2016年8月3日水曜日

時間質の中に浸透する


一年じゅう
休暇というものがない生活になって
もう
300年ほどになるか

休暇というものを
それでも取ったこともあったが
帆船で
数年地球をまわってみて
もう
懲り懲りだと思った
疲れ切った

どこにも行かないのが
ほんとうに
いい
時間が強いてくる
光景の過ぎ去りだけを旅とするだけでも
もう
ずいぶんなこと
その原理を知り尽くそうとして
身体をなるべく動かさずに
罠を時空に仕掛けているだけでも
なかなかの労働

むかし
親しかった禅坊主と
ヨガ行者と
ふたりを閑居に招いて
数か月
身体を動かさずに
時間の流れを
あるいは流れなさを
心眼で観察してみたことがあった
三人とも
時計の針を止める心力を得たが
時計を止めても
太陽や月や天空は動くから
三人の力をあわせて
それらも止めてみたことがあった
その間
宇宙のすべては停止し
停止したことを認知する意識やしくみのすべても停止したので
停止を解いた後
人界のだれひとり
このしばらくの停止に気づかなかった
いまだに歴史としても科学データとしても
残っていない

しかし
わたしたち三人は気づいた
あれほどまでしても
時間は停止しなかったことに
時間は動きや流れではなく
生成や変化でもなく
まったくべつの性質なのがわかり
今後
アプローチをすっかり変えて
時間を探究しなくてはならないと覚悟した

あとは
すべてがその後の物語

たとえばわたしが
蝉の声を聴き
聴いている聴覚と
聴こえている蝉の声とを
即時平面にともに投げ出して
そこから離脱する
そうして
時間の質を認識しやすくなる精神素を抽出し
それらに乗って
時間質の中に浸透する

こんな探究ばかりの時期が続いている




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