夏になってきたからか
神棚に供える榊がふくらんで
繁った感じが出てきている
忙しい朝だが
神棚の榊の水を替え
水器の水を替え
天照大神への礼拝と
伊耶那美への礼拝をする
礼拝は願い事ではなく
今このようにあることへの
簡潔な感謝ばかり
伊耶那美に祈るのは
伊勢の伊耶那美のお社でだけ
周囲の寒さにも関わらず
思い違いでなくはっきりと
お社から温かい風に
吹かれ続けた奇異の記念のため
次に累代の先祖への感謝供養
やはり水器の水を替え
男系と女系へ線香を二本
関わりある諸霊たちへも
線香を一本立てて
天照大神の名で結ぶ礼拝
ついで逝った友HCG*の霊について
天照大神に感謝礼拝する
こうして居間の礼拝を終えると
今度は書斎の机前に安置してある
友HCGの遺骨に向け新しい水を供え
線香を一本立てて天照大神に
友HCGの霊について感謝礼拝をし
さらに玄関の聖母マリア像にも
水器に新しい水を汲んで
たゞ在ることへの感謝礼拝を行う
マリア像はルルド**で買ったもの
物見遊山で出かけて行ったルルドでは
医学に見放されて世界中から集まった
たくさんの病人たちがひたすら祈っていたが
それを遠巻きに見て川の近くに佇みながら
自然と涙が湧き出て止まらなかった
あの不思議な経験を忘れないために
土産物の石膏のマリア像を買い求めた
ルルドゆかりの聖ベルナデットの遺骸***は
生前のまゝの姿で不朽体としてヌヴェールにあるが****
わざわざそこを友HCGと訪ねに出向いた際には
彼女の残した衣類や持ち物の陳列場所から
ずいぶんと熱が放射されていて温かかった
今は遺骨となった友HCGの大病の際にも
このマリア像は格別の奇異を演じたものだが
その時のこともたびたび思い出しながら
ともかくも毎朝の感謝礼拝をこうして終える
自分という一個の生者の生活が始まるのは
ようやくこのあたりから
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