2017年3月13日月曜日

遠巻きにしかし正確に



じぶんの中心はじぶん
ひとはたいてい
そう信じ込んでいるけれど

わたしの中心は
わたし
ではないと
かなり前から
わたしはよく知っている

わたしは
膨らみつづける風船の表面の
小さな一点のようなもの
意思なんて
ほゞ役に立たない
どちらを向くか
膨らむのを止めるか
しぼむか
どれも決められない

こうして記している文字は
あくまで
この物質界の文字
この世界に
わたしの本体はないことを
わたしは本当によく知っている
そういう世界の文字で
なにを伝えようか
伝えまいか
なにが伝わるか
伝わらないか
はじめから
問題にもならない

現実を生きるのが
正しい方策のように思えたり
勧められたりするが
プールの水の中で
水の性質だけを重視しろと
言われるようなもの
それはそれであたり前だが
それだけではどうにもならない
プールの水に浸かっているじぶんは
プールから出たじぶんではない
プールの水の中のじぶんと
プールの外のじぶん
どちらが優先して考えるべきじぶん?

夢や妄想や深浅さまざまな思いのこんがらがりを
あまりぞんざいに扱ってはいけない
石油の油田に湧いた黒いどろどろの沼のような
それらの巨大な水溜まりの中を
うまく方向をさがしながら行くのはただ事ではないけれど
じつは他に方途はない
それらだけが地図で
それらだけが分散しては集結するのをくり返す細胞たちで
それらはじぶんではないけれども
それらだけがじぶんのありかを遠巻きに
しかし正確に指さしている



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