2016年11月23日水曜日

今日は大大大大便を垂れなさったか?


  
現実という
いんちきの映像集成から逸脱しようとしていた頃
からだから出て
心や考えからも出て
頭頂がすっ飛んだような感覚になった時
それを感覚しているじぶんも
いんちきの集成体だと即座にわかって

そうか!

感覚する者であるかぎり
あろうとするかぎり
逸脱することはできないのか!

と雷のように知った

悟り
というものがないこと
ありえないことは
その時
つよく知った

悟りがない時こそ
むしろ
“それ”にもっと近い
悟りがなければ
悟ったとか
悟りに近づいたなどとは思わないから
逆に
悟りは近くにあることができる

夢が夢の本質を夢見することは可能か?

夢が覚醒することは正気の沙汰か?

物質は夢
不在は実

内臓に左右されるうちは
ダメだぞ
とアントナン・アルトーなら言うだろう

内臓と糞尿の違いに拘泥しているうちは
ダメだぞ

内臓と糞尿…
しかし
どちらも内臓や糞尿でないものとして
用いている語

「今日は大大大大便を垂れなさったか?」
「今日は大大大大便を垂れまして御座います」

けっこう!
真空もダークマターも
汝の大大大大便にしみじみと睦み入ったで御座ろう




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