2015年3月11日水曜日

ものでなどないもの



さびしく独りで死んでいった…
からといって
だから何だろう
と思ってきたけれども

やっぱり思う
だから何だろう

なかよしがたくさんいて
楽しく幸せに死んでいったところで
なかよしさんもみな死に絶える時が来る
そんな頃には

さびしく死んでいった人のいない空き地を吹く風も
楽しく幸せに死んでいった人のいない空き地を吹く風も
おなじ風

さらに思う
死に際にどんなに平穏だろうが
悶え苦しんで死のうが
首を掻き切られようが
タンクに踏みつぶされようが
死んだ後には
どんな感情も残りはしない
平穏も
苦しみも
やすらぎも
満ち足りも
なにも残りはしない

そうして
死んでしばらくは
知り合いだった人たちは
まだまだ
あれやこれやと思い出したり
語ったりするけれども
知り合いだった人たちも死んでしまったとなると
もう誰も
あれやこれやと思い出したり
語ったりはしない

こう思い直すと
なんだ
おまえはそんなことも知らないのか
と馬鹿にされそうなぐらい
あたり前のことなのだが

こんなあたり前のことを
生きてガタガタ
ザワザワしている人間たちは
日ごろすっかり忘れて
うごめいているんだな

じぶんが死んだ後
少しでも
あれやこれやと思い出してもらったり
語ってもらおうとして
つまらない努力を
重ね続けているんだな

まあ
有名な名が残る
そんな人も
いるにはいるが

だれが本気になって
親身になって
シーザーが殺される時
痛かっただろうなと
今どき思いやる人がいるだろう
司馬遷が宮刑にされた時の
悔い恨み辛み恥ずかしみ痛みの
大きさといったらどんなものだったろうなと
じぶんのことのように思う人がいるだろう
トマス・モアが断頭される時の
恐ろしさや絶望とともに矜持などまで
ありありと想像してみる人がいるだろう

どんな死にざまも
数秒後には
すっかり静まって
後にはやわらかい蝋人形のような肉体が
動かなくなって
立体的な色つきの影のように転がる
ただそれだけのことで
感情や心情や考えの差など
なにも残りはしない

イエスが死ぬ時には
大地が鳴動して地崩れが起きたというが
それは生き残った者たちの心の崩れのことだっただろう
天地がビクともしなかった証拠に
こうして地球も太陽系も同じようにあるし
だいたい聖書などという物質的この上ないものまで
この世にはつけ加わったりした

死とはそんなもの
そういう死に向かうばかりの生とは
死によってぜんぶ消え去るだけの
ふしぎなまでに無価値なもの
なんでもないもの
なんにもなかったんだ
はじめから―
と生き残った者たちがよくよく感じるためだけに
しばし在ったかのようにみえるだけのもの
ものでなどない
もの



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