2016年12月11日日曜日

『通し狂言・仮名手本忠臣蔵』劇評によく似た通し言語配列の試み*






10月27日 隼町・国立劇場階5列29番
国立劇場開場50周年記念ということで、もちろん、「芝居の独参湯」たる『仮名手本忠臣蔵』。しかも、「上演可能な場面を全て網羅した完全通し上演」。
 忙しいので、見るのは無理と思っていたが、時間の都合がぽっかりついて、前日にチケットを予約するという急展開。で、千秋楽に1階5列の中央で。
 10月は大序から判官切腹の四段目までだが、忠臣蔵においては、始めのこのあたりまでをちゃんと見るのこそが極めて重要。派手な見せ場は一見少ないが、じつによく出来ている箇所で、作者たちが意図したところにしっかり着いていけば、じっくりと面白い。
 忠臣蔵の通しを見るのは二度目だが、前はどこかを省略してあったのではなかったか。あるいは、こちらがちゃんと見るレベルに達していなかったか。今回になって初めて、本当にいい芝居なのだと感じた。
 観客の出入りを止めるため、"通さん場"といわれてきた判官切腹の場面は、確かに何事か異様なことが起こっている雰囲気に領され、劇場内を静寂が支配した。あれだけの大人数が集まった劇場での長い静寂はそれだけでも事件で、歌舞伎の英知の鮮やかな一端が顕れ出ている。
 塩治判官が刃傷沙汰に及ぶまでには、桃井若狭之助と加古川本蔵の物語が挟まるのだが、これをしっかり見ておくかどうかが、忠臣蔵のその後の理解に大きく影響する。作者たちの意図にちゃんとついていくというのは、繰り出されてくる通りに、こうした要素をいちいち飲み込んでいくことを言う。
 梅玉の品のある塩治判官はよかったし、双眼鏡で見続けていた切腹場面の顔の変化のいちいちも味わい深かったが、とはいえ、判官の性格設定と、彼が刃傷沙汰に及ぶまでの心理変化には、いまひとつ、説得力に欠ける飛躍があるように感じられた。これは梅玉の責任ではなく、作者たちの微妙な計算違いから来るものに感じられてならない。名作とは思うが、ここはひっかかる。東京創元新社版の昭和43年の歌舞伎全集を持っているから、本を再読して検討しなければ。
 切腹の場での力弥の台詞、「未だ参上仕りませぬ」を、中村隼人はやや細々と、明瞭ながら頼りない感じで言ったが、よかった。彼には、じつは女方を演じてほしかったが、ああいう力弥もなかなかリアルなものか、と思った。


11月17日 隼町・国立劇場階7列34番
10月に続き、国立劇場で『仮名手本忠臣蔵』第二部を。
せっかく日本に生まれたのだから、という不純な教養癖で付き合っていっている部分も、正直なところある。
 というのも、第一部と違い、第二部の五段目から七段目は、忠臣蔵という事件の物語をそれなりに伝えねばならないはずの『仮名手本忠臣蔵』の、戯曲としての脆弱性をもろに露呈する中核部分で、見ていて情けないことこの上ないからだ。
 おかると勘平ばっかりで数時間を浪費してしまうこのあたりを、武士の世界と違う市井の人情をたっぷり描く名場面、などと褒めるのが通たちの粋な嗜みということになっているが、作品のこの中心部分でこそ、討ち入りに向かうイデオロギーの練り上げ過程を描いたり、四十七士それぞれの思想的・感情的差異をえぐり出したり、個々の生活や家族関係を効果的に刻み込むべきところのはず。それが、見事なまでに、きれいに、おかると勘平一色となってしまう。日本人のある種の限界性をまざまざと見せつけられながら、歪みと欠落を正そうともしないこの戯曲の哀れさを楽しむところに、残酷な真の趣向があるというべきか。
 祇園一力茶屋の場は名場面には違いないだろうが、五段目でも六段目でも政治物語としての中心を充填できないままにがらんどうの見てくればかりの表層的張りぼてとして流れてきてしまった無惨な失敗作を、さて、大星由良之助とおかるを結ぶことで一気に突破するかと思いきや、表向きは馬鹿を演じながら由良之助は深く考えているぞ、とのほのめかし程度に終わってしまう。
 彼の頭の中の術策の子細にこそ物語の核心はあり、おかるがどんないきさつで遊女となったかなどは、はるかに優先順位が落ちる。
 さあ、ここまで駄目になった物語の提示ぐあいが、八段目以降どう盛り返されるか、表層的な華やかさだけをなんとか維持しながら、さらに無惨な崩壊過程をしゃなりしゃなりと辿っていくか、乞うご期待の12月の第三部。
 こういう見方ができるのが、数か月かけての通し狂言のいいところでもある。国立劇場の通し狂言には35年ほど断続的に通ってきているが、歌舞伎は本当にくだらないとたびたび思いながら性懲りもなく通い続けるわけで、病膏肓に入るとは、たぶん、このこと。
 パンレットを見ると、坂東亀三郎が、昭和56年の国立劇場での『菅原伝授手習鑑』の寺子を勤めたのが彼の初お目見得だったと書いている。彼の祖父十七世羽左衛門が武部源蔵を勤めていて、源蔵が花道から戻ってくるのを寺子屋の中から見つめていて、後で叱られたとある。
 ああ、1981年のあの通し狂言『菅原伝授手習鑑』は私も5列あたりで見ていて、若き亀三郎のように羽左衛門の源蔵を見つめていた!初めて『菅原伝授』を通しで見て、数か月興奮が収まらなかったものだ。
 まだ、チケットを買うにも、国立劇場のチケット売り場に前の月に買いに来ないといけない時代で、舞台を見ること自体が今とは比較にならないほど貴重に感じられていた。
 ずいぶん時間が経ったのに、ホールの六代目菊五郎の像をはじめ、殆どのものが変わらないままの国立劇場内に居ると、最近は、奇妙な永遠を感じるようになった。
 なにもかも変わってしまった東京では、国立劇場が、今では逆に、変わらないままでいる場所のひとつになってしまっている。


