2017年8月6日日曜日

地球の分身のような器に



塩を入れておく容器は
塩入れと呼ぶのか
塩壺とでも呼ぶのか

日本人なのに
まさか
“ソルトケース”でもあるまいが

これと言って
決定版のような呼び名が
日本にはないような気がする
俎板とか
菜箸とか
簡にして要を得た
そんな呼び名が
与えられていない気がする

いま使っているのは
本体が透明で
蓋が白いプラスチック容器だが
ホームセンターになら
どこででも見つかりそうな安手のもの
大事な塩を入れるのに
もう少しどうにかならないかと思うが
これは
いっしょに暮らし出す時に
妻が持ってきたもの

ひとりで暮らしていた頃
どんな容器に塩を入れていたのか
思い出そうとすると
まったく浮かんでこない
料理を毎日していたし
よく夜には食べに来る人もいたので
容器がなかったはずはないが…
どうだったのだろう
ビニール袋に入れたまゝ
使っていたのかもしれない

ひとりで暮らす前
ながくいっしょに暮らした人との
永遠のようだったあの暮らしの中では
塩は何に入れていたのだったか
食べ物にはこだわる人だったので
からだに悪い精製塩など使わず
昔ながらのどこどこの塩などというのを
いつも使っていたから
特定の塩容器は要らなかったのか
それとも
ジャムの空き瓶かなにかに
適宜入れて使っていたか

大切な塩の容れ物が
人生のあちこちの各所でどうだったか
どんなものを使っていたか
思い出そうとすると
こんなふうに欠落が目立つのに気づかされる
塩を丁寧に扱って来なかったということか
ありきたりの
その場その場の安手の容れ物に
容れて済ましてきてしまったのかと
ちょっと
意外に思われてくる
寂しくも感じる

この人生が
他の誰のものでもあり得ないような
湿った激動と黴くさい闇に着け込まれ
ほぐしようもないこんがらがった糸の球のようになっていく以前
まだ少年とも
未青年とも呼ばれ得ていて
ひかりも夢もあった頃
塩の容れ物は
やはりプラスチックの調味料容器で
赤かったような
白かったような
…そう
砂糖の容器とセットで
どちらかが赤く
どちらかが白かった

いま使っている容器と
奇妙に似通っていて
それでいて
まだ自分がこんな自分になる以前の
何十年も前の
あの頃のもののほうが
プラスチック壁が厚いもので
そうして
そのふたつの時期の間の
塩の入れ物がすっかり欠落しているとなると
…奇妙な感じだが
塩とのつき合いにおいては
まるで成長も変化も
なかったかのように思えてくる

だが

…いや!
それは違う!

まだ自分がこんな自分になる以前の
何十年も前の
あの頃
戦後から高度成長期の日本を支配した嫌塩思想や
精製塩を疑わない家庭にわたしは幽閉されて
ただしく生を見つめる目も持てず
地道によくからだを生きるための仲間も持てないでいたものだった
その後のわたしは出奔して
二度とあの頃にも
昭和平成の日本とやらにも
戻ることはなかった

容器は同じようなプラスチックでも
そこに入れる塩はまったく違っている
まだ少年とも
未青年とも呼ばれ得ていた頃の
環境も
時代風潮も
人びとも
すっかり捨てて
否定して
減塩すべきではないまったく違う塩を
いまは積極的に使う
マグネシウムやカリウムやカルシウムに富み
鉄もヨウ素もリンもホウ素もリチウムもケイ素も含まれる塩を
たとえ値が張っても使う
長崎の原爆投下の後で現地の天才的な医師が
被曝の後をなんとか生き延びるために
自分の患者たちに塩と味噌とを濃く使うよう勧めた思想を容れ
フクシマ後の重大な被曝の後の空気と水の中を
そしてまた
科学の基礎が教える危険を平然と無視して
土壌を汚し続け人心を穢し続け
民のひとりひとりの生を崩していく末世の風潮の中を
ごくわずか
覚めた人びとと生きのびていくために

生の基盤のこんな塩選びは
どうでもよい小さなことでなどなく
ここにこそ思想があり
変革があり
人ひとりの小さな歴史を通じての革命があり
人ひとりの知性と理性と魂の真実がほんとうに現われてくる
そう思うわたしは
同じように考えない軽佻浮薄な人びとを
削ぎ落し
削ぎ落しして
年々歳々身軽になってきたが

そろそろ
塩の容器も
目にはっきりと見えるような
ちゃんとしたものに変えようか
内容物を汚染し続けるプラスチックはやめて
高級品でなどなくとも
よい土やよい木から
作り出された地球の分身のような器に




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