
膣から論述する習慣をずらし
胸、せめては鳩尾からの
しろい故郷の恋々たる童謡を
旗にして、かなたこなた
続々つづく試射投擲社内新報
社とは神社であり社員たちはみな
神道信者であろうから むふふ
けつかれ!けつかれ!と一事が万事
アストラル体の過去を未来を前世を
見透かされようともいいわ、いいのよ
なんなのよ、蕗の薹なのよ、また
張る腹を蹴って堕胎するのはもうやめて
まだ名は言わぬことにしておくが
とある首相以下閣僚候補者たちの
祝福を十人ほどの射精で
腹の上からとろりと生きてる
感覚わすれないでやさしく
やさしくやさしく
みどりあざやかなシャツのほうへ



*「たのしく たのしく やさしくね」(1997
written by Tetsuya Komuro & Tomomi Kahala





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