あれを見たり
これに気を取られたり
新たな関心事が出てきたり
それもいっぱい
あとから
あとから
それらをシャットアウトするのが
やはり
いっそう
じぶんを生きる
ということなのだろうか
その場合
古い基準と古い情報処理法で
古い関心事と古い情報を処理していく
ということになるが
どちらに向かっても
不完全と歪みと偏向を選ぶしかないが
だとすれば
結局
どちらへ向かって
どれを選び
どれを選ばなくても
構造上は同じということ
これが
20代のはじめ
わたしが人生を停止させた
理由
その後は
空気を適当に吸い
目を適当に開き
他の感覚も適当に機能させて
概念や思念を適当に
絡みあわせたり
解いたり
し続けてきただけ
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