2015年11月23日月曜日

ごくふつうのありふれたような



妻のお父さんが亡くなったので
静かな通夜を過ごし
葬儀の朝にも身内だけで静かに集まっていました

遺体の口のまわりの
わずかばかり伸びた髭が気になって
わざわざ剃らなくてもよさそうながら
電気カミソリでわたくしは剃って差し上げました

その機械の剃り味はあまりよくなかったので
ほんの少し剃るのにも
ずいぶん時間がかかってしまいました
最期の頃はもう食べられなかったものだから
点滴だけで生き長らえたひと月半のあいだ
病室で苦しげな呼吸を続け
衰弱と持ち直しをくり返したせいか
開けた顎が閉まらなくなっていて
口の奥にはほの暗い洞穴ができていました
舌は小さく縮こまって血の気もなく
なんだかミルキーの飴のようにも見えました

その夜は妻の実家に遺骨を運び
長いこと介護ベッドの置かれていた部屋に
祀る台をしつらえて写真などとともに安置したわけですが
それまであまり見たことのないその部屋の
壁の絵だの書棚だのをいろいろと見てみるうち
むかし写真屋さんで無料でくれたような
薄い小さな簡易アルバムを見つけたのでした

めくってみると妻の家族のむかしの写真が
いっぱいはないものの
それでも数十枚はありそうで
どうやら戦中のものさえあって
他家のものながらなかなか興味深く
立ったまま一枚一枚見入ってしまいました
大家族だった妻の家族の
もう亡くなってしまった顔々
散ってしまった顔々
ときおり話に聞くそんな人たちの顔かと推測しながら
ゆっくりゆっくり見続けていくうち
あるひとりの眼鏡の男の人が
いろいろな写真にたびたび現われてくるのに気づき
これはきっとお父さん…?
と妻に聞くと
どうやら妻さえ見たことのなかった
たくさんの
若い頃や若い若い頃の
お父さんの顔
戦中の中学の制服姿の写真まであって
学友たちと学校のどこかの壁の前に集まって
ちょっとふざけて掴みあっている様子
東京大空襲では炎に襲われながら姉妹と逃げまわったそうですが
たぶんそんな経験をするちょっと前の学校風景

結婚前らしい白黒写真の中には
勤め先で同僚たちと肩を組んでのものもあれば
どこかの温泉の前で同僚たちと並んで撮ってもらっているのもあり
なにを思っているのか
ひとりカメラのほうを生真面目に見つめて撮られているのもあり
カラー時代に入ってからは
海の浅瀬に入って小学生時代の妻と手をつないで
屈託なく大笑いしている写真もあります

老人になってからの姿しか
わたくしは知らなかったのですが
すっかり痩せ衰えて骨の浮き出た遺体の髭を
たしか四十分ほどはかけて剃って差し上げながら
老いさらばえた遺体の印象ばかりを心に刻んだからでしょうか
若かった頃の姿も見ておいておくれ
あんなに若かった頃があって
ほら
中学時代からの様子もちょっとは見ておいておくれよ
焼かれた体をさばさばと離れて
きっとそんな思いが宙を泳ぎ
わたくしをこれらの写真の数々に導いてくれたものでしょうか

わたくしが見知っているのは
この人の生涯の最後の十年ほどの姿だけでしたが
ただで貰った簡易アルバムに無造作に入れてある写真の数々からは
戦中から戦後を生きたひとりの男の人生が
くっきりと浮かび上がってきていました
幼い頃の妻の手を父として握って笑っている写真や
彼が撮ったに違いない幼時の妻の何枚もの写真
彼が撮ったのではないに違いない妻の学生時代の写真は
妻から見せてもらった後でそれとなく持ち続けて
仕舞っておいたものでしょうか

これらを見ながら
こんなひとり娘を持って地道に地味に暮らしてきて
身を痩せ細らせ
老いさらばえて平時に亡くなっていけたことの
なんと幸福だったことか
ごくふつうのありふれたような父の生を生きる経験ができて
なんと幸福だったことか
それだけはわかっておくれと
わたくしは告げられているようでした




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