2017年3月7日火曜日

人生透明チューブ説



人はそれぞれ
透明チューブに入って
定められた期間だけ移動していくだけで
それを人生と呼んだりしている
透明なので
他のチューブに入って脇を併走する他人が見えたりするが
チューブどうしが交わることはないし
コミュニケーションもできない
他人と話したり意思疎通したり触れあったりできるようだが
それらはチューブ内の装置で作り出される疑似現実に過ぎない
現実には最初から最後まで
たったひとりでチューブを滑っていくのが実相で
こうした構造を俯瞰できる位置から見下ろしてみると
なんとも寂しい風景ではある
各透明チューブが宿命というものになっており
チューブが違えば宿命は違うので
同じ時間同じ空間に隣りあって生きているようでも
事故で片方が死に片方は掠り傷さえ負わないということも起きる
まずはチューブ構造を俯瞰できる状態に到ってみて
そこから眺めてみることが大事で
こんなチューブ構造を人生と呼んだり
それについて御託を並べたり詠嘆をしてみたりするのは
甚だしい時間の無駄だということを認識しておく必要がある




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