じぶんの中心はじぶん
ひとはたいてい
そう信じ込んでいるけれど
わたしの中心は
わたし
ではないと
かなり前から
わたしはよく知っている
わたしは
膨らみつづける風船の表面の
小さな一点のようなもの
意思なんて
ほゞ役に立たない
どちらを向くか
膨らむのを止めるか
しぼむか
どれも決められない
こうして記している文字は
あくまで
この物質界の文字
この世界に
わたしの本体はないことを
わたしは本当によく知っている
そういう世界の文字で
なにを伝えようか
伝えまいか
なにが伝わるか
伝わらないか
はじめから
問題にもならない
現実を生きるのが
正しい方策のように思えたり
勧められたりするが
プールの水の中で
水の性質だけを重視しろと
言われるようなもの
それはそれであたり前だが
それだけではどうにもならない
プールの水に浸かっているじぶんは
プールから出たじぶんではない
プールの水の中のじぶんと
プールの外のじぶん
どちらが優先して考えるべきじぶん?
夢や妄想や深浅さまざまな思いのこんがらがりを
あまりぞんざいに扱ってはいけない
石油の油田に湧いた黒いどろどろの沼のような
それらの巨大な水溜まりの中を
うまく方向をさがしながら行くのはただ事ではないけれど
じつは他に方途はない
それらだけが地図で
それらだけが分散しては集結するのをくり返す細胞たちで
それらはじぶんではないけれども
それらだけがじぶんのありかを遠巻きに
しかし正確に指さしている
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