2017年5月14日日曜日

そう、理由がなくって、かなしくってさびしかったの…


ちょっと前までは
予想もつかないような行動をする人たちが
まわりにはいっぱい

それでいて
あまり迷惑になるわけでもないから
そんな人たちの行動は
そのまゝかれらの個性だったし
この人はこういう人だから…という納得が
こちらにはあって
けっこう楽しんでいた

そんなうちのひとり
誰よりも地味で静かで寡黙で
それゆえに誰より気にかかっていた芽衣子ちゃんは
ぼくによくFAXを送って来て
いますぐに会えませんか
それが無理なら何日の何時頃は?
と明快な約束の取りつけをしてきて
ふだんの地味さや静かさや寡黙さとまったく違う積極性を
FAX機にだけは表わしていた

こんなふうに呼び出されて
ずいぶんたくさん会ったけれど
会っている時には
芽衣子ちゃんはしゃべらず
「なにを食べる?
「これおいしい?
「次はなにを取ろうか?
「これかな?
「あれかな?
「こっちにしてみようか?
そんなふうにぼくひとりでしゃべって
選択型の疑問文を連ねながら
うなずきや首の横振りを芽衣子ちゃんから引き出す
しゃべらないし
なにか楽しそうにしているわけでもないから
「つまらないのかな?
「疲れてるの?
そう聞くと
違うという意味で首の横振りをする

じぶんから呼び出したくせに
消極的も消極的すぎるけれども
バーでカクテルを飲んだりしていると
片方の手のひらをテーブルの下でぼくの腿にのせてきて
ずっとずっと腿を撫で続けたりしている
食事の時も真横にいたりすると
ぴったりとぼくにくっ付いてきて
右手で箸だけ動かしていればいい時ならいいけれども
左手も使わないといけない時など参ってしまう
汁物をいつまで経っても飲めなかったりしてしまう

それでも
さすがに時々はしゃべる芽衣子ちゃんが
けっこう長いあいだ
何週間も何週間も何週間もFAXしてこない時があって
ひさしぶりにFAXしてきて会った時に
「どうしてたの?
って聞いたら
かなしくてさびしかった…
と答えた
「どうして『かなしくってさびしかった』の?
とたずねると
理由はべつにないと思うけれど
たゞ「かなしくってさびしかった」のだという
「だってなにか理由あるでしょ?
って聞くと
ない
って言う
「そう?理由がなくって『かなしくってさびし』くなるの?
ってさらに聞くと
そう、理由がなくって、かなしくってさびしかったの
そういうのってよくあるの
って
めずらしくけっこうしゃべる
「そうなんだ。理由もなく『かなしくってさびしかった』んだ
って芽衣子ちゃんの言い方をくり返すと
そうだとうなずく

それからしばらく
たぶん
小一時間ほどぼくらは
芽衣子ちゃんの『かなしくってさびしかった』ことのまわりをめぐって
ことばをポツポツやりとりしたり
うなずいたり
うんうん言ったり
そうなんだと何度も言ったりした
もうこの話題もちょっとクタッてきたかなと思う頃
「で、『かなしくってさびし』い時ってどうやって解決するの?
そうたずねると
(ぼくはほんとは「どう治すの?」とか「どう癒すの?」とか
(言おうとしたのだけど、ちょっと良くないかな、ダイレクトかな、
(この表現は…って思ったので、替えたのだった
芽衣子ちゃんはすごいことを言った

かなしくってさびしい時って
流れてくる雲や霧みたいなものだから
たゞ待っていればいいの
そうすればいつのまにかむこうへ流れ去っていくから

ぼくはちょっと驚いて
「『かなしくってさびしい時』って雲や霧が来ただけなんだね?
「かなしさやさびしさには理由があるって皆思っている
「そうじゃないんだね?
「どこかから流れてくる雲や霧にすぎないんだね?
そう確認してみたら
芽衣子ちゃんはつよくうなずいて
そう
と言った
ちゃんと言葉で
そう
と言ったのだ

芽衣子ちゃんがどうなったか
芽衣子ちゃんとぼくがどうなったか
ここではこれ以上言わない
ぼくはこの数日
ひとむかし前にいっぱいまわりにいた個性的な人たちを思い
いまはそんな人たちがめっきり減ってしまって
ちょっとさびしい気持ちになっていたので
かれらのことを思い出してみていて
そうして芽衣子ちゃんのことにひさしぶりに思いが行きついたのだ

そうして

かなしくってさびしい時って
流れてくる雲や霧みたいなものだから
たゞ待っていればいいの
そうすればいつのまにかむこうへ流れ去っていくから

この芽衣子ちゃんの言葉を掘り起こすように意識に引っぱり出し
すごいなあ
芽衣子ちゃん
ほんとにすごいことを言ったなあ
そう思い直したのだった

雲や霧は
どうしたって
いつでも出てくるよなあ
流れてくるよなあ
そうして
流れ去っていくよなあ
留まることなんて
ないんだよなあ

いま思い直しながら
反芻してみている
芽衣子ちゃんの
あの時の
言葉



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