2017年2月13日月曜日

ニュッシンゲン夫人の晩餐まで



川が宙空を
流れていたのに気づく
大都会の
田園っぽさ

流行り出した(けれど、まだ
知らない人ばかりの)
ジェラートと軟化チーズのミックスデザートを
アヤとロブニーとミシェルは
なかよく左手に持ち
メトロを出たところで
自撮り棒で
記念写真する

 まさか川が
 宙空にあるなんて
 まさか頭を
 だれもが川に浸したまゝ
 大都会では歩いていたなんて
 気づかれない

ホームレスになった六郎は
地下道の入口で
日の出前のいちばん寒い時間に目覚めながら
ネズミのチュウ公(と紋切り型に名づけた…)はまだ
今日は顔を見せないなと思い すぐに思いを
過去の婚約間際の小旅行のことへと振り向ける
妻になろうとしていた有紀子から
列車に乗った直後にバレンタインチョコの小箱を貰ったが
トリュフだったな あれは
チョコといえばいつも板チョコだった自分には
旨かったなぁ あれ あんなのがあるんだと驚いて
合わないとは思っても
ペットボトルのほうじ茶をちびちび飲みながら
少しずつ齧った

 中空の川の流れのひとつを
 舟で流されていきながら
 田中小太郎はちゃんと自覚している
 大都会で動いている
人間の姿をした死すべき肉たちには
こういう自分など見えていないと
ひとりで舟に乗り続けながら
すれ違うばかりで交差も遭遇もしない
自分でない肉たちと自分とをどう取り纏めて
考えようかと田中は惑うが
とりあえず急いで結論しなくてもいいと
いつものように放り出してしまう
そうして さっき思いついた名前のうち
アヤとロブニーとミシェルと六郎を
 そうだな どこかでパソコンを開いて
 なにかの形式に嵌めるつもりもそう強くない
 ヘンテコな書きものを書き出した誰かが
 文ともメモともつかない書き込みのなかに
 打ち込んでいくことにして そうして
 そうして また舟を進めて行こうか
 思念のとりあえずの舟を などと
 思いをおにぎりのように纏め始めている

写真を撮り終えたアヤとロブニーとミシェルは
頭のはじっこをふいになにかにゴンとぶつかられた気がしたが
痛みもないし怪我もしていないので
互いにそれを話し合うことさえしないで
和光を背にして銀座を歩き始めている
ゴンと音を立てうるなにかは六郎の上も滑って行ったようだったが
六郎は仰臥の姿勢のままだったのでそれにはぶつかられなかった
しかしなにかが通り過ぎて行ったのは確かに感じ取り
奇妙にもそれは彼にふいの啓示のような変貌をもたらして
上野のあまり知られていない地下道でニュッと立ち上がり
自分の垢まみれの上着やズボンや下着の重ね具合を捨てる気になっ
もうホームレスは終わりだ
これも悪くない経験だったかもしれない
俺は悪党になってやろう*
なんだか走り出したくなってだんだんと速度を上げて走り
なんだ走れるじゃないか おれは
そう気づき直す間にスカイツリーの見晴らせる谷中の墓地の崖まで着き
そこから東京の下町方面を睥睨して
よし これからお前との勝負だ
と叫んだ
そうして六郎は社会への挑戦の最初の行動として
かねてから情けをかけてくれていた
慈善家のニュッシンゲン夫人のところへ
今夜という今夜こそ晩餐に出かけようと決めた**
そのためにはあそこの店で上着とズボンをくすね
シャツはスーツ屋の店頭でかっさらって
靴は そう あそこかあっちの馬鹿な店員がいるところで 
などと頭は起爆装置のONになった爆薬のように
勝手にフル回転を始めた


*シェイクスピア『リチャード三世』
**バルザック『ゴリオ爺さん』




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