12月8日 隼町・国立劇場階3列27番
国立劇場『仮名手本忠臣蔵』、三ヶ月連続して第三部まで付き合う。
 八段目「道行旅路の嫁入」は、美人ではないものの、児太郎の小浪にも魅力があって楽しい。
 九段目「山科閑居」は単独でもたびたび上演される名場面で、何度見たかわからないが、やはり通しの中で見るとしっくり感が格段に増す。物語的には、狂言のはじめのほうで張っておいた伏線の加古川本蔵系の線をなんとかフルに生かそうと出してきて、かなり慌てた手つきでギュウギュウ盛り込んできて、けっこう苦しい。小浪と力弥の関係はもっと早い段から描いておいて、時々小出しにしておくべきだったのに、途中でおかる+勘平に傾き過ぎたものだから、こちらのカップルのほうはなおざりにしたまま、狂言は歪みに歪んで進行してきてしまっている。もっとも、物語形態の歪みは歌舞伎の魅力だし、失敗こそ成功だから、駄目だなどと無粋なことは言わない。詰め込みの過ぎる「山科閑居」はやはり楽しく、なるほど、単独で切り出されて上演されるだけのことはある。とはいえ、面白い、面白いと見ているのに、フッと気づくと睡魔に意識を奪われているのも、この段ならでは
 白鴎に変わることが決まった幸四郎の加古川本蔵の笑い場が、なかなかよかったのは、たぶん、後々のためのよい思い出。
 「天川屋義平は男でござる!」で有名な、十段目「天川屋義平内の場」も充実した場で、後は切れ切れの討ち入り始末場面となって終わりに向かう『忠臣蔵』の、最後のまともな演劇場面。これも面白く、梅六の義平も錦吾の太田了竹も見頃のいい存在感だが、どうしてこうも眠いのか。若い時はこういうのが辛くて辛くて、おかげで、もう荒事や南北しか見まいと決意したことがあった。
 十一段目は、もう討ち入り。五部に小分けして、バタバタ進行させていくので、それはそれで見物としては楽しく、眠くなどならないのは幸いながら、なんだか、主題をついにちゃんとドライブできないまま、終わっていっちゃうんだよなァ、という、騙された感もいっぱい。
 とはいえ、ここでは中村米吉の大星力弥がなんとも可愛く、清潔で、若さと幼さがあって、世阿弥ふうに言えば、まさに時分の花。狂言などはどうでもよくなるほど良くて、見惚れてしまった。歌舞伎の見方としてはまさに正道というべきで、平成の無粋な世に惑わされて江戸までの武家の常識をなおざりにさせられてしまっているゆえとはいえ、衆道の嗜みが浅いまま馬齢を重ねつつあるのを恥ずかしく思わされた。
 たっぷり雪を降らしてくれる中、松緑と亀寿が切り合いを続ける泉水の場の、『四谷怪談』終幕に通じる雪夢幻の境地が意外なほどよかったし、舞台に現れただけで異形の存在感を放つ現代屈指の名優片岡亀蔵の和久半太夫があの声を響かせてくれるだけでも幸せで、まあ、見終わりの感想としては、めでたしめでたし、というところか。
 とにかく、長い『仮名手本忠臣蔵』ほどの、空虚な中心構造のいかにも日本的な狂言の通し上演ともなると、次に見るかもしれない時には時代も世相も世界も様変わりしているもので、役者も逝くし、知己も逝く、こちらも逝くかもしれぬ、というスリリングな伏線をたくさん抱え込むことになる。それこそが楽しくて、頻繁にやらぬ長い通し狂言なんぞは見るもので、ぶっちゃけ、狂言そのものはやはり薬味としか扱ってはいないのかもしれない。
 ちなみに、珍しく時間に余裕があった今回、この頃は滅多に上らなくなった二階に散策に行ってみると、忘れていたわけではないが、なかなかいい、ちょっとした日本画展示の回廊となっている。
 若い頃にはまだ知悉していなかったが、数十年のうちに親しむようになった画家たちのものが並び、ゆっくり歩いて見てみながら、馬齢というのも重ねてみるものかもしれぬ、などと思ううち、若い時期や壮年期に自殺して姿を消していった十数人の友たちの顔を思い出していた。
 思い出される顔の中には、かつて、いっしょにこの回廊を絵を見てまわった友の顔もあって、西行の歌、「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」がフッと浮かんだ。こんな歌を思い出すなど、大げさこの上なくて、いかにも滑稽だが、こんな滑稽さも、今では全くのひとりお手玉として、小さく遊んでみる他はない。
 まわそうにも、お手玉の受け手はもう一人もおらず、今生、最良のものは皆、過ぎ去り、逝き、終わってしまっている。
 知と理と心と魂の開きめくらとして、ただひとり、まぼろしの百鬼夜行を見続けるつもりだけがある。






*facebookにメモ書きされた草稿を下敷きにしている。




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