2016年1月3日日曜日

まだ寝ているべきなのに



まだ寝ているべきなのに
夜明け前
目覚めてしまって
もうちょっと眠ろうと努めながらも
どんどん冴えてくる時
さまざまな気がかりの底に
浮かび上がってくるのは
いつも
死のこと

死んだらどうなるかというような
子どもの頃の悩みではなく
死んでいく過程での
なんと
たくさんの
不調や憔悴や持ち直しや
ふたたびの衰弱や
「別の医者に聞いてみなきゃ」
「経済的に続くかしら」
「また採血か」
「ベッドの位置は奥の方が」
「支払いは月末?」
「帰路はタクシーのほうが…」
などなどの
無数のくりかえし
そして
その果てにようやく
ひょっこりと獲得される
息の引きとり

何人もの死への道行きを見てくると
もう自分の世話もできなくなる頃
小さな小さなことの積み重ねを
看護師はやってはくれないし
見舞いにたまに来る友人もやってはくれない
そういうものだとわかる
どんなに気を使ってくれる家族がいても
朝から次の朝まで
起きて付きっきりで世話など
一億総活躍の世では
やってくれようもない
人間は一日シャワーを浴びないだけで
すぐに臭くなるというのに
点滴をいつもつけた末期の体は
もう風呂にもシャワーにも入れてもらえない
時どきタオルで拭いてくれても
垢じみた臭いは取れない
自分で顔のまわりや首元の臭いが気になっても
誰も洗ってはくれない
ちょっと顔にオイルを塗りたいと思っても
目ヤニがついてないかどうか気になっても
もう自由に動かせなくなった体では
どうにもならない
まるで
ヘンな時間に目覚めて
すぐには寝直せない
こんな不自由さのように





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