1997年頃のことである
私は偶然見つけたJ.S.BACH
Concertos for Three and Four Harpsichordsに
ほとんど没入していた
演奏はTon Koopman率いる
Amsterdam Baroque Orchestraで
Friederike ErnstとDavid Collyerが協演していた
当時渋谷にあったH.M.V.かTowerRecordsで買っ たはずだが
H.M.V.のほうかもしれない
この2枚組CDは私には事件であり
カセットテープに録音して毎日朝から夜までくり返し聴き続けた
当時はカセットテープ用ウォークマン全盛の時代であり
クラッシック狂いだった私はすでに数台を聴き潰していたが
このCDを録音したカセットテープとともに
使用中だったウォークマンも崩壊過程を辿っていた
他の音楽ももちろん聴いたとはいえ
私はバッハのこれらのチェンバロ協奏曲を約6か月ほど
本当に毎日浴びるように聴き続けた
脳細胞の隅々が急速に独特の変貌を遂げていくのが感じられた
聴かない時でも脳の中で各パートの演奏を蘇らせられるようになり
チェンバロや室内楽団の演奏家でもないのに
これら協奏曲集を丸暗記してしまった
地味に日々をくり返しながら確実な超我への歩みであること
変貌を刻々遂げつつ二度と今現在の感性や思考に戻らないこと
般若心経が謳うように逝ける者よ逝ける者よ幸せなるかなを
今生という修行中の生身にどこまで体現し得るか
その一瞬一瞬に明晰であること
ほぼ誰にも見咎められないかたちで時代と社会の枠を完全に逸脱し
非人間的なまでの複数生を同時に全幅に生き切ること
これら今生の課題を遂行するための脳細胞の洗浄と調整に
バッハのこのチェンバロ協奏曲の古楽器演奏は最良のひとつだった
他の演奏家たちのものも買い集める時代がこの後に来た
どれもくり返し聴いたがコープマンのこれらほどのめり込んだのは
トレヴァー・ピノックの演奏を除いてはない
コープマンのこれらの演奏は1980年のものだが
彼は1991年に新しい録音を出しておりそれらも後に入手して
私はやはりくり返して聴き続けた
その新版のほうはもっと軽く瀟洒な演奏で
愛聴するにはよいCDだったが
1980年版ほどの切迫感はなくなっていた
新版を手に入れた頃の私にも1997年頃の切迫感は薄れていたの で
それはそれでよかった
新版に馴染むと1980年録音の切迫感は
やゝ生硬にも息苦しくも感じられ
のち
しばらくは1980年版を聴くことはなくなった
1997年頃の切迫感…
ピアニストになろうとしていた愛人とは穏やかに関係が続いていた が
晩秋
ふたりで信州の温泉にでかけた際
彼女は演奏を完成させたがっていたショパンの
バラード第4番と
舟歌の
自分の演奏を
自分の演奏を
レンタカーの車中で私に聴かせたがった
聴いてもらって直す場所について助言を貰いたがっていた
私は7年もの間
彼女がショパンのバラード第1番から第4番までの他
様々な曲を完成させていくのを聴き続けてきていた
しかし
信州を走るレンタカーの車中で
その夕方
彼女の演奏するショパンは私には驚くほどつまらなく聴こえ
舟歌に至っては馬鹿らしく感じられてくるほどだった
私は途中でカセットを止めて「後で聴き直すよ」と取り出し
没頭していたバッハのチェンバロ協奏曲のカセットに替えた
彼女は特にがっかりしたふうでもなかったが
ひょっとしたらこれが
後に起こることの大きな原因のひとつだったかもしれない
いま記しているのは記録ではなく
告白でもなく
小説でもないので
後に起こったことを私はここで記したりはしない
音楽の話に片寄って今回の言語配列は進められてきたので
最後も音楽の話で閉めていくことにしよう
バッハと並行して深く聴き始めていたマーラーとショスタコーヴィ チ
そして
ふいの晴朗な晴れ間のように入り込んできた
ベートーベンの後期ピアノソナタへの愛着が急に強くなったのは
この信州旅行の数か月後のことである
長らく越えられなかったマーラーの第5番から第6番への溝を
私は無理なく軽々と越えられるようになり
ショスタコーヴィチの第15番などにはエメラルドの涙を流すに到 った
いま記しているのは音楽趣味の備忘録ではなく
青二才のカモフラージュ作文でもなく
なにかのコラム用の原稿メモでもないので
最後の最後は極々私的な追想に走っておこう
1993年に逃げ去った妻アルベルチーヌの死の報を受けた私は
遺体への面会もできぬまゝ
やはり思いの他心の深くに痛手を負ったものか
いつも身近に寄り添ってくれていた娘マチルドの
まだ17歳でしかない肉体に劣情を覚え
(否、私としては優情と言い替えたい…)
床を共にしてしまい
(否、私としては優情と言い替えたい…)
床を共にしてしまい
翌年マチルドは誠に美しい女の子を産んだ
その娘には日本人のように
それも地味に郁子と名づけ
まるでデイジーのしたように猫かわいがりに可愛がって育て上げ
どうしたことか
素性のよい利発な爽やかな美女に育ってくれて
それにもまして
なによりも嬉しいことには
マチルドがこれ以上ないほどの素晴らしい妻となってくれたことで ある
「きみの素晴らしさは、マチルド、
「きっと、 きみのお父様譲りの美質に由来するのだろうと思うよ
「きっと、
こんなふうに冗談を言うと
「あら、あなた、そうおっしゃってくださると嬉しいわ。
「わたし、 お父様をもうずいぶん昔に失ったのですもの。
「もうお顔も忘れてしまっていましたの
「わたし、
マチルドはこんなふうに遠くに視線を放ちながら
私の手をさらに強く握って
「郁子にも、ぜひ、
「あなたのような素敵な愛人ができるといいのですけれど
もちろん
円環は必ずどこかで破っておかないといけない
そして
私の私なるものは
在りつつ無い
というありようをもっと際立たせなければならない
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