2015年1月19日月曜日

平成二七年一月十八日であったのだ




古今和歌集の深読みを続けていたが
本の山の林立している書斎で
蹴躓いて山のひとつを崩してしまった
ジイドの『田園交響楽』の1978年印刷のフォリオ版*
まるで見えない手で置かれたように床の上に落ちた
手にとって少し行を追ううち
三日間降りやまぬ雪が道を閉ざしている…という冒頭から
もう引き込まれていた
古今集を止めて読み始めたら
数日後
深雪の青森に飛ぶ用事が舞い込んだ

意識がどう繋がったのか
ジイドを読むうち
無性に川端康成の文章が読みたくなった
数週間前すでに『波千鳥』『雪国』『禽獣』を読み直していて
その後『山の音』の再読にかかっていたが
別のものが読みたかった
書架に並ぶあれこれを開いてみながら
ちょうど気分が合うものが『名人』だと感じた
内容が問題ではなく
文体や改行のしかたなどが
今の気分にいちばん合っていた
いつものことだが内容や物語で読む本を決めることはない
文体や字面や改行のしかただけに触れたい
人生や社会や風景や人と同じで
内容というものには何の興味もない

夜も遅くなってきていたので
本当に読み出すのは明日からということにして
寝床で漠然と最初のページだけ眺めていた
囲碁の名人第二十一世本因坊秀哉の
熱海のうろこ旅館での急死のことから語り出されているが
それを読みながら
小さな稲妻を受けたような驚きを覚えた
昭和十五年一月十八日に本因坊秀哉は死んだというのだが
平成二七年一月十八日であったのだ
なんの必要もなく気まぐれから『名人』を選び
こうして冒頭から見始めたのが



*André Gide, La Symphonie pastrale,1925(Gallimard,Folio,1978). 

                                  
   

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