2017年1月4日水曜日

衝動・エネルギー・感情・理性の外部に立つ



「おめえは本を読むくちなんだな?」とポパイは言った。
ウィリアム・フォークナー『サンクチュアリ』



言語配列の長所には
わざわざ言語を配列しようという衝動
それを遂行するエネルギー
エネルギー使用を維持しようとする感情力などが
ありありと把握され統御される点が挙げられ
この作業を継続して行うと
自己内部の衝動・エネルギー・感情の外部に常時立つようになる
言語の配列法は
ありきたりな概念構成に依拠するとは限らないとしても
その場で使用しやすいなんらかの基準に依拠せざるを得ない以上
とりあえずは機械的理性がそこに機能せざるを得ないから
使用しやすい理性の外にも出ることができる

ゴダールが映画の物語性を希薄にしたり否定してきた結果
やはり映画にはおざなりのものでも
とりあえずのものでも
物語めいたものが必要だと認識するに到ったように
言語配列にも
なんらかの筋、物語、イメージ、記号的法則性や
ゲーム性(『ゲームの規則』!)が必要とされると見なすべきだろう
眼目は物語やイメージを提示したり
それらによって情動を惹き起すことにはないので(それらをお望みの
向きは19世紀の象徴派以前の詩歌へと回帰あそばせ)
物語やイメージはあくまで仮のメロディーとして敷設されるに過ぎない
眼目はつねに言語配列者の
衝動・エネルギー・感情・理性の外部に立とうとすること
自己超克に
ある

最大の関心事のひとつとして看過し得ないのは偶然性を
どう見なすか
どう用いるかである
ウィリアム・バロウズたち、ビート・ジェネレーションによる
多くの偶然性の実験が行われ
単語を記した紙の小片をたくさん入れた箱から
偶然指先に触れたものを選び出して並べていく詩作が行われた
シュールレアリストたちも多くの実験を行った
そこに成った言語配列の価値は
配列者が自らの脳(すなわち語彙記憶)を用いて配列したものと
どのように違うか
どのように同じか
衝動・エネルギー・感情・理性はどのように超克され得るか
そこには未だに最大の人類的課題が横たわっている



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