わたくしの読み慣れているヴァレリーの詩集は
一九四二年発行、ガリマール書店の
いわゆるフランス装の
代表的な版として有名なブランシュ版
その一九六六年十二月五日印刷版
この頃手に取らなかったが
ふと取り出して『若きパルク』を捲ると
〈神秘なる我よ、けれどお前はまだ生きている!
〈お前は曙の光でお前を見分けようとする
〈苦々しくも同じお前を…
〈 海の鏡が立ち上がる…
〈そして唇には、諸々の兆しの消滅が
〈物憂く告げる昨日の微笑みひとつ
〈それはすでに東に、光と石の青白い線を凍りつかせ
〈いっぱいの牢獄を凍りつかせ
〈その牢獄には唯一の水平線の輪が浮かぶだろう…
〈見よ、肌も露わなひどく純粋な一本の腕が見られる
〈わが腕よ、ふたたびお前を見る… 曙を纏うお前を
こうも読めるかもしれない部分が
ふいに開かれるが
マラルメの弟子ヴァレリーは
マラルメほどではないにしても
主語や動詞や目的語の語順を壊して散らしてある上
フランス語詩の魅力は
一行一行ごとにイメージの完成と変質と破壊が進行していく
きわめて動的な意識の冒険が読者に提供されるところにあるので
はじめのあたりはじつは
こう訳されてもよい…
〈神秘なる我よ、しかしながら、お前はなおも生きる!
〈お前はお前を見分けようとするのか、明けの光で
〈苦々しくも、同じお前を…
〈 海の一枚の鏡が
〈立ち上がる… そして唇には、昨日の微笑みひとつ
〈物憂く、諸々の兆しの消滅が告げる…
これ以上は、ヴァレリーがわざと置いたように
単語を訳していくのは無理で
単語を訳していくのは無理で
ここから読者は完全にフランス語だけでの読解に埋没していかねば
ならない
ならない
日本語に移し換えようとすればマラルメーヴァレリーが
最も重視した単語配列の衝撃創造を破壊し
まるで総天然色カラ―の壁画をモノクロ一色に落し込み
それをさらにコピーしコピーしコピーして
細部や彩やムラを潰し尽してしまう…
〈 海の一枚の鏡が
〈立ち上がる… そして唇には、昨日の微笑みひとつ
というところも面白い、『海辺の墓地』の最終連の
〈風が立つ!…努めねば!生きようと!
〈広大な気が開き閉じるわが書
〈しぶきとなって岩から迸らんとする波!
〈飛翔し行け、眩暈の極致のページ!
〈打ち砕け、波たち、嬉々とした水で
〈三角帆が啄む静かなこの屋根を!
この一行目に似て
立つ、起こる、立ち上がる、立ち起こる…などと訳せる
ふつうは「起きる」「起き上がる」と日常では使われる
代名動詞se leverを使ってあって…、そう、
堀辰雄が『風立ちぬ』に用いたあれ、
まさにその原典…
わたくしは
わたくしたちは
マラルメーヴァレリーからあんなにも主語や動詞や目的語の
語順破壊を学び
ランボーからは日常的意味の構成一歩手前での撹乱を学び
シュールレアリズムからは日常的論理からの逸脱を学び
ボードレールからは全世界に通じる骨太の感傷を学び
…駄弁
…駄弁
…ダベンダー
それはそうと
戻る、ひさしぶりに、『若きパルク』の冒頭に
〈泣くのはだれ、そこで?
〈ただの風じゃないんなら、こんな時間
〈至上のダイヤモンドたちだけを伴って…
〈泣くのはだれ、いったい?
〈わたしが泣こうとする時に
〈こんな近くのわたしのそばで?
ヴァレリーの『魅惑』を西脇順三郎さんも訳していたが
学生時代に習った平井啓之先生も『若きパルク』を訳していた
いま掲げたのは平井先生の頑張った訳でもなく
鈴木信太郎の格調高き訳でもなく
今ふうにわかりやすくした拙訳
じつはヴァレリー
彼の残した詩のかたちを無視して
改行も単語の配列も自由きままにやわらかく訳すると
とんでもなく面白くて
わかりやすい
ほんとうに読みやすい新訳
できるかな、ヴァレリー研究者たち?
やってくれるかな、研究者たち?
高踏の象牙の塔に籠ることなく?
